起死回生の詠唱
「グァァァァァッッ!」
トキシイグアノ変異種の咆哮が木霊する。
あまりの音圧にリサは思わず耳を覆った。
「うるせっ……!」
ディアンも、アレイも動けない。
『気をつけろ――』
唯一、装甲を身にまとっているジークでさえ怯んでしまっている。
「グラァァァ!」
変異種の全身から皮下脂肪がにじみ出る。
爬虫類特有のごつごつとした鱗がたちまち白い体液で覆われた。
『来――』
それは一瞬のことだった。
ただでさえ俊敏だった変異種の機動力が、皮下脂肪を纏ったことで更に向上した。
動いたと気づいた次の瞬間にはジークは変異種の体当たりを喰らってしまっている。
「ぐえぅっ」
ぬるん、と直角に方向転換した変異種は続けざまにディアンを襲う。
怪力で受け止めようとしたディアンだったが、体表がぬめっているせいで受け止めきれずそのまま弾き飛ばされた。
「うっ!?」
変異種が尻尾を振るう。纏っていた皮下脂肪がリサに浴びせられる。
彼女は反撃しようと魔法を使おうとするも、発動しない。
まるで水の中で音を聞くかのように感覚が鈍くなっていた。
「――ぷっ!」
ただ闇雲に突撃するだけが変異種の攻撃ではなかった。
くちゃくちゃと唾液を口の中で溜めると、それを吐き出す。
無論、それはただの唾液ではない。
「わっ」
アレイは咄嗟に飛来した唾液を躱す。
彼の背後にあった木が一瞬で溶けた。
「えっ……?」
それだけで終わらない。
唾液は木を溶かしただけでなく、毒ガスを発生させていた。
気づかずに吸い込んでしまったアレイの視界は歪み、立っている事すらままならなくなってしまう。
「クァァ……」
一瞬にしてパーティが壊滅状態になってしまった。
まともに動けるリサは全身にまとわりつく皮下脂肪を振り払う。
「うっ……ぺっ」
魔法とは精霊との対話である。
精霊に
どうやらトキシイグアノ変異種の皮下脂肪はその『精霊との対話』を妨害する作用があるようだ。
「……『来たれ、焔の精』」
どうやら自分の詠唱魔法はとんでもない威力を発揮するらしい――そう理解したリサは無暗に詠唱するのは止めようと自制していた。
一撃で環境を変えかねない魔法などポンポン使うわけにもいかない。
「『主命・久遠の灯。四元の球・無限の紫炎』」
だがここで全滅するくらいなら使うしかない。
環境を変えかねない威力の魔法でも、使わざるを得ない。
「グァァァァァッッ!」
変異種は
「ッ?」
『まだ俺は、死んでないぜ……』
だがその頭に小石がぶつかる。
ジークはふらつきながらも、挑発的に変異種にエクスプローダーの切っ先を向けた。
彼はどうあがいても変異種を斃すことができない。
だからこそ仲間の可能性に賭けた。
「クァ――!」
目先の脅威は呪文を詠唱しているリサだ。
彼女が言霊を紡ぐ度に魔力が膨れ上がり空気が熱され渦巻いている。
だが、怒りゆえに冷静な判断ができない。
目の前でさえずっている
くちゃくちゃと唾液を口の中で溜め――
「クッ!?」
「……あ~っててて……もう、これ以上は無理だぜ」
ディアンは呻きながらハンマーを操作し砲弾を放つ。
そこで限界が来たのか彼女は着弾を見届けるとがくり、と崩れ落ちた。
「『転回・零下の炎。再帰・霹靂爆縮』」
「グァ――!」
変異種はリサへ皮下脂肪を放とうと体を揺すり――
『そら――』
ジークはエクスプローダーを素振りし空を叩く。
『衝撃』の
接触の瞬間に発動すべき疑似魔法が皮下脂肪の妨害によって不発に終わる。払われるはずだった『精霊』への対価が支払われず何も起きない。
だがそれ以外の場合ならば話は別だ。
「!?」
発動した『衝撃』は宙を伝って変異種に到達。
ダメージは通らないが行動を妨害することに成功する。
「
変異種は太陽と見まごうほどの火球を見た瞬間、その爆発的な走力で逃走を図る。
だがジークの投擲したエクスプローダーが首筋にぶつかり初動を妨害される。
「――
夜のファンガス密林に再び昼が訪れる。
その光量はラヴァドラコの羽ばたきと同等以上、しかし熱量はトキシイグアノ変異種のみを焼き尽くさんと収束している。
「はぁ……はぁ……」
全身全霊で魔法を放ったリサは肩で息をしながら膝を着く。
既に魔法は変異種を焼き尽くしその役目を終えた。
むせかえるような熱波が汗まみれの頬を撫で、肉の焼け焦げた匂いが鼻をくすぐる。
「…………」
結論から言えば、まだ変異種は原型をとどめていた。
全身にまとっていた皮下脂肪は焼き切れ、肉体は殆ど炭化し動くことができない。
ギロリ、と無機質な瞳が動く。
驚くことにこの状態でも息があるようだった。
「ウソ、でしょ……」
あともう一押し。
恐らくあと少し粘ればモンスターは命を落とす。
「ク……クァ」
変異種はゆっくりと口を開く。
だらん、と舌が垂れ落ちる。かろうじて無事だった舌を振るい、外敵を斃そうと試みている。
凄まじい執念だ。
もはや自分の命は無いというのに、それでも敵を斃そうと闘志を燃やしている。
「テン――ッ」
リサは頭が割れるような痛みに襲われ顔を顰める。
人間の魔力は無尽蔵ではない。人並み外れた才覚を持つ彼女であってもそれは例外ではない。
大魔法を使ってしまえばリサの人並みの魔力は枯れる寸前だ。
「ク――」
『もういい……』
闘志を失っていないのはジークも同じだった。
仮面の下から変異種を見据えつつ、意識を失っているディアンの下へ向かう。
エクスプローダーはリサの
トキシイグアノ――原種、変異種も変わらず打撃には耐性を持っている。
皮下脂肪がダイラタンシー現象によって固まり衝撃を受け止めるのだ。
しかし、身を守ってくれるはずのそれはリサの魔法によって全て焼き切れてしまっていた。
『この勝負は、俺たちの勝ちだよ』
ジークはハンマーを振り下ろした。
ボキ、と変異種の首がへし折れ、崩れ落ちた。
『……これで終わり、と思いたいね』
彼はユピテルXを脱着すると崩れるようにして腰を下ろす。
「それにしても……リサ、君は本当にすごい魔法使いなんだね。君にかかれば『ファイアボール』もこの威力か」
「……ジークさん、勉強不足ですよ」
リサは苦笑しながら地面に背を預けた。
わずかに残った木々の隙間から星空が覗いている。だが綺麗な星々は空に溶けるように歪んで見えた。
「……ファイアボールなんて魔法、ありませんよ」
耐え難い疲労感に彼女はゆっくりと瞳を閉じた。
『――お前は遊び心が足りてない』
誰の声だろうか。
聞き覚えが無いのに自分の声のようになじみのある声が聞こえた。
『――もっと自由になれ。お前は魔法を難しく考え過ぎだ』
懐かしさを感じるような不思議な心持ちだ。
まるで昔のことを思い出しているかのような――
「――ん」
生ぬるい風を受けて目を覚ます。
「――おはよう。よく眠れたかい?」
聞き覚えのあるテノールボイスで混濁していた記憶がはっきりと蘇った。
「あ、あれ……私たち、モンスターと戦っていたんじゃ」
「その通り……ふあ……あの後、君がぶっ倒れちゃったから、ここで様子を見ていたんだ」
リサはゆっくりと上体を起こそうとし、激しい筋肉痛に襲われ顔を顰める。
そういえば、昼間はマクシム山を弾丸登山していたのだ。
その上未知のモンスターと全身全霊で戦ったのだ。
体が悲鳴を上げるのも無理はない。
「あ、そうだったんですね……いてて」
動こうとするたびに走る鈍痛に顔を顰めつつリサは周囲を見回す。
昼になると昨日の戦闘の後がはっきりと見て取れた。
へし折られている木々、毒液によって変色している大地、そしてリサの魔法によって焼け焦げた大地とトキシイグアノ変異種の死体。
「それにしても、よく生き残れたものだよ。俺たちの誰が死んでもおかしくなかった」
ジークはカップに湯を注ぎながらつぶやく。
「そう、ですね……あそこまで強いってことは、あの変異種は『クラスA』のモンスター、ですよね」
ギルドの定めた最高ランク――『クラスA』
リサが対峙したことのあるクラスAのモンスターはラヴァドラコだけだったが、恐らくトキシイグアノ変異種も同等の強さに違いない。
「いいや。違うよ」
「で、ですよね……私が倒せたくらいですし」
彼女はカップを受け取りつつ苦笑する。
クラスA――ラヴァドラコと同じくらいの強さならば斃せたはずがない。
「……奴は、トキシイグアノの変異種は――恐らく『クラスX』だ」
「……へ?」
聞いたことのないランクに目を丸くしたリサ。
「ギルドは公にしてないけど、モンスターや冒険者の中には『クラスA』の上が存在する。それが『クラスX』さ」
X――すなわち未知数。
モンスターにおいては一切が謎に包まれ、生態やその討伐方法が不明である『危険度』を指し示す。
冒険者においては実力の底が知れない、たとえ未知の
つまり、クラスXを冠する者は最強と言っても過言ではない。
測定不能な危険度、戦闘能力を持つ証である。
余談ではあるが、ラヴァドラコは生態明らかになっているため『クラスA』が与えられているが、戦闘能力だけを見れば『クラスX』である。
「もちろんこれは俺の体感だから、ギルドがどう判断するかわからないけどね。でも――魔弾が席巻する今の冒険者界隈じゃ、こいつの脅威は計り知れないよ」
魔弾だけでなく、昨今の武器防具には
何らかの形で疑似魔法が付与されている。
ジークの使う『ユピテルX』と『エクスプローダー』始め、ディアンのハンマー、リサたちの履いている冒険者向けのシューズ、
確かに、魔法使いのリサにとって魔弾を生み出した疑似魔法はにっくき商売敵と言えるが、それでも利便性の高さから使わざるを得ないのが現実だ。
つまり進化を遂げたトキシイグアノは、技術に頼り切りな冒険者を一方的に葬り去ることができるのだ。
「――ま、よかったんじゃねぇの? こいつみたいなモンスターがいるってことは、まだまだ魔法使いも需要があるってことだろ」
あっけらかんとした声に振り向き――筋肉痛で顔を顰めながらリサは声の主の方を向く。
「ちと遅くなったけど、祝勝会と行こうぜ!」
ディアンは色々な食材を採取してきていたのか、泥にまみれている。
意識が昏倒するほどの攻撃を受けたのにも関わらず、ピンピンとしていた。
「へっへっへっ……探せばいくらでもあるモンだ――ほら! アルブラ茸だ!」
紅色の巨大なかさが特徴的な巨大キノコ。
超高級食材のアルブラ茸。
ディアンは大量の戦利品を自慢げに見せびらかしてきた。
「……ディアン、これパラリス茸だよ」
「げっ!?」
――――
【パラリス茸 ――PARALYS FUNGUS――】
生息地:ファンガス密林奥地
入手難易度:E
ファンガス密林奥地に生息している毒キノコ。一口でも口に含めば全身が麻痺し、呼吸困難となり死に至る。
高級食材であるアルブラ茸と非常によく似た見た目をしているため要注意。かさの縁に白い斑点がある物がパラリス茸である。
――――
見れば、巨大なかさの縁は白みがかり斑点のようになっていた。
アルブラ茸は特定の樹木に特定の条件を満たすことでようやく1株生える希少なキノコだ。
間違っても群生することはない。
「あーあ。ぬか喜びして損したぜ」
「――う……」
ディアンががくりと肩を落とす中、少年がうめき声と共に目を覚ます。
彼らが助けた魔法使い、アレイだ。
彼は変異種の放った毒を間接的に喰らっており、ジークに解毒剤を投与されたが今まで意識を失っていたのだ。
「あ、よかった。目が覚めたんですね……えっと」
「……ぼ、僕はアレイと言います」
アレイは改めて自己紹介すると、モンスターから生還したことを実感し瞳を潤ませる。
「……ありがとうございます! なんとお礼を言ったらいいか……!」
「困ったときはお互い様、ですよ」
リサはアレイに頭を上げるよう促そうとしたが、筋肉痛のため固まってしまう。
「それに俺たちみたいなはみ出し者は、頭を下げられるような立派な冒険者じゃないさ」
「そうそう! おれたちはただの通りすがりのお気楽冒険者だ」
ジークとディアンは謙遜するかのように言っているが、よく考えるとリサもその『立派でない』冒険者となってしまうのか、と遠い目になった。
「そう、ですか……」
「私たちだって、あなたの仲間は助けられなかったですし」
「いえ……僕は仲間に見捨てられました」
アレイは悲しそうに俯いた。
「もしかしたら、仲間だと思っていたのは……」
涙ぐむ彼の肩をジークはポン、と叩く。
仲間に見捨てられる辛さはこの中の誰よりも理解できていた。
「落ち込むことはないさ。きっと、君にふさわしい
たとえ仲間に追放されたとしても、信頼していた幼馴染から見放されたとしても、それ以上の出会いがあった。
きっと、アレイにも良縁が待っているかもしれない。
「さ、皆目が覚めたみたいだし。ギルドに戻ろうか」
「そうだな! ギルドに帰るまでが冒険だ!」
その後、パーティ『
そこでリサが無登録で冒険へ出かけたことを常駐していた職員にこっぴどく叱られるのだが……それはまた別のお話。
さて、ここからは後日談。
リサは数輪の
これで非公式の依頼は完了だが、ジークは更に少女が家に帰るまでの護衛も提案する。
ギルドを通した公式の依頼であれば、盗難の保証等がされるわけだがこれは非公式の依頼。
やり取りをよからぬ者が目撃していれば横取りは必至である。
こうして追加任務の護衛をし、少女は無事に家にたどり着いた。
同時に、冒険の最中で助けた魔法使いアレイとも再開する。
成程、世界は狭かったようで、依頼主の少女とアレイは兄妹の関係だったようだ。
リサたちの採取したものと、アレイの採取した物を合わせれば十分な量の花蜜が手に入る。早速、
「……ジークさん」
「うん?」
「……冒険って、いいですね」
「……俺も、そう思うよ」
時に未開の地を冒険し、時に多種多様な依頼を引き受ける。
魔法の凄さを証明し、魔法使いを嘲笑する風潮を終わらせたい。
その一心で冒険者になったリサだったが、すっかり『冒険の楽しみ』に魅了されていた。
――――
【Quest1】 『星見草の花蜜 ――STELLA FLOS NECTARIS――』
状況:完了(依頼達成)
討伐モンスター:
・グラコディウス × 9
・グラコディウス・レクス × 1
・トキシイグアノ(変異種) × 1
――――
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