第15話 老子の「衆妙の門」

創作、新大和物語「わが心なぐさめかねつ」、後編に御臨席たまわりまして厚く御礼申し上げます。心を込めて、講釈の段、あいつかまつらせていただきます。えー、さて、ただいまは夏まっさかり(この章を書きおろした時が夏でしたので…)。海に山に行楽の楽しい季節ではありますが、人生の春夏秋冬で云えば、御老年の方々はこれは夏とは申せません。実りの秋か、あるいは玄冬、老子が云うところの青春、朱夏、白秋、玄冬のうちの最後になりましょうか。玄冬と云うのは厳しい冬と書いて厳冬、そう理解されている方もおられるやも知れませんが、老子が云う玄冬とは玄人の玄に冬を当てて玄冬と致しております。この心やいかにと申しますと「同、これを玄と云い、玄のまた玄、衆妙の門」という何とも分けのわからぬ、孔子の論語を読むよりなお難しい、まるで宇宙語のような言いまわしでその著、老子道徳経の中で説明しております。いくら講釈師とは云え宇宙語まではわかりませんので飛ばしますが…えー、というわけにも行かず、レクチャーつかまつりますが、早い話が玄イコール同、同じということで、なお且つ源ということになるんだそうです。そこには右も左もなく、上も下も、貧富も男女の違いすらもない。すべては源の一点、原初の一点に帰結する、いわば宇宙の始まりのような状態を云うのだとのこと。男女の違いがないのならこれはオカマですがこれも果して玄なのか、ちょとわかりませんが…えー、まあそれはともかく、そこではオギャアと生まれた赤ん坊も今際のお年寄りであってもすべてはこれ同じとなり、誕生をこの世への入り口、死をこの世からの出口と致しますと、これは逆にあの世から見れば赤ん坊の誕生があの世では死で、御老人の死があの世における誕生とあいなるわけです。

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