第3話 遺産相続における悶着

えー、とにかくその山科則子、奈良の都の旅人の屋敷で乳母として仕えながら、同時に佐伯(さえき)輔経(すけつね)と云う方の側室に収まれた方でもありました。要するにこちらは輔経の本当の女房だったわけです。同じ女房でも仕事、司名(つかさめい)としての女房と、現代では奥様方はみんな女房ですから、ひとつお間違えのないように……。えー、とにかく、その輔経との間に一子為輔(ためすけ)をもうけましたが、やがてその子が元服する頃に輔経が亡くなりますと、御正室との間で遺産をめぐって一悶着をおこすこととなります。すなわち遺産のほとんどを御正室とその嫡男が相続してしまい、則子親子にはほんのお義理程度、これでは則子親子は生活して行くことが出来ませんでした。まあ今で云えば弁護士税理士を立てての遺言がどうしたとか云う、あれですね。裁判沙汰になることもままあるそうですが、この時代にはそんなものはありません。「やらないよ!おまえなんかに」の一言で、それぞれの家の力関係ではなりかねませんでした。則子の実家は佐伯家よりは遥か格下、およそ御正室家に逆らえた義理ではなかったのです。そこで、思い余った則子は一子為輔を都に残して、はるばると九州は大宰府まで旅立つこととなります。えー、話が飛びましたが、則子が乳母として大伴氏に仕えていたのは息子家持が元服するまでの10余年、その後大伴旅人は九州は大宰府に左遷され、則子との縁は切れていたわけです。しかしかかる事情を得まして万止むを得ず、かつての主君大伴旅人を尋ねて行くこととなりました。則子が嫁いでいた佐伯家は嘗て大伴氏の郡司(ぐんじ)を勤めていた謂わば家来、ならば旅人の命令には従うだろうと則子は踏んだわけです。

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