第5話 アルカディア領到着
いよいよアルカディア領内に入る。
この領地は元々10年前より開拓地として拓かれた場所で、周辺の領地に比べて領土も狭く、住んでいる領民の数も少ない。
これといった特産物もまだ作られておらず、豊かとまではいえない土壌で農業を行っているだけの田舎という印象が強い。
窓から見える風景も春まき小麦の農地が広がっているだけで、その中から顔を覗かせて私たちを見ている農民の姿がちらほら見えた。
元の世界と違って米作のない世界。
主な農作物は小麦で、あとは地方ごとに異なった野菜や果物を栽培している。
このアルカディアで採れる小麦は痩せた土壌で作られている為か質はそれほど良くなく、他領との交易に胸を張って使えるほどの品質のものではなかった。
つまり現状アルカディアはほぼ自給自足による生活が中心となっており、領地経営として必要な税収のほとんどが小麦や他の農作物による現物納税だ。
それでも開拓間もないということもあり、アルカディアから王国へ治める税については優遇されてはいるが、それでも出立前に得た情報によれば毎年赤字経営が続いているという。
国に収めるのは現金である以上、収められた農作物を売りさばけなければどうしようもない。
そんな赤字領地なのにこれまでどうにかなっていた理由は、私の前任者というか、このアルカディアの開拓を任されていた人物にある。
アルカディアを含む王国の西部一帯のエルデナード地方。
七つの領地に分けられているこの地方をまとめているのがジェリエストン領を治めている、ロバート=ダウントン侯爵。
ダウントン侯爵の指揮の下に開拓が開始されたアルカディアは、一定の規模に至った時点で新たな領として認められた。
そして仮の領主として赴任していたのがダウントン侯爵の長男であるルイス=ダウントン。
おそらくは将来的にルイスが公爵となった時のことを踏まえての領地経営訓練を兼ねての赴任と思われるが、公爵家という強大な後ろ盾が赤字領地であっても商人からの借り入れを可能にしていた。
さて、問題はここだ。
借りたのはルイスであっても、その名義上はアルカディア領が借り入れした事になっている。
つまりだ。彼の後を継いだ私には、その借金も同時に引き継がれるということになる。
私だって公爵家の娘として生まれ変わっているのだから、すぐに借金を全部返せなどと言ってくることはないとは思う。でもそれも絶対じゃない。すでに公爵家とは
そしてエルデナード地方の領地を拝領したとはいえ、ダウントン侯爵の庇護下に入ったわけでも無いので、今の私には
借金だらけ、孤立無援。
私の新生活は決してゼロからのスタートなどではなかった。
「リサお嬢様。領主邸に到着したようです」
「ええ。そのようね」
窓の外に見えるのは貧乏領地には似つかわしくない美しい白塗りの立派な建物。
それを見て私は深い溜息をつく。
いくら侯爵家の嫡男が住んでいたとしても、領地の経済レベルとあまりにも不釣り合いすぎる。
ルイスも所詮は大貴族のぼんぼんだったのか。
この屋敷を建てた費用が借金の中に含まれていませんようにと強く祈った。
「リサ様。到着いたしました」
馬車の扉が開かれて、一人の騎士が顔を覗かせる。
鮮やかな赤髪を短く刈り上げた、筋骨隆々で立派な体躯の騎士。
フィッツジェラルド家の騎士団長を務めていたウィリアム・ストッダード卿。御年三十六歳。
元々平民であった彼は、一般兵として二十歳の時に出陣した領内の暴動鎮圧の際に上げた功により若くして騎士爵の栄誉を得た英雄だ。
彼もビクトと同じく、自ら私と共にアルカディアに行くことを望み、周囲の反対を振り切ってここにいる。公爵だけは反対しなかったと聞いているが、おそらくは娘を想う親心からのことだろう。
公式資料によればリサの身長が170センチとあったから、それを比較対象とするならばウィリアムの身長は2メートル近くはあると思われる。
全体的に高身長な人の多いこの世界においても、ウィリアムの大きさは文字通り頭一つ抜けていた。
私はウィリアムの言葉に無言で頷き、ゆっくりと馬車を降りた。
「リサ=アルカディア子爵様でございますか?」
領主邸の前に立っていた一人の騎士が馬車から降りた私の前まで近寄ってきてそう聞いてきた。
「ええ、そうです。私が新しくこのアルカディア領の領主の任を賜ったリサ=アルカディア子爵です」
「私はエルデナード騎士団第三騎士団長コルトと申します。この度は遠路の長旅お疲れ様でございました」
「ありがとう。でもそれほど疲れてはないわ」
実質私が体感したのは数時間のことだしね。
「そうでございますか。それではこの場で失礼かとは存じますが、引継ぎに関するご報告をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「コルト卿。いくらなんでもそれはリサ様に対して失礼ではないか?せめて場所を変えて行うべき事項であろう」
「ウィリアム。私は別に構わないわ。こういうのは早い方が良いでしょう」
「ありがとうございます。話が分かる方で助かります」
この男は言葉こそは丁寧だけど、心の中では私の事を見下しているわね。
私が女だからか、王都での出来事を知っているからか……その両方か。
別にそのことは本当に構わない。傍から見た私は王子に婚約破棄され、辺境へ厄介払いされたみじめな娘としか映らないだろうから。
「まず、すでにルイス様はエルデナード領へとお戻りになっており、現在ここに残っているのはエルデナード軍の兵士約1000名。この後そちらの責任者に引継ぎをした後にエルデナードへと引き上げます」
「ルイス様はすでにいない、と?」
「はい。先月末にてお戻りになられました」
「先月末……」
今日が六月二十日。つまり三週間以上前にアルカディアをほっぽり出して帰ったわけだ。いや、そもそも私がフィッツジェラルドを出る前にはいなくなってたってことね。
会ったこともないルイスの株価が私の中で更に暴落していった。
「それで……そちらの軍事の責任者はどなたでしょうか?」
「責任者は私です」
ウィリアムがそう名乗り出る。
「ええと、ウィリアム殿でしたか。それでは兵宿舎などの話もございますので、後は我々だけで話すとしましょう」
「分かりました。リサ様、よろしいでしょうか?」
「ええ、よろしく」
「それではウィリアム殿。こちらへ。ああ、リサ様。それでは失礼いたします」
「……ご苦労様です」
最後に取ってつけたような挨拶をしたコルトは、ウィリアムを連れて領主邸から離れていった。
やっぱりちょっとムカつくな、あいつ。
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