第十五話 悲劇の幕開け



 月明かりに照らされふたりの前に姿を現したのは、虚ろな濁った眼球で視点が定まっていない生気の抜けた者たち。群れと呼んでも間違いない数の殭屍きょうしは、村のあらゆる路から次々と集まってきた。


 翠雪ツェイシュエは袖から宝具である大扇を出し、口元を隠すように覆う。


(この数、まさか、いえ····そんな不道徳なこと、)


 しない、という保障はないだろう。魔族の皇子と名乗った緑葉リュイェの研究の対象である殭屍きょうし。本来、完全に操ることなど不可能な本能のまま動く殭屍きょうしを、意のままに操るための研究。


(魔族の女に誘導された時にも、殭屍きょうしに囲まれた。だが、この数の殭屍きょうしをどこから連れて来た? 仮にこんなに大勢で近くに隠れていたのなら、さすがに陰の気で気付くだろう)


 そこまで考えて、天雨ティェンユーもあるひとつの結論に辿り着く。翠雪ツェイシュエが見上げて来て、大扇を口元から下ろし胸元で握りしめると、小さく頷く仕草をした。


「どうやって、どうして、と考えるのは無駄です。こうなってしまったのは、間違いなくこの村で起きたことをなかったこと・・・・・・にするためでしょう」


 そして自分たちは雨のせいもあって、昨日から宿屋の老人と孫のヤン以外の村人に出会っていないということ。この事件自体がおそらく誘導で、敵の目的は予め用意された邂逅だった。


「最初から、実験体である彼らを私たちに"処分"させるまでが、彼の計画だったのでしょうね」


 彼、と翠雪ツェイシュエが言ったことで、天雨ティェンユー翠雪ツェイシュエを攫った魔族が男であることを知る。天雨ティェンユーは魔族の女の話を必要な情報だけ共有したが、翠雪ツェイシュエからはなにも聞けなかった。


 魔界の瘴気はひとには猛毒だと魔族の女は言った。それを回避する術は、魔蟲を呑むか魔族に触れ続けること。手を繋いだり、抱き上げてもらったり、方法は様々だろう。


 だが魔蟲を呑まされたわけでもなさそうで、影響を受けていないことを考えると、つまりはそういうことで····なんだかもやもやした。


ヤンやご老人を残したのは、村で唯一の宿であったからでしょう。あの雨さえももしかしたら、」


「偶然、ではないのだろうな。そして目の前の殭屍きょうしたちは、その魔族がなんらかの方法で作り出した、この村の村人たち、そういうことなんだな?」


 魔族がどのような能力を持ち、どこまで人界に干渉できるのかは知らないが、魔力を使って限られた範囲で雨を集中して降らせるくらい、容易なのかもしれない。


 村人全員を殭屍きょうしに変えてしまった悍ましい方法を、知りたいとも思わない。結局、真相は敵が勝手に教えてくれた上に、自分たちはなにも解決できなかった現実を受け入れるしかない。ならば、この憐れな者たちが別の誰かを殺して喰らう前に、葬ってやるのがせめてもの償いだろう。


 天雨ティェンユーは腰に佩いた刀剣に手をかけ、鞘から抜いた。湾曲した広い幅の刃が現れ、地面にその切っ先を下ろす。


 退魔師の能力を使うことも考えたが、翠雪ツェイシュエの前で自身を傷付け術を使えば、後々問い詰められるだろうし面倒な気がした。であれば、道士として殭屍きょうしを浄化するのが妥当だろうと考えていたのだが····。


天雨ティェンユー、時間を稼げますか? 私は宿に戻りふたりを保護した後、あまり期待はできませんが彩光で救援を呼びます。せめてあの少年やご老人だけでも守らないと、」


 村中に殭屍きょうしが溢れているのだとしたら、ふたりも安全ではないだろう。だが、この数を天雨ティェンユーひとりで抑えるのはかなり厳しいこともわかっている。一体一体はそうでもないが、数の暴力には勝てない。


「わかった。こちらは俺がなんとかする。あなたも気を付けて」


「はい。必ず戻りますから、あなたも無理をしないように」


 わかってる、と少し不服そうに天雨ティェンユーが眼を逸らして答える。心配されるよりも、信頼して任せて欲しい気持ちがあったが、師と弟子の立場を想えば仕方のないことだった。


 それを知ってか知らずか、翠雪ツェイシュエは最後に「頼みましたよ」と言って微笑んだ。


 魔界から戻って来てから、そういう笑みを見せるようになった翠雪ツェイシュエの変化や違和感を、天雨ティェンユーは不自然だと思いながらも気付かないふりをしていた。


 あんな風に微笑む口元に、懐かしささえ覚える。錯覚だとわかっていても、重ねてしまう。期待してしまう。顔も思い出せない、夢の中でしか逢えないあの少女との物語の続きを。


 宿の方へと駆けて行く姿を途中まで見守り、再び腐臭と低い呻き声で現実に戻される。なんの前触れもなく襲ってきた一体の殭屍きょうしに続くように、他の者たちも急に意思をもったかのように動き出す。


「これで、出し惜しみする必要もない」


 押し寄せるように向ってくる殭屍きょうしたちを躱し、天雨ティェンユーは平屋の屋根の上へと飛び移る。左腕を捲りあの時と同じように刃を当てて、すぅっとゆっくり引いた。じんわりと滲んだ血とその匂いに反応した殭屍きょうしの群れが、平屋の壁に押し寄せてくる。


 わらわらとどこからか湧いて来る殭屍きょうしたちは、勢いよく壁に体当たりしたり、ガリガリと爪がボロボロになるのもかまわずによじ登ろうとしたり、それぞれが本能のまま動いていた。


「紅き浄化の炎で、大地へ還す」


 天雨ティェンユーの周りに無数の大小さまざまな紅蝶の群れが現れる。薄墨色の闇夜に浮かぶ紅い光は、どこか毒々しいが美しくもある。特別な退魔師の特殊な血液から生まれた紅蝶は、集まった殭屍きょうしたちに向かってひらひらと飛んで行く。


 紅蝶が殭屍きょうしに触れた瞬間、その身体を容赦なく燃え上がらせた。それは次々と飛火し、さらに追い打ちをかけるように、他の紅蝶も殭屍きょうしたちを囲む。


 やがて耳を塞ぎたくなるような呻き声がいくつも重なり、浄化の炎の中で苦しみ、地面に転がり踊っているかのように藻掻くその姿は、まるで地獄絵図だった。


 天雨ティェンユーはその光景から目を背けることなく、彼らが朽ち灰となるまで見届ける。左腕から指先に伝う血が、ポタ、ポタ、と足元に滴っていたが、気に留める様子はない。


「こんなこと、赦していいはずがないし、あんたたちも、俺を赦さなくていい。だがせめて····憐れな者たちに、安らかな眠りを」


 言葉など通じないし、そんな感情さえ彼らはもう持ち合わせてはいない。けれどもこんな理不尽な目に遭い、自我さえも失った憐れな存在に、慰めの言葉くらい手向けても良いだろう。


 集まっていた十数人ほどの殭屍きょうしはいなくなったが、違う方角から次々に増殖するかのように湧いてくる。それを見据えながら、左腕に触れる。あの時と同じように、手の平にべったりとついた赤を、刀剣に無造作に塗りつける。


 屋根から飛び降り地面に着地すると、刀剣を握り締め、天雨ティェンユーは襲いかかってくる殭屍きょうしの群れにひとり、無感情のまま突っ込んでいくのだった。




 

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