第七話 闇への誘い
やはりこの森が妖魔の拠点なのだろうか?
あの女が犯人とは思えないが、おそらく誘われていることは間違いない。あえて敵の誘いに乗ることで、その思惑を知るのも悪い手ではない。
だが、相手は妖魔の中でも上級より上の特級である。対峙すれば自分でもどうなるかわからない相手だ。目的だけでも知れれば、幸運だろう。
村と森の境界辺りで女の後ろ姿を見つけた。あのふらふらとした足取りのまま、森へと入っていく。どう考えても罠の匂いしかしない。だが追わないという選択肢もない。
(あの女····生きた人間ではないようだ。もしかして
邪を封じる符を使うのも手だが、それは一時的な対処の仕方でしかなく、陰の気がそれを上回ってしまえば再び動き出してしまうのだ。つまり足止め程度にしかならない。
(
嫌な予感がする。これ以上ひとりで進んでも良いかどうか。だが、まだなにも得ていない。ここで見失ってしまえば、得られるはずのものも得られなくなってしまう。
******
首筋に指が触れようとしたその時、
「誰ですか、あなた?」
お互いの顔が認識できる程度には明るさのある部屋の中、まだ上手く回らない頭で冷静に観察する。その者は自身を偽ったり隠すこともせず、自分に触れようとした手を伸ばしたままの姿勢で、こちらに視線だけ巡らせた。
見た目だけならば二十代前半くらいの青年。全体的には短いが前髪だけ長く、左眼が隠れているのが特徴的で、隠れていない右眼は薄緑色をしていた。
白い衣の上に薄緑色の羽織を纏っており、少し猫背気味なところを見るに武芸などの心得はなさそうだ。雰囲気的にいえば、とても陰鬱で暗い印象を与えるだけでなく、なにを考えているかわからない不気味さもある。
ただひとつだけ、わかる。彼は、ひとではない。鬼でもない。
(魔族····しかも、相当まずい相手ということだけは、確か)
正直、自分でさえ触れられる寸前でやっと気付いたのだ。気配がしないなんて、魔族の中でもかなり位の高い者、としか今は判断できない。
「······お前をずっと見ていた。ずっと前から、お前を知ってる」
ぼそぼそとその者はそう呟いた。同時に、その口元がにやりと歪む。それに対して
その声は想像していたよりも若さのある声だったが、どこまでも暗い声音だった。
「····俺の顔を焼いた、女の顔と同じ」
その長い前髪の下にあったもの。それは、まるで呪いでも受けたかのように青紫色に変色した皮膚と、眼球がなくぽっかりと開いた穴がひとつ。
(あれは····呪詛?)
彼の戯言を鵜呑みにするつもりはないが、
「あなたが····母上と父上を殺した、あの時の魔族のひとりだと?」
当時十歳だった
突然奪われた両親の命と、ささやかだったが幸せな時間。そして両親が長きに亘って研究をしていた膨大な資料と、所持していた宝玉や法器、宝具。そのほとんどが奪われてしまった。
手元に残ったのは、まだ途中だった煉丹術の研究資料と、
「····興味深い。
否定も肯定もしない青年に、
「どういう意味ですか? あなたは、何者です?」
「····共に来れば、教えてやる」
掬い上げていた手を下ろし、今度は少し離れた位置にいる
だがこれだけはわかる。これを断るという選択肢はないということ。この宿にはあの老人と少年がおり、彼はなにも言わないがそれを盾にしている。ついて行かないという選択肢を選べば、次に出てくる言葉はわかりきっているのだ。
「いいでしょう。その代わり、この村のひとたちには手出しは無用です。それが破られたら、私もなにをするかわかりませんよ?」
(やはり、あの時の記憶は····いえ、まだ結論を出すのは早い)
ずっと、気になっていたことがある。
それを口にすれば、今まで積み上げて来たものすべてがガラガラと崩れてしまうほどの、絶望感を覚えるだろう。
けれども
寝台を挟んでふたり、視線が重なる。なにかを決意した
その指に触れると、自分よりもずっと冷たい感触が伝わってくる。握られた手は意外にも気遣いがあり、乱暴に扱われることはなかった。
白い道袍を纏っているだけの軽装のまま、行きましょうと青年に声をかける。魔族の青年はその堂々とした態度を気に入ったのか、ふっと口元を緩めると、黒く歪んだ空間を目の前に出現させ、導くように
その姿が闇に呑み込まれるように消え失せたちょうどその頃、扉を叩く音が誰もいない部屋に響く。
反応のない様子を不思議に思った少年は、勝手に開けるのも不謹慎と思ったのか、そのまま声をかけることもなく、下の階へと戻って行くのだった。
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