母と仔

@Mamadaisuki

第1話 母

「…はい、雨傘あまがさ 流連りゅうれんは、わたくしの母ですが。」


 突然の質問に、僕はそう答えるしかなかった。


 家についた僕を待っていたのは、二人の男。ひとりは屈強そうな齢三十ほどの男で、もう一人は小柄な初老の男だ。

 屈強そうな方はくたびれた僕の顔を一瞥するなり、母の写真と名前を告げ「この人は君のお母さんだね?」と訊いてきたのだ。


 初手で認めるのはまずいか?と考えたが、すでに名前と顔、僕との関係性を承知している様子から特段隠す必要もなく、さらには母とはもう何年も会っていない。

そんなわけで、何も気兼ねなどする必要がなかったのだ。ただ、今更母のことについて尋ねてくる人がいるのに多少の驚きを感じ、余所行きの言葉遣いで応えることにした。


「それで、母がどうかしたんですか?」


 訝しみながら訪ねた僕に、今度は初老の方が前に出てくる。


「失礼、我々は国の機関の人間なんだが、どうしても君のお母さんに話を伺いたくてね、こうして訪ねてきたんだ。君、お母さんが今どこにいるか知らないか?」


「すみません、すでにご存じかもしれませんが、母とはもう、何年も会っていないのです。突然姿を消してからこっち、手紙のひとつすらありません。」


 だいたいは本当だ。母はある日、突然いなくなってしまった。僕がまだ中学生の頃の話だ。僕と僕への手紙を残して、忽然と姿を消してしまった。手紙の件だけは、僕以外は誰も知らない。

 

「あぁ、そうだったね…、それはこちらでも調べがついてる。ただ、一縷の望みをかけてね、関係先を洗ってるんだよ。どうしても、どうしても訊かなければならないことがあるんだ。」と初老の方は返してきた。その目に実直さをにじませながら。


 その時ふと、この人は本当に母を探しているんだなという想いが胸に浮かぶ。こういう目をした大人は信頼できる。先生、トマさん、そして母と、これまでがずっとそうだったように。


「それでいったい、何を聴きたいんです?」


 だからだろうか、『に首を突っ込まない』を是としている僕が、ごくごく普通に話を聴こうとしてしまったのは。


「実はね、お母さんが失踪前にしていた研究というものがあって、それについての緊急の用事なんだよ。君、何か聞いてるかい?」


 実はよく知ってる。おそらくそのおかげで今があるし、そのせいで今がある、という程度には。でも…


「そう、ですか…。すみませんが、お役に立てることはないと思います。」


 トーンを落とした僕の言葉に、「何故だ?」とは屈強な方の弁。


「母が姿を消した時、私はまだ中学生でした。母との会話もかわいいもので、今日何があったんだよ、誰々とこうして遊んだよ、ケンカしちゃったよ…そういうものばかりでした。母は私の話をよくよく聞いてくれましたが、自分の話はあまりしませんでした。したとしても…」ここで一呼吸置く。

「したとしても?」

「明日は遅くなるから、程度のことです。ほとんどがごくごく事務的な点での連絡事項でした。」

「ほとんど、ということは、そうでないのもあるんだな?」焦る様子の屈強。

「はい、ですが…」

「ですが?」

「お誕生日おめでとうとか愛してるよとか、そういった言葉ですよ?」


 まちがいない、これはしっかりと覚えてる。母は自分の話はしなかったけれど、僕の事は間違いなく愛してくれていた。母ひとり、仔ひとりだったから、お互いがお互いを必要としていたんだ。生きとし生けるものとして。

 あの日々を、幸せを思い出して少し心があたたまる僕をよそに、場が妙な雰囲気になる。


「クソっ、ハズレか…」

「やめないか。」

「ですが班長!」

「いいから!…君、すまなかったね。これで話は終わりだよ。」


 二人はどうやら上司と部下らしい。遣る方ない様子の屈強を諫めた初老は、変わらずの眼で僕を見る。すこし見透かされている気もするが、隠し事は最小限にとどめたし大丈夫だろう。


「そうですか、やっぱりお役に立てませんでしたね…、すみません。」と一応はしおらしく。


「いやいいんだよ。君のお母さんが消えてから何年もたってる。今更探そうというのも虫が良すぎる話だからね。」

「虫が良すぎる…ですか?」

「あぁ、お母さんが消えてしまってから、君は一人で暮らしてきたと聞いてる。楽な道じゃなかったと思うよ。でもそういう時に手助けもしなかったくせに、こういう尋ねごとをしようというんだ。虫のいい話だろう?」

「まぁ…いや、ははは」


 気まずさをかみ砕くような愛想笑いをする間に、会話の違和感、その糸口を探る。

 まず母が消えた話、これは調べればわかることだ。ニュースにこそならなかったが、ヒトが一人消えたことの周囲への影響は小さくない。それにこの人たちは母に用事があったわけだし、それくらいのことは調べがついているだろう。

 次に『今更探す』という言葉。恐らくはこの二人、母の職場の方だろう。失踪当時は、警察官やこの二人のような職場の方がしょっちゅう来ていたが、それも3か月も経たない間に落ち着いた。探そうとしていれば、もっと長いこと出入りがあったはず。それが何年も経った今になって探しに来たということは、当時は放っておいても影響のなかった母の研究が、何やらとんでもないことになっているとか?

 あとはそう、「手助けもしなかった」という言葉の意味…。実は母がいなくなった直後のことはあまり記憶にない。突然の天涯孤独の身の上に加え、生存の危機にさらされながら、必死にもがいていたからだ。親類縁者もなく、行政も市民も存在には厳しい。家は持ち家だった(おそらく母はドのつく高給取りだったのだろう)し、お金もそこそこあった。が、暮らし方の身についていない僕には扱いようもなく、ただあわただしさの中に忙殺されていくばかりだった。母の同僚であるトマさん(自称:美少女)が助けてくれなかったら、今頃身ぐるみはがされて放り出されたあげく、矯正施設行きだっただろう。でも、もしこの二人が職場の方だったとして、母の同僚たるトマさんの行動が『手助け』でないのなら、彼女はいったい何者になるのだろうか?ここでこの二人に名前を出してしまってもよいのだろうか?


「あの、もし?」


 急に黙り込んでしまった僕に、初老が声をかける。考え込むと黙り込む。僕の悪いクセ。


「すみません、久しぶりに母の事を考えたので…。」と、しおらしさもう一発。


「いろいろと思い出させてしまったね、すまない。だがこちらも悠長にしてられない事情もある。わかってくれ。」

「なぁ、他に何か思い出したことはあるか?なんでもいいんだ、あの人の事、何かないのか?」と横やりを入れる屈強。ねぇ、いま良い空気じゃなかった?母のことあの人って言うけどあなたはなんなの?

「こら、やめないか。焦る気持ちはわかるが、それは我々の都合だ。」いいぞおっちゃん。

「ごめんなさーい」なんだおめぇ、かわいいとこあんじゃねぇか。


「ご飯できたよー」と母の呼ぶ声がする。そういえば今日はケモノ風混ぜカレーだったっけ、僕の好物だ。


「いまいきまーす!…あの、もういいでしょうか?」


「あぁ、はいはい。大丈夫です、突然すみませんでした。またお伺いするかもしれませんが、その時はまた。」


「わかりました、今夜は冷えるみたいなので、お気をつけて。」


そういうと私は家に入る。意識はもう母のごはんに向いていた。時刻は196を回ったところだ。211までにはすませたい。

手洗いうがい毛づくろいを済ませ、リビングの扉を開ける。



そこでテストケースは終了した。

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