ネットのおもちゃになった俺が再び人生を謳歌するまで
祇土自明
第1話 暗雲の到来
今、薄暗い部屋の片隅で布団を被って何かを嘆く1人の男がいる。それは無職の33歳、吉住純平だ。髭は伸びきっているが、白髪混じりのその長い髪は、自身を研究に没頭する博士と偽ったとしても誤魔化しきれない。
なぜならその面は、博士に特有の一般社会未経験の若さと自らの成果への自信がなく、ただ、苦労から逃げた末の怠けを語っているだけだからだ。
誰とも変わらないような、ごく一般的な日々を生きていたはずなのに、一つの安直な行動が彼を社会復帰できるかできないかを通り越して、人生を0からやり直せるかやり直せないかの次元からも大きく逸脱させてしまった。
あれは大学卒業を控えたある日のことだった。彼はいつものように2限のゼミを終え、大学の正門ではない一番近い門から大学敷地外に出て、そのまま帰ろうとした。
すると道を少し外れた所で小太りの眼鏡の男(ここでは便宜上眼鏡と呼ぶこととする)と細目の、いかにも"大学生"という名称の似合う男(細目)、そして色黒のちょっと体格のいい男(色黒)がなにやら3人ではしゃいでいるのが見えた。吉住はそのままそこを通り過ぎて帰ろうとしたが、カメラをもった眼鏡に話しかけられた。
「あの、卒業制作で映画撮るんですけど、よければ謝礼出すんでエキストラで出てくれませんか?」
吉住はこの後特に用事もなく、一日中怠惰を貪る予定だったので、二つ返事でOKした。してしまった。吉住はこの瞬間が鮮明に思い出されては、布団で頭を擦っているのだ。この瞬間は今も彼の心に擦り続けているのだ。
吉住と3人の男は、早速、事前に押さえておいたらしいスタジオへ移動することにした。道中、吉住以外の3人はとてもご機嫌で、当時も今もマニアックなアニメのオープニングテーマを口ずさんでいた。どうやら色黒の体格の良さは天性のもので、3人とも、まぁ、言葉を選べば俗に言うオタク族の何某のようであり、詳しくは後で述べることになるが、実際にはそれ以上の逸材であった。吉住は必死に「そのアニメ知ってるの!?」と聞きたくなる衝動を抑え、自分自身がソッチ側の人間に成り下がらない努力に勤しんでいた。
スタジオに着いた。すると
「じゃあこれ」
彼は色黒に台本のようなものを渡された。縦書きの台本は、不特定のanother oneの参加を予定して
役名:未定
という枠があり、どうやらこの「未定」の台詞を読めばいいらしい。エキストラというより、一人の主要人物という表現が適切なくらいの台詞量であった。
彼らがどのようなストーリーを撮ろうとしているのかは、台本を読んだだけではいまいち把握できないようだ。「よちて」や「まって」、「てんとう虫」という幼児ワードがやたらと出てきていて、どうやら3人の精神年齢はよほど低いことは誰の目からも認めねばならないだろう。子供にしか作れない独特な世界観なんだろう。
しかし、彼一人ではなく四人がそのような台詞を読むわけで、なんだかんだ童心に帰るようでモチベーションが上がり、その上意外にも全ての台詞には(怒りを込めて)のような助言が書かれるという配慮もあったため、台本の内容を理解しないまま台詞だけ覚えて撮影に臨み、そのままあっけなく終了した。
「なんだかんだ楽しかった!映画が出来たら俺にも見せてくださいね」
と社交辞令を言ってから彼は謝礼として1万円を受け取り、家に帰って時給3333.3333...円の仕事をこなしたことへの悦に浸ったまま、眠りについた。それ以来、彼らとは二度と会うことはなく、吉住が大学を卒業して会社員となってから多忙に追われておよそ7年が経とうとしていた頃に、事は起きたのである。
ある朝、儀礼のように付けたテレビにはこのような字幕があった
「児童ポルノ法違反の容疑で同人グループの男3人を逮捕」
吉住はその映像の男達にデジャビュを感じ、自分の肌に一時的に斑点ができるのを感じた。
そう、あの男達なのだ。
もう頭の何処にもいなかった彼らなのだ。
それを見た途端、吉住は彼らとはもう7年も離れていたのにも関わらず、犯罪という絶対的概念を身近に感じ、身震いした。
ニュースによれば彼らは小学生に卑猥な格好をさせた上、指示した卑猥な仕草をさせたり言葉を喋らせて撮影していたとのこと。その卑劣な犯行に対し義憤よりも他人事に過ぎない、俺にはもう関係のない話だ、という感情を昂らせることにより、その時はまだそんな心持ちでいることができた。
しかし問題はその1週間後のこと。
家に警察がやってきたのだ。
吉住は、前科なき良識ある自身の人生に関わらず、旅行前の2回の確認の末、旅行先で自宅の消灯の有無について不安に苛まれるように、自分が何か悪いことをしてしまったのではないか、というような不安に襲われるのであった。
彼は、どうやら押収されたビデオから身元を特定され、彼らとの関係性を疑われたようだった。警察署で話をして、家宅捜索を含めて約半日で何とか己の潔白を証明することが出来たが、警官の言葉でその安堵は破壊されることとなった。
「あのー、御存知の通り、ネット上で貴方の顔とともに、中傷等が飛び交っておりますが、1週間くらいで収まると思いますので、御安心ください。」
彼は何も知らなかったため、その一言はまさに寝耳に水であり、「どういうことですか!?」と特撮でありがちの隊員が上の指示に逆らえない隊長の決定に問いただすようなトーンで警官を問いただすと、「詳しくは御自身の目でご覧になった方が早いと思いますんで」とそのままその場はやや強引にお開きにさせられた。
「まあ、でも、まさかそんなことは」
帰る道中、彼は疑い半分で開いたSNSのタイムラインを見て衝撃を目にするのだった。
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