第一話 女子医官、村里にゆく③


「それはまちがいなく『きよう』の布教活動だな」

 白磁の茶杯を傾けながら、ゆうしようは言った。

 宮廷医局の詰所で茶を飲むこの美青年は、ぎよだいの官吏・てい夕宵。二十一歳という若さで四等官の第三位となる御史に就いているのだから、かなりの選良である。職務柄の印象もあるだろうが、端整な面差しには少年のような初々しさと潔癖さがにじみ出ている。

 御史台とは官人の監察、弾劾をつかさどる組織。要するに役人を対象とした警察組織である。ちなみに民間の犯罪をあつかう警吏局、後宮職員達を対象とした内廷警吏局もここの管轄となっている。内廷とは皇帝宮も含めた後宮の総称である。

 一昔前まで後宮の事件は、かんがんで構成される内廷警吏局に全権がゆだねられており御史台が口を挟むことはできなかった。しかし二十年程前に起きた『あんなんごく』と称される不祥事により後宮内における宦官の力は著しくがれ、重大な刑事事件は御史台が扱うようになった。

 今夏に起きた、後宮と宮廷医局を巻きこんだ数々の事件の担当官が夕宵だった。それを切っ掛けに、いまこうして茶を飲んで世間話をする関係になっている。

 宮廷医局が使うきようしやは、外廷と内廷の間に位置する宮廷では珍しい男女兼用の施設なので夕宵も気軽に入りやすいらしい。職務上で後宮に入ることを余儀なくされる御史台官だが、そのさいは宦官か女官の付き添いなど面倒な手続きが必要となってくる。

 今日は医局長に話があるとのことで訪ねてきたそうだが、業務会議中だった。終了予定時間まであと四半こく(約三十分)もないから、それまで待っているとして翠珠を訪ねてきたのだった。翠珠のほうもたまたま手が空いていたこともあって、茶を出して現状に至っている。

「枯花って、つまりなにかの宗教団体ですか」

「まあ、そんなものだろう」

 断定を避けた夕宵の物言いに、翠珠はげんな顔をする。夕宵は少し間をおいて、言葉をさがすように語りはじめた。

「普通、宗教団体というのは、信仰する対象、端的に言えば神みたいなものがいるだろう」

 翠珠はなんとなく首肯したが、宗教団体というものに縁がないので実際のところは良く分からない。

「ところが枯花教は、別に神の存在を主張していないんだ。健康であるためにはただ自然に帰れ、そのためには薬など使うべきではない。医者も不要。健やかに長寿を保つために必要なことは、生活を律することと滋養を摂ること、そして自分達が配った札を持つことのみであると訴えつづけている。枯花という名称も、天花に対抗したものらしい。自分達が訴えるように過ごしていれば、悪疾の天花もなす術もなく枯れ果てるという」

「生薬って、全部自然界から採ったものですけどね」

 しらけた顔で突っ込む翠珠に、夕宵は苦笑いを浮かべつつあいづちをうつ。

 とはいえ痘瘡に対する主張と、薬と医者は必要ないということをのぞけば、他の言い分は間違ってはいない。札もただ渡すだけなら別に害もないように思う。

「私が見たときは、札はただで配布していました。焼餅も配っていましたから、人を集めるために使ったのでしょうか」

「枯花教は基本はそうだ。教義を聞かせるために物を配ることはあっても、金銭を要求したことはない。しかも新しい神の存在を主張していないから、皇帝陛下の存在をないがしろにしているわけでもないんだ。ありていに言えば大きな実害はないから、警吏局も手をこまねいているらしい」

「いくら軽い天花でも、疫病がまだ鎮まりきっていない村で大人数を集めることは、厳重注意には該当すると思いますけど」

 医学的な観点が抜け落ちた判断に、翠珠は頰を膨らませる。余談だが患者と話すときは、痘瘡ではなく天花という俗称を使う医師が多い。そのほうが一般には通じやすいからだ。

 翠珠の抗議に、夕宵は失言でもしたように肩をすくめる。

「流行り病がまんえんしている間の集会はもちろん禁止だ。その集まりも結局は役人が来て止めたのだろう」

「村の役人にしてはちょっとふうさいが立派だった気がしますけど、あの人は警吏官かなにかじゃないですかね」

「よほどの事件が起きないかぎり、北村まで警吏官は出向かないだろう」

「じゃあ、やっぱり村の役人だったんですかね」

 地方にも警吏に値する役人はいるが、北村程度の小村ではだいたい地元から採用される雇員である。こういってはなんだが、中央官庁の正式な役人とは格がちがう。あの男は服装といい、いろいろとかんろくがちがっていた気がするのだが。

 首を傾げる翠珠を眺めていた夕宵が、とつぜん「あ」と声をあげた。

「その役人、四十がらみの痩せて背の高い男じゃなかったか?」

「ええ、そうです。ちょっといかめしい顔をしていました」

 取り締まりのさい朗らかな顔をしている者もいないだろうが、特徴はその通りである。

「御存じですか?」

「おそらくだがとう警吏だ」

「警吏なら、やっぱり中央の官吏だったんですね。でも、どうして北村なんかに」

 素朴な疑問を口にするが、夕宵はちょっと気難しい顔で考えこんでいる。なにか面倒事かといぶかっていると、ぼそりと彼は口を開く。

「──おそらく彼の単独行動だ」

「え?」

 声をあげた翠珠に、夕宵はしまったとばかりにくちもとを押さえる。そしてこれ以上はおくそくだからと説明をごまかした。職業上秘密が多いのはしかたがないことだが、だったら中途半端に口外するなといやみは言いたい。

 反発というほどではないが気を悪くしたことが伝わったのか、そのあと夕宵はまるで翠珠の機嫌を取るように話をつづけた。

 枯花教という団体が要注意として認識されたのは、ここ最近のことだという。

 呪術師を先導役とした、医術に対してかたくなな偏見を持つ集団として以前から存在はしていた。麻疹はしか流行時にまじないをすることはなんの問題もなかったが、そのさいに集団行動を取るなどをしたので、そのときだけ役所から弾圧されたらしい。

 彼らの行動が特に注目されるようになった理由は、ここ数年来の善行がある。

 そのひとつが、教義を聞かせるために集めた庶民に無料で食事を提供していることだった。札を売りつけるような真似もしていないから、これだけでその日暮らしの者達は傾倒する。二つ目は彼らが自前で救済施設を設立し、弱者達を収容していることだ。世間から不当に敬遠されがちな麻風(ハンセン病)の患者や、身体の不自由な者達などがその対象だった。

 保護をしても治癒しなければ自分達の教えを疑われる危険もあるが、それまで適切な看護や介助を受けていなかった患者は、病状以上に身体の苦痛を感じている。それが手厚い保護により改善すれば、病の改善と受けとることもあるだろう。

 ここだけを聞くと本当に立派で頭が下がるのだが、人々に流行はややまいの拡大を招く無知な行動をあおるなど、医師から言わせれば悪行を通り越してもはや犯罪である。

 いかんとも評価しがたい枯花教の実態だが、流行り病がなければ世に対しては貢献のほうが大きいので、ある程度の行動はこれまで黙認されていたのだという。

 なんとも複雑な思いで翠珠は尋ねた。

「信者から金銭を供与されていないのに、救済施設の維持費や配布する食料の費用はどこから出ているんですか?」

「まあ、どこからか寄付はあるのだろう」

 夕宵は言った。

「聴衆への食料配布はともかく、救済施設の運営などよほどの資金力がなければできないことだ。警吏局のほうでも調べているようだが、それが怪しげなものでなければ、現状ではさほど警戒することもないだろう──」

「天花か麻疹、えき(ペスト)でも流行らないかぎりですね」

 物騒な病名ばかりに夕宵はぞっとした顔をする。翠珠自身は麻疹には子供の頃にかかっているのでとうそう同様で怖くないが、鼠疫はそうはいかない。国境沿いの西せいしゆう出身だという同級生は、子供の頃に小規模な砂漠を挟んだ隣国で鼠疫が流行の兆しをみせはじめていたので、家族であわてて景京に引っ越してきたのだと言っていた。

 二人が残った茶を飲み干したところで詰所に一人の女子医官が入ってきて、夕宵に医局長が戻ってきたので客間に来るように言った。夕宵は立ち上がり、なんとなく彼を見上げていた翠珠に言った。

「付き合ってくれてありがとう。久しぶりに話せて楽しかったよ」

「物騒な話しかしていないじゃないですか」

 冗談交じりに翠珠が返すと、夕宵は確かにと答えて去っていった。そのあと空になった茶器を集めていると、呼びにきた女子医官がいそいそと近づいてきた。ぽっちゃりと丸顔の彼女は、翠珠より三歳年長のじよう少士である。

「ねえ、鄭御史とは親しいの?」

 もちろんその問いを単純に友人と受け取るほど、翠珠も初心うぶではない。つまり恋愛関係かとかれているわけである。

「そんな関係ではありませんよ」

 素っ気なく返すと、錠少士は不服気な顔をした。

「え、だって楽しかったとか言っていたじゃない」

「礼儀として言いますよ。なにせ鄭御史は良家の子息ですから、庶民の私達とは育ちがちがいます。そのあたりもちゃんとしているんですよ」

 医官達も別に恵まれない家柄の出ではないが、良くても裕福な庶民である。上流社会の者はたいてい文官になる。その中でも夕宵のような科挙の合格者は一握りの選良だ。もちろん家柄が良いというだけで、れっきとした試験である科挙を通ることはできないが、試験勉強に専念できる環境を得られるので、彼等の合格率は必然的に高くなる。

「そりゃそうね」

 自分から言いだしておきながら、錠少士はあっさりと納得している。茶器をのせた盆を抱え、内心で翠珠は『私も楽しかったけど』とは思った。


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