第23話 想いはいつだってすれ違う

「……そうですか」


 マリアは残念そうにそう呟くと、魔法を放った。


 しかし少年には敵わない。


「やはり強いんですね」


 マリアはそう言うと、傍に眠っていた少女を人質に取った。


「この方は、二日前、我々クルーエル教団が捕えてきた実験体です。まだ六歳の小さな女の子です」


 マリアは、腰から剣を取り出して、少女の首に当てがった。


 その様子を少年は眺めている。


 彼の瞳は氷のように冷たかった。


「だから?」


「あなたが、私の言うことを聞いてくれないというのなら、この子を殺します」


「別にいいよ」


 少年は冷たい声でそう言い放った。


 マリアはハッタリだと思い、少女の首を切りつける。眠っている少女の首筋から、少量の血が流れた。


 しかし、少年は動かない。


 マリアは見せしめに、その少女の首を切り裂き、殺した。


 少年の様子に変化はなかった。


 出来事に無関心で、ただそれを眺めているようだった。


 マリアはもう一度、隣に居た別の実験体を人質に取った。


「もう一度言います。この子を殺されたくなければ、私の言うことを聞いてください」


「なぜ?」


 無邪気な子どものようにそう問いかけた少年。マリアは少し恐ろしく感じた。


 だからマリアは、感じた疑問をそのまま口にした。


「……助けようと思わないのですか?」


 少年はその言葉に驚いた様子を見せて、それから、クスクスと小さく笑った。


「助ける? 僕が? どうして?」


 その疑問は、心の底から問い掛けられていた。彼に冗談はなく、本気だった。


「あなたは、助けるべきです。少なくとも、他の人間はそうしていました」


「そうか……助けるべきなのかな? でも、僕はその子を知らないし、関係が無いし、どうなろうが興味もない。僕に助ける意味も意義もないよ」


 少年は平坦な声で淡々とそう言った。


 マリアは、自分を残酷な人間だと理解していた。殺人を犯すときも、マリアは、ベインのため、教団のためだと、罪悪感を持ってそれを行っていた。


 しかし、少年にそれはない。


 目の前に居る少年のように、自分もこうなれたらどれだけ気が楽だっただろうかと、マリアは思った。


 マリアはその人質を放した。


 まるで諦めたように。


「なるほど、あなたには心が無いのですね。人質など無駄な行為でした。あなたは、我々と同じ、残虐非道な人間です」


 マリアは哀しみの滲んだその瞳で、少年に語りかけた。


 すると少年は、また驚いた様子を見せた。


「一緒にしないでよね。僕は世の中のために、世界から面倒くさいものを排除しているんだよ」


 それから少年は、思い出したようにマリアを見た。


「そうだ。ちょうどあなたみたいな人だよ」


 少年は魔法を展開した。


 少年から青い闇が広がっていく。とても冷たくて、暗くて、綺麗な、何の慈悲も無いその魔法が、マリアに向かって放たれる。


 それに撃たれたマリアの身体からは、赤い液体が飛び散った。


 真っ白な空間に、真っ赤な血が広がる。マリアの片腕は無くなっていた。


 マリアはそれに気づくと絶叫した。


 マリアの白い瞳から、涙が流れ出ている。それは、痛みと、絶望と、怒りと、悲しみと、そして後悔だった。


 それからマリアは、少年に敵意を向けて魔法を浴びせるが、なにも変わらない。


 少年は、まるで赤子を相手にしているかのように魔法を振る舞った。


 マリアは体中に傷を負って地面に倒れた。


 マリアの視界の端で、ゆらゆらと明るく揺れる照明。


 彼女は、消えてしまいそうな声で呟いた。


「あなたは……前に……私と会ったことが……ありますよね? 弱い……だなんて……嘘だったのですね?」


「そうだっけ? 覚えてないや」


 少年は申し訳なさそうに、少し微笑んでそう言った。


 そして、マリアに魔法を浴びせた。


 マリアの身体から血が流れる。


 真っ白な床が、血で埋め尽くされた。


 それをただ見下ろしていた少年は、自分の服に付いた返り血を見つけて、深い溜め息を吐いた。


 そして、それから何事も無かったかのように、その場を立ち去った。




 しばらくしてから、その空間に誰かの足音が響いた。


 そして、床に倒れる死体を覗き込む。


「おや? マリアさん死んでしまいましたか?」


「……ぅ……べ……イ……ンさま」


 まだ少しだけ意識の残っていたマリアがベインに手を伸ばした。


「申し訳……ありません……私は……ベイン様のことが……」


 マリアの動きはそこで止まった。


 ベインの足下に血溜まりが近づいた。彼はそれを見下ろし、そして苦い顔をして言った。


「まったく、役に立たない部下を持つと大変ですよ。まあ、彼が私の仲間になる気は無いということが分かっただけ、良しとしますけど。……って、聞いてます?」


「ベイン?」


 その名前を呼んだのは、マリアではなく、黒い髪に赤い瞳の女性。


 白い肌をした、若く美しい彼女は、床に転がる死体を見て顔を歪めた。


 ベインは振り向き、その女性を見ると優しく微笑んだ。そして、優しく尋ねた。


「イザベラ? どうかしましたか?」


「彼女は?」


 イザベラと呼ばれた女性は地面に倒れるマリアを見ている。


「死んでいますよ」


 そう発した彼の声には、なんの感情も込められていない。


「もうやめましょう? こんな事は……」


 イザベラは、ベインに近付いて、彼の腕を掴んだ。彼女のそれは、暖かく、優しいく、そして悲しい手だった。


 ベインは彼女のその手を優しく振り払って言った。


「イザベラ、時間ですよ」


 ベインは優しく微笑むと、彼女の白い首筋に細い針を刺した。


 するとイザベラは、意識を失い、ぐったりとベインの腕の中に落ちた。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ベインは、眠っているイザベラを眺めていた。黒く長い髪がベットから垂れ落ちている。


「イザベラ? 退屈ですか? あともう少しで、君の役も終わるかもしれません」


 ベインはそう問いかけ、イザベラの髪を遊ぶように触った。しかし、イザベラからの返答は無い。


「長い時でしたね。私の研究を完全な物にできるかもしれない、そんな可能性のある実験体を見つけました。どんな手を使っても、彼を手に入れて、完全な私を実現してみせます。私にできると思いますか?」


 ベインは無邪気な子供のように、イザベラに投げかけた。


 だが、やはり、イザベラからの返答は何も無い。


「これで私の役も──いえ……なんでもありません」


 ベインは悲しそうに目を伏せると、ベットから腰を上げる。


「では、行ってきます」


 そして、優しく微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る