第3話
***
多恵おばあちゃんと約束した日曜日がやって来た。
金曜日の雨に続き、昨日もその影響を引き継いだかのようなどんよりとした空模様だったが、今日は見事に晴れ渡った青空が広がっている。数日ぶりの秋晴れに、自然と気分も上がって来る。
太陽の下、全身に新鮮な空気を循環させようと大きく体を伸ばしながら、多恵おばあちゃんと合流するために歩いていると、
「おはよう、美紅ちゃん」
準備万端と言わんばかりに、多恵おばあちゃんは門の前で待っていた。「おはよう」と私は気持ち駆け足で近付いた。
「それじゃあ、早速向かおうかしら」
満面の笑みでいる多恵おばあちゃんと合流するや否や、早速陽気な足取りで歩き始めた。ひとまず多恵おばあちゃんの後についていく。
「雨降らなくて良かったわね。そういえば、一昨日は帰る時に大丈夫だった? あの後、雨風が強くなってたから心配になって」
「ギリギリ平気だったよ。もう少し遅かったら、危なかったかもしれないけど」
「良かったわ」
そんな他愛のない会話を交わしながら、多恵おばあちゃんと並んで歩く。暫く歩いていく内、住宅街を抜けた。
「ところで、今日はどこに向かってるの?」
このまま歩き続ければ、私の通う中学校か、その奥のちょっとした山だ。買い物が出来るデパートに行くためには、別の道を行かなければならない。
目的地は当日のお楽しみと言われていたが、私はついに我慢が出来ず、多恵おばあちゃんに訊ねた。
「んー、市役所の方よ」
多恵おばあちゃんは何でもないように言ったが、内心私は驚いていた。何で市役所に行く必要があるのだろう。
市役所という単語で思い出すのは、将おじいちゃんの姿だ。
幽霊というあだ名を付けられた将おじいちゃんは、矢須崎町の至るところで目撃されるのだが、その中でも圧倒的に目撃情報が高いのは矢須崎市役所近辺だ。実際、一昨日だって、中学校の教室から汗水垂らす将おじいちゃんを見た。
「今日ね。市役所の方で、イベントがあるんだって」
露骨に不思議そうな表情を浮かべていたのだろう、多恵おばあちゃんは補足説明をしてくれた。
休日には珍しくデパートとは別の方向に歩いている人を見かけるなぁとは、確かに思っていたが、そういう理由だったのか。
「市役所の方に行くのは分かったけど、どうしてイベントに行こうとしたの?」
今まで買い物や食事、または散歩に行こうなどと誘われたことはあったけど、私の記憶の限り、多恵おばあちゃんからこうして町のイベントに誘われたことは一度もなかった。
私の質問に、多恵おばあちゃんはにっこりと微笑みを浮かべると、
「美紅ちゃんに、将おじいちゃんが何をしていたか知ってほしかったの」
「……」
私は言葉を発することが出来なかった。
将おじいちゃんについて知りたいような、けれど知りたくないような、複雑な思いだ。
多恵おばあちゃんは困ったような苦笑いを浮かべたが、何も言わずにいてくれた。数歩先を行く多恵おばあちゃんの後を、私はただただついて行く。
頭を悩ませながら下を向いて歩いていると、多恵おばあちゃんが足を止めた。
「着いたわよ、美紅ちゃん」
多恵おばあちゃんの弾む声を耳にして、渋々と顔を上げた。
「――っ」
私は言葉を失ってしまった。
市役所の前には、広場がある。その広場は今まで何もなかったのだが、今は見渡す限りの花が広がっていた。美しく咲き誇った花々からは、人の心を優しく包み込むような香りが漂っている。
金曜日に学校から帰った時は、市役所に花なんて咲いていなかったはずだ。たった一日時間が空いただけで、景色はこんなにも変わるというのだろうか。
まるで違う景色に、先ほどまでの沈んでいた心も吹っ飛んでいた。
「これ、将おじいちゃんが……?」
わざわざ聞かなくても、視界を覆うほどの一面の花景色に目を奪われている多恵おばあちゃんを見れば、すぐに分かった。だけど、ずっと将おじいちゃんと一緒にいた多恵おばあちゃんの口から、直接確かめたかった。
多恵おばあちゃんは私の目を見つめると、「うん、そうよ」と短くハッキリと答えた。
将おじいちゃんが今までやって来たことは、花を植えること。ただそれだけだった。その作業は、地味で、目に見えなくて、しかも四六時中場所も問わずにやっているから、いつしか誰もが不審に思うようになった。
だけど、その行動が実を結んだ今、町の人は認めざるを得ないだろう。将おじいちゃんがやっていたことは、見た人の心を和ませる素晴らしいことだったって。
「……言ってくれれば良かったのに」
そうすれば、少なくとも私は、将おじいちゃんに対して勝手に悪印象を抱くことはなかった。
「将おじいちゃんは、皆の驚く顔を見たかったのよ」
口を窄めながら拗ねる私に、多恵おばあちゃんは笑いながら言う。
将おじいちゃんはサプライズを好んでいた。将おじいちゃんの家に行く度に、いつも私の想像を超えたことをしてくれるから、昔の私は将おじいちゃんの家に行くのが好きだった。
そんな昔の――いや、ここ半年くらい近く前のことを思い出して、一人で相好を崩した。
変わったように見えていたけれど、将おじいちゃんは何一つ変わっていなかった。変わっていたのは、将おじいちゃんを見る私の目だったのだ。
「でも、将おじいちゃんは怒られないの? 勝手に町の色んな場所に花を植えて……」
素朴に抱いた私の問いに、多恵おばあちゃんは一瞬だけポカンと口を開けた。
しかし、多恵おばあちゃんの中で合点がいくと、口元を隠しながらクスクスと笑い始めた。多恵おばあちゃんの顔に、ゆるやかに皺が刻まれていく。
「あら、将おじいちゃんが自分一人で勝手にやっていたと思ってたの? 確かに、許可なくやるのは、いけないことよね。でも――」
「ちゃんと市役所に話を通しているので、その心配は要りませんよ」
多恵おばあちゃんが声を出すよりも先、私の後ろから声が聞こえた。
私は後ろを振り返る。
そこにいたのは、ぴしっとしたスーツに身を包んだ五十代前半くらいの人物だった。
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