9. 無礼な使用人誕生

「是非ともうちで働いてください。よろしくお願いします」


 トーマスが頭を下げつつ、右手を差し出す。


「こちらこそよろしくお願いいたします、坊ちゃま」


 トーマスより低く頭を下げて差し出された右手を両手で握るヒルデ。頭をあげたトーマスは言った。


「主人と雇用主になったわけだし、坊ちゃま呼びはやめてくれ。当主か男爵、名前呼びにしてくれ」


 頭をあげたヒルデは答えた。


「坊ちゃま。私このご恩は忘れません。死人を蘇らせろ、難病を治せ等、誰にもできないことは私もできません。が、誰かにできることはプロフェッショナルとまではいきませんが、それなりにできるように精進いたします。なんなりとお申し付けくださいませ。できれば非人道的なことは遠慮していただければと思います」


 新たな雇い主となったトーマスの言葉をスルーするヒルデ。言っていることはとてもご立派だ。しかし、無礼な態度は改める様子がない。悪びれる様子もなくニコニコしている。


「心強い言葉だ。とりあえず、坊ちゃま呼びをや「ヒルデち

ゃん、良かったわねー」」


「ミランダ、話しのとちゅ「ヒルデさんを部屋に案内してやったらどうだ。ミランダ」」



「アイル、話しのと「わかってるわよ、アイル。ヒルデ

 ちゃん、行くわよ」」


「はい。ミランダさん」


 ミランダ、アイル、ヒルデは部屋を出ていった。


(あいつら……似たもの同士か?主に無礼なところが……



でもニーナの退職日が近づくにつれミランダとアイルの表情が暗くなることが増えたからな……。それがなくなったな……。あんなに嬉しそうな顔は久しぶりだ)


 

 二人は赤子のときから、いやそれ以前からずっと男爵家にいた。衰退してから新たに雇われたので、苦労の毎日、無休・無給の日々。それでも二人は決して離れて行かなかった。


 ニーナもなかなか自分の気持に正直な娘だが、よくできた人間だった。金持ちの商人の妻になったのに、この貧乏男爵家で働き続けてくれた。それに知っていた。彼女が自分には内緒で後任が決まるまでは働き続けられることを条件に結婚を承諾したことを。夜中には商家の勉強をしてあまり寝ていないことを。

 

 男爵家など捨てておけたのに……男爵家をトーマスをミランダをアイルを支えようとしていた。トーマスは自分が人に恵まれていると思っていた。金のない人生。でも人には恵まれている人生。人に恵まれているのになぜ貧乏なのかは不明だが……


 だから、ヒルデも何か訳ありではあるようたが、自分にとってかけがえのない人々のうちの一人になるような予感がしていた。それにしても……



「ヒルデねぇ……。天下の将軍様と同じ名前にあの美貌……まさかな……」


 トーマスはひとりつぶやいた。ヒルデという名前、あの容姿。噂で聞いた天才将軍によく似ている。とはいうものの……

将軍に何かあったら大騒ぎだ。新聞等でも騒ぐはず。なにか胸騒ぎがしなくもないが……気の所為だと心の片隅にしまってしまった。



~~~~~



 客室から出た使用人3人組。途中でアイルは庭に向かい、二人は一つの部屋の前に来ていた。


「ヒルデちゃん、こちらの部屋を使ってちょうだい」


「ありがとうございます。それにしても、きれいに整えられた部屋ですね」


 白を基調とした部屋の中にはベッドと小さい机、小さいクローゼットしかない。しかし埃は見当たらず、窓に付けられたカーテンはオレンジ色で暖かい雰囲気が出ている。そして、机の上には紫色の可愛らしい花が花瓶に生けられていた。


「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」


 開けっ放しのドアの方から声がした。


「あら、ニーナ」


「ニーナです。はじめまして」


 ドアのところに立っていたのは、ミランダとアイルの孫娘のニーナだった。


「ヒルデです。はじめまして。ニーナさんのお話しは聞いています。ニーナさん程お役に立てるかはわかりませんが、そうあるように努めたく存じます」


 真正面からヒルデの顔を見たニーナはぽかんと口を開けてその美貌に見惚れてしまったが、はっと意識を取り戻すとがしっとヒルデの手をつかんだ。思わずビクッと身体が跳ね上がる。


「ありがとうっ!!!本当にありがとう!ここに来てくれて!!」


 ニーナは大泣きしていた。歓喜の涙だった。


「良かったー!このままだと過労死すると思ってたー!せっかく金持ちになったのにー!美形旦那の側じゃなくて、ごっつい筋肉ムキムキ男爵の顔と身体ばっかり見てるのも嫌だったー!旦那様にいつ捨てられるかも怖かったー!」


 めっちゃ泣いている。とてつもなく失礼なことを叫びながら。


「ニーナ……よく頑張ったわね」


 ミランダは涙ぐみながら、愛しいたった一人の孫を抱きしめた。二人は抱きしめ合いながら泣いている。ヒルデはそんな二人を微笑ましげに見つめ、拍手をしている。




 離れたところにいるトーマスにも声が聞こえていた。


(筋肉ムキムキ……そんなふうに思ってたのか……。っていうか、思ったより男爵家にいるのが辛かったんだな)


 彼は別の意味で心の中で泣いていた。


~~~~~



 トーマスが3年前の思い出を懐かしく、そして苦々しく振り返っていると、


「本当にこちらにいる方々はいい人ばかりで、この3年間というもの心穏やかに過ごせて、私幸せでございます。


 ……誰も訪ねてきませんでしたし……」


ヒルデが言った。後半はぼそっと。


「そうだな……まあ、お前も含めアイルもミランダもいいやつ

らだ。屋敷も庭も常に美しく保たれ、森の保安もしっかりしている。あのときは使用人問題で本当に頭が痛かったからな……。お前のおかげで我が男爵家の屋敷も土地も平穏だ。


 ……俺の心は平穏じゃないけどな。いつお前の昔の知り合いが訪ねてくるんじゃないかとヒヤヒヤだ……」



 そう……ヒルデの正体は男爵家のお屋敷に来てから、1週間程でバレていた。



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