須受すずを連れた真経津まふつの率いる隊は、久慈くじの里に帰還した。


 石英せきえい将軍が率いる土久毛ツチクモ討伐隊は、その郷主ごうしゅやかたに逗留し、前線の基地としていた。 

 

 里に近づく者が、まず目にするのは、先を尖らせた杭や鋭い枝の付いた木をななめにくまなく埋め込んだ柵だ。それから、水堀をめぐらせた環濠かんごうが見えて来る。物見櫓ものみやぐらを里の四方に四つ配置してあり、守りの固さは、この辺りでは随一だろう。


 里には、いくつか入り口があるが、どの入り口も兵士が厳重に警戒している。真経津まふつの隊は正門から里へ入って行った。

 半地下の竪穴式住居をいくつか通り過ぎた先の、ひときわ大きな高床の掘立柱のやかたを目指す。両手で抱えるほどの十六本の丸太柱に支えられた高床の館の下は、大人の男でも腰をかがめずにすむ十分な高さがあった。 

 

 真経津まふつ須受すずが乗った馬が近づくと、すぐさま、「副官、石英せきえい将軍がお待ちでございます」と、年若い兵士が駆け寄って来た。

 真経津まふつは馬の手綱をその者に預け、馬から降りる。須受すずも、ひらりと自分で降りた。乗ったときは、へっぴり腰であったのが噓のようである。


 舘の二層めにあがる木の階段のそばには、丸太を横倒しした腰かけがあった。真経津まふつがそこにどっかりと腰かけると、土埃つちぼこりだらけの真経津まふつ布帛ふはくくつを、ひざまずいた兵士が脱がせ、その足を水で湿した布でぬぐった。そのそばに、須受すずは突っ立っていた。

 真経津まふつは、ちらりとそれを見て、「おまえもならえ」とだけ声をかけた。

 うながされて須受すずは、自分の足を振ってくつを脱いだ。兵士の若者の手から布をやや乱暴に取って、自分の足をふいた。

(自分のことは自分でできるか)

 それだけたしかめて、「ついてこい」と、真経津まふつは立ち上がった。

 やかたの二層めへ上がるには、丸太に切り込みを入れた急な階段を上る。

 須受すずもついて行った。


 そして、舘の二層めの床に顔を出した真経津まふつ須受すずの目に入ったのは、壮年のひげ面の男が胡坐座あぐらざをかいて座り、ワカサギの焼いたのに、むしゃぶりついている景色だった。

真経津まふつ。何やら連れ帰ったな」

 石英せきえい将軍である。

 将軍は、ひさかたぶりによろいを脱いで、ぜんをとっていた。

 この男は、百人いる兵のあらかたの名と顔を頭に入れているから、見慣れぬ少年を、すぐに見とがめた。

 

 真経津まふつは、どっかと将軍の前に居座った。

 それを真似て、須受すず胡坐座あぐらざで座った。

土久毛ツチクモの山城の辺りで見つけた男子です」

 よく磨かれたすべらかな板の間に、真経津まふつは両のこぶしをつけて平伏し答えた。

「城の中に、この男子はおりませなんだ。岩山にいおりがあって、そこにかくまわれていたと思われますので、保護いたしました」

 真経津まふつの報告に、石英将軍は、「そうか」とうなづいたから、さして重大なことではあらず、話は、そこで終わりそうだった。

 終わらなかったのは、「失礼ながら申し上げたきことがございます」と、将軍のとなりにひかえていた郷主ごうしゅが物申したからである。


 さきほどから、郷主ごうしゅは刺すような目で須受すずを見ていた。 

 男にしては線が細いと思ったら、女だった。

 郷主ごうしゅであった父亡きあと、跡を継ぐはずであった弟をも失い、まだ幼い甥のために、その役を引き継いでいた。

「その者は子供といえど、土久毛ツチクモの男子ではありませぬか? 土久毛ツチクモは、かつて大王おおきみに背いた罪人が、この地にたどりついたすえでございましょう。その悪行の数々を受けたのは、この里だけにあらず。民の暮らしを脅かす悪鬼でございます。ひとり残らず厳罰に処すべきかと」


 石英せきえい将軍は空になった杯を、たん、と音を立てるように膳に置いた。

「奴らには極刑が待っておる。軽い刑罰などで済ませたら、それこそ、わが宮の統治があなどられる」

 

 郷主の身内は、土久毛ツチクモがらみで死んだと聞いていた。

 宮都きゅうとへ彼らの行状を訴えたのも、この郷主ごうしゅである。

 同じころに前任の国堅くにがためのつかいを土久毛ツチクモが襲い、ついには討伐となったものだ。


 「真経津まふつ、その背の大刀たちは何だ」

 石英せきえい将軍は話題を反らした。というよりも、真経津まふつが来たときから目についていたのだろう。

土久毛ツチクモの根城辺りで押収いたしました」

 細かい説明はしなかった。

 真経津まふつは将軍をたばかろうとしたのではない。二十歳はたちを過ぎたばかりの、この青年は自身の判断で行動を許されるほどに、将軍の信頼は厚い。

 漆黒しっこくさや直刀ちょくとうを背からはずし、石英せきえい将軍に差し出した。

「おお」

 石英せきえい将軍はその直刀ちょくとうを左手で受け取り、少し身体からだかしいだ。予想より、大刀が重かった。刃をたしかめようと右手で柄を握りしめた引いてみたが、漆黒しっこくさやから刃は一寸たりとも抜けなかった。

(むぅ)

 将軍は自身の右側に、大刀を置いた。

「これは預かりとする。真経津まふつ、御苦労であった」


 そこへ、はした女が真経津まふつのための膳を運んできた。

 山盛りの飯に、味噌みそだれのかかった何か。かりかりに焼いたワカサギ。汁の匂いもした。

 将軍は副官である真経津まふつ今宵こよいねぎらうために呼んだのだ。


 須受すずは、飯と汁の匂いに五感をわしづかみされた。

 きゅうと、腹が空腹にしぼんだ。よだれが口の中にあふれて来た。

「おい。腹が減っているようだな。その仔犬は」

 石英せきえい将軍は、からかう気満々で真経津まふつを見た。

「毎回、どの戦場でも、おまえは野良を拾って来る」

「毎回、ではございません」

「では、だ。おまえは死んだ弟の年頃の男子に本当に弱い」

 石英せきえい将軍の目の奥に憐憫れんびんが潜んでいた。

 それから、ずっと、ぜんから目を離せないでいる須受すずを見やって、「それは、真経津まふつへの褒美ほうびぜんだ。真経津まふつがよければ食べさせてやれ。と、わしが言わずとも分けてやるのだろう」と、にやにやした。

御前おんまえではありますが、よろしければ」

 真経津まふつは将軍に忠誠心だけでなく、肉親に同等するような心を抱いている。将軍直下の兵は天涯孤独な者が多い。真経津まふつも、そういう境遇だった。


「そら。食べるといい」

 真経津まふつは自分の膳を、須受すずの前へ引き寄せた。須受すずは一瞬だけ遠慮するような仕草を見せたが、本当にそれは格好だけで、勢いよく焼いたワカサギを手掴てづかみした。

 須受すずはガツガツと食った。よくんだ。小骨を歯で砕く。

(沁みる。水の中にいる魚なのに、若草のような味がするのだな)

 腹の中が歓喜した。ちょっと、むせた。

 真経津まふつは、水の入った椀を差し出した。須受すずは、それを受け取って一口、水を飲んで落ち着いた。

 

「助けてもらった真経津まふつに恩義を感じろよ」

 石英せきえい将軍は、少年の食べっぷりをさかなに酒を飲んだ。

「別段、助けてもらってはいない」

 即座に須受すずは言い返し、だが、言い直した。

「いや、名をもろうたことは恩に値する。義は感じるべきだな」

「偉そうだな! 少年!」

 石英将軍が、がははと笑った。戦局にあって、しばらく大声で笑ったことなどなかった。つられて、真経津まふつも苦笑いした。

「飯を一膳、追加したい。郷主ごうしゅよ」

 石英将軍は、ひかえていた郷主に悪びれず所望した。

「お持ちいたします」

 郷主ごうしゅは立ち上がって壁に開いた出入り口へと去って行った。


 そこから、渡り廊下で別の高床式の舘へつながっている。くりやは、その階下だ。

 吹きさらしの渡り廊下の木の床の冷たさが、郷主ごうしゅの素足に伝わった。それは、煮え切りそうだった頭を冷ました。はぁと息を吐く。 

(にくいにくい土久毛ツチクモを、やっと滅ぼした)


 土久毛ツチクモの当主はほこで蜂の巣にされ、首を落とされたと聞いた。二人いた、その弟らも同じくだ。

 あと、手下となっていた者や、あの少年のような女子供が捕らえられて、里の一角の舘に保留されている。郷主ごうしゅは、その者たちを詮議ののち、奴婢ぬひの身分に落として過酷な労働を強いるつもりだ。


(あの少年、土久毛ツチクモの血筋の者であろう。うやむやにされてなるものか)

 そう思えど、宮都きゅうとからの討伐隊、石英せきえい将軍の保護下にあっては、おいそれと手は出せぬ。

土久毛つちくもに係わりある者、許さぬ)

 郷主の目に、ちらちらと怨嗟えんさほむらが宿っていた。そのように、郷主ごうしゅ土久毛ツチクモを憎んでいた。


多末岐たまきさま」

 さて、渡り廊下の向こうでは、郷主ごうしゅの片腕と言える神官が待ち受けていた。

「本日は、まことによき日となり申した。土久毛ツチクモ一党、打ち滅ぼすことが出来ましてございます」


「いや」

 女としての名を呼ばれた郷主ごうしゅは、苦虫を嚙みつぶしたような面持ちで、かぶりを振った。

「生き残っている男子がいる。漆黒しっこくさや大刀たちを持っておる」

 石英せきえい将軍は、その直刀ちょくとうを抜いて見せはしなんだが、さやの造作を見ても、只者ただものが持つものではない。

(それに、とてもいやな気配がした)

 郷主ごうしゅは思い出して、ぶるりと身震いした。


「生き残った者どもは」

 神官は、そのことを郷主ごうしゅに相談に来た。

「明日、盟神探湯くかたちにかけまする。土久毛ツチクモの当主と臣以外の小物は、われらが処罰を為してもよいとの石英せきえい将軍との決め事でしたよな」


「そうとも」

「では、その黒いさや大刀たちを持つ少年も、盟神探湯くかたちにかけては、いかがでしょう」


 神官の提案に郷主は、うすいくちびるの口角を上げた。

「神に詮議せんぎを任せるか――」

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