日珠之国風土記(ヒタマノクニフドキ)

ミコト楚良

 けわしい賀毘礼かびれ高峰たかみねに、焼け焦げた臭いが漂っていた。木や石が焼けた臭いだけではない。

 追い詰められた土久毛ツチクモの一族は宮都きゅうとの討伐隊の前に、ついに崩れた。もはやこれまでと戦える者は、みな打って出て、城内に残った者はかやいた屋根に火をつけた。

 

 少年は自然の要害の岩山の上から、それを見下ろした。

「みな燃やしたか。叔父御おじごらも手間を省いてやるもんだ……」

 つぶやいた少年を、〈声〉がいさめる。

『つつしめ。曲がりなりにも、おまえの一族の最期だぞ』


「曲がりなりにも」

 少年は口の端をゆがめた。

 青白い肌に頬はこけて、目だけが異様に大きく思えた。

 年の頃、十二ばかり。少年は土久毛ツチクモの山城とは別の岩屋に押し込められていた。そのため、討伐隊の急襲から逃れていた。もとより一族から、はじかれた身ゆえ、他人事のように落城をながめた。


(……と、うるさいはえが)

 かすかな気配に少年は眉をひそめた。下草を踏んで近づいてくる者たちがいる。

 予想したとおり、ばらばらと背後の木立から、ほこをたずさえた男どもが現れた。

「まだ、いたぞ!」

「召しとれ!」

 それぞれにざわめいて、少年に迫った。


雑兵ぞうひょう

 見るからに借り物の具足をまとっている男たちを一瞥すると少年は立ち去ろうとした。しかし、その先は、あいにく崖だった。

(はぁ)

 少年は、ため息をついた。

 その少年の背に雑兵たちは、いっせいにほこを貫かんと――。


五月蠅うるさいっ」

 やおら、少年は腰の漆黒のさやの、反りのない大刀たちに右手をかけ、ふりむいた。

 一瞬、冷たい光がひらめいた。


「  」

 雑兵は声もなく、その場に倒れた。

 ただひとり、遅れて木立の中にいた者をのぞいては。

「ひぃ」

 その者は腰を抜かした。後ずさりしようにも足が動かない。さっきまで立っていた首のあたりの高さの木五倍子きぶしの小枝が、すっぱり、横に断ち切られていた。


「……血止め、おそい」

 少年は雑兵たちの動脈をねらって斬った。だが、皮一枚を修復されて、彼らは地面に転がっている。


『ハ。容赦なく斬るくせに、血はきらいって』

 先程から声はするのに姿は見えないものが、かわいた調子で笑った。

『ひとり、斬りそこねたぞ』

 腰を抜かした男をどうするのか、と、〈声〉は聞いている。

「めんどぅくさい」

『じゃあ、そのまま』

「ん」

 少年は、急ぎ、辺りの気配を読む。

 討伐隊の兵士が、そこここにいる。

(気が滅入る)

 少年は、その者どもに殺されてやる気もなかったが、さりとて、他の選択肢も思い浮かばなかった。


(また誰か来る)

 その気配を察して、少年は、ゆっくりと振り向いた。

 

大刀たちを納めよ!」

 りんとした声の主は、伽和羅かわらを身につけた青年だった。

 胴甲どうこうに腰下の小札草摺こざねくさずり籠手こて頸鎧くびよろい肩鎧かたよろい。雑兵ではないことが一目でわかる。

石英せきえい将軍直下の副官、真経津まふつなるぞっ。土久毛ツチクモの城は落ちたっ。観念して、くだることだっ」

 

「……」

 青白い顔の少年は黙ったままで、ほうけているようにも見えた。

「おまえ、名はっ」

 真経津まふつ大刀たちを低い位置で構えたまま、じりと少年に近づいた。

「――聞いて、どうする?」

 やせこけた少年の目だけ、異様に輝いていた。大刀たちをだらりと右手にさげたまま。

「ひぃ、ふぅ……。今日はもう、十分、斬った。明日にしたい」

 少年は幼児のように口先をつぼませて、眉根にしわを寄せた。 

 

「明日だと?」

 この有り様で。

 真経津まふつが、刀を振り下ろせば、少年の細首など転がり落ちる。しかし先程、真経津まふつは、この少年が矛持ほこもちを数人、一気に倒したを見た。

 この少年に高く大刀たちを上にあげて力を込めて打ち下ろすとすれば、腕を上げたとたんに腹をねらわれるか。

 こちらが、少年の腹を大刀たちで突こうと突進すれば、この腕、あの大刀たちに落とされるか。

 ただ立っているだけの少年に隙がなく、真経津まふつは動けなかった。そのかすかな動きも見逃すまいとするうちに。少年の目を見た。その目の虹彩が、にぶく金色に光ったと思えた。錯覚ではない。


 ……りぃぃ、ん。

 少年の輪郭が揺らいで、振動した。


『おや。神鈴しんれいが鳴り申す』

 いぶかしげな〈声〉がした。その姿は見えぬ。その〈声〉は、少年にしか聞こえていない。

『何の予兆であるかぁ』


「もう一度、聞く。おまえの名は」

 真経津まふつは、少年を斬る気は失せていた。歯向かってくる気がないのなら、生け捕りたい。まだ年端も行かぬ子供だ。

「知らぬ」

 少年の片方の目元が、ひくついた。

「知らぬのだ」


 ……りぃぃ、ん。

 また、空気が振動した。

 真経津まふつは、それを感じ取った。須受すずの音と聞き分けた。


「われに名は与えぬと叔父御おじごらは」

 ゆらりと少年は、大刀を下げた。それは、あたかも戦いを放棄するような仕草に見えて、実は構え。大刀を下から少年は突きあげて来た。

はや

 真経津まふつはのけぞり、少年の刃をかわした。


「知らぬ! 誰からも名など呼ばれたことはない!」

 少年は、いきどおっているようだった。その輪郭が、またゆらいだ。


 ……りぃぃ、ん。

 遠く近く、その音は真経津まふつと少年の間に存在した。敵なのか、味方なのか、それぞれをたしかめるように。

「おまえは何だ? なぜ、須受すずの音をまとっている?」

 真経津まふつは引き寄せられている。抗いがたく、引き寄せられていた。それを聞いた少年の顔に喜色が浮かんだ。

「おまえ、聞こえるのか?」


 真経津まふつは、両腕をあげた構えで大刀を止めた少年に、とまどった。

 が、好機かもしれぬ。少年からは殺気が消えた。今なら脇腹を横殴りに。真経津まふつは大刀を素早く、少年の胴めがけて横にすべらせた。手応えは。ない。少年は、後ろへ飛びすさっていた。

「わしの呪縛を断ち切るものは、須受すずの音が聞こえる者じゃ。それで相違ないなっ! ツムガリ!」


『うむ』

 〈声〉が答えた。

 

 少年は、まったく息を切らさず、くるりと舞うように真経津まふつに対し居住まいを正した。

われに名をくれ」


 追い詰めているのは、真経津まふつであるはずなのに、いつの間にか少年に追い詰められている。

「くれ」

 それは脅しで、懇願なのか。


「や、やる」

 ひりついたのどから、真経津まふつは声を出した。

「おまえの名は、須受すずだっ!」

 とっさに、それしか思い浮かばなかった。


「くだれっ。われら国堅くにがための軍が、すでに、この一帯を制圧した。逃げようなどと思わぬほうが身のためだっ。その大刀たち、こちらに渡せっ」

 真経津まふつは左手を差し出した。


「……どう思う?」

 誰に聞いているのだろう。少年の右手は直刀ちょくとうの柄にある。

『どちらのためでもある。定めは成った』

 〈声〉が明滅した。

『渡してよい。どうせ、おまえ以外のものには使えぬ刀だ』

 姿の見えぬ者の〈声〉が。

『この者について行け。神鈴しんれいの導き』

 この声は、少年にしか聞こえていない——。


「わかった。ていねいに扱えよ」

 少年は、抜いていた大刀たちを腰の漆黒のさやに収めた。それごとはずすと、まるで主君が部下に渡すように真経津まふつ大刀たちを、ぐいと差し出した。

 思わず、捧げ持つように真経津まふつは剣を受け取り、まるで重さのない羽のような軽さに、つんのめりそうになった。


(なんだ、この刀は)

 大刀たちは、たいてい重いものだ。ゆえに、成人にしか扱えぬ。

(ふしぎな大刀たち。ふしぎな少年よ)


 そして、大刀たちを持たぬ少年から先刻までの殺気が、すっかり抜け落ちた。哀れな子供にはちがいない。今日、一族は死に絶えたのだから。


 真経津まふつは、くるりと少年に背を向けて、もと来た方へ歩きはじめた。彼が、須受すずという名をやった少年は、うしろをついてくる。

 木立を抜け、そこで待機していた部隊と合流した。


「向こうで数人、やられた。とむらってくれ」

 誰に、とは言わずに真経津まふつは部下に命じた。


 そして、留め置いていた自分の馬に近づくと、その愛馬の左右の耳がバラバラに動き鼻孔が大きくなった。と視線は定まらず、こころなしか、けわしい。

おびえている)

 火にも水にもおびえぬ馬であったはずだ。そのような素振りを見るのは、真経津まふつには、はじめてだった。


「われがこわいのだそうだ」

 真経津まふつのうしろから少年は、顔を反らしている馬を見ていた。

「おまえ、馬の言葉がわかるのか」

 この少年なら有り得るかと、真経津まふつは思った。

「いや。訳すものがいる」

 少年は小声で馬に向かって、「あきらめろ」と、言った。すると、馬はこうべをたれた。あきらめたということか。

「では」

 真経津まふつは手を伸ばし、少年の脇腹を片手で抱え、かるがると自身ごと馬の鞍にまたがった。

 少年は真経津まふつの前にまたがされて、「うへぇ」と、変な声を出した。

 それが年相応の反応で、真経津まふつは少し笑ってしまった。


『ハハハ』

 かわいた〈声〉も笑った。

 真経津まふつの背にある、少年の大刀たち。どうやら、そこから声はする。


 真経津まふつの馬は、岩山をくだり木立を抜けた。

 馬上から少年に見えたのは、彼にとっては未知の世界だった。


須受すず

 さっきもらった自分の名を、少年は口の中で転がした。

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