第2章:強気なキャリアウーマンの弱点
茜が入社した時には、すでに就職倍率は5倍以上という難関企業だったものの、茜は持ち前の行動力と発言力で入社試験を突破した。入社してからも仕事の覚えが早く、3か月もする頃には部内でトップの営業成績を残して表彰されていた。そんな茜にも一つだけ弱点があった。それは田舎出身だったということだ。田舎出身であること自体はそれほど咎められる事もないのだが、電車主体の都会の生活に茜はなじめず、上司との待ち合わせや客先への訪問に苦労していた。
小早川に相談した茜だったが、『慣れるしかないな。そうだ、駅の掲示板を使ったらどうだ?まぁ、あまり仕事で使っている人は少ないがな。ただ、客先に遅れるよりはいいんじゃないか。慣れるまで使ってみるってのも一つの手だと思うぞ。』そう助言された。『掲示板ですか?』茜が聞き返すと、『ああ、お前の営業エリアは上野駅近辺だろ?上野駅だったら改札を出たところに掲示板があるから、そこで客先と連絡を取るようにしたらいい。俺が先方の社長に根回しはしておくから。』そう言い終わると、小早川は秘書からの呼び出しに席を立った。
それからというもの、小早川の根回しもあって、茜は駅の掲示板を利用して客先と連絡をとり、商談に遅れることもなくなった。ますます営業成績を上げていった茜は小早川に御礼を伝えた。掲示板が非常に便利だと感じた茜は、プライベートでも掲示板をよく利用するようになった。都会に出てきて仕事も慣れてきたころだったため、友達が出来たことがその理由だった。
特に、美人の茜を周りの男が放っておくはずもなく、次から次に食事の誘いがあった。ただ、茜は電車が苦手だったことからほとんど断っており、社内の知り合いぐらいとしかプライベートを共にする事はなかった。これからは仕事に関係のない人とも仲良くなれるかもしれない、茜はそんな期待を掲示板という存在に感じていたのだ。
ある日の仕事終わりに、茜は最寄りの駅でとある男性と待ち合わせをしていた。この男性とは近所のスーパーで買い物している時に声を掛けられて、何度かアタックされていた。当初は断っていたが、掲示板を利用するようになった茜は週末にデートの約束を承諾したのだ。駅に着いてみると、掲示板に次のように書いてあった。『茜さん 仕事が長引きそうなので今日はご帰宅ください。明日、約束の時間にここで。 智一』例の男性からの書置きだった。
『なんだ、残業ってことか』少し残念に思っていた茜だが、明日はすでに約束しているし、今週は外回りが続いていたこともあり、疲れていたので丁度いいと考えていた。時間が出来た茜はいつものスーパーに寄って、つまみと缶ビール2本、そして今朝方使い切ってしまったゴミ袋を購入した。
ツルツルしたスーパーの袋は疲れていた茜を苛立たせた。まだ若かった茜はスーパーで見るオバサン達がやるように、指を舐めて袋を開けるという行為をしたくなかったからだ。ようやく開いた袋に買ったものを詰めていると、ふと誰かに見られているような気がして視線をゆっくりと上げた。頭は動かさずに目玉だけをキョロキョロさせてあたりを見てみるが、特に自分を見ているような人は居ないことに気づいた。
『今週は頑張りすぎたかな・・・多分気のせいでしょ。』
元来カラッとした性格の茜はそう心の中で呟いて荷物をまとめると、仕事カバンを肩にかけて左手でスーパーの袋を持ちながら、右手で後ろ髪を掻き上げた。スーパーから茜の住むアパートまではそれほど距離はないので、いつも歩いて帰るのが常だったが、仕事で歩き回っている茜にとっては、なるべく歩きたくないといつも思っていた。
『ただいまー』
今にも切れそうな蛍光灯がチカチカする階段を、ヒールで踏み外さないように上りながら、茜はいつものようにつぶやいた。ポケットから取り出したキーホルダーで玄関をガチャガチャやった後、キーっと小さく軋むドアを開けながら茜は部屋の中に入った。茜が住んでいるアパートは社宅になっており、家賃は会社が負担しているので生活は楽だった。
ただ、当時は女性の一人暮らしに対しての配慮はそれほど十分ではなかったため、裏通りに面したこのアパートの立地には茜は不満をいただいていた。それでも、2DKの間取りで築年数も12年とそれほど古くない社宅のアパートは、都内ということを考えればかなり贅沢なもので、さすが一流商社と言わざるを得ない。茜は仕事から帰りこの間取りを眺めるたびに就職試験を頑張ってよかったと自分を褒めているのだった。
買ってきたつまみを電子レンジで温めながらスーツを脱いで部屋着に着替えようとした瞬間、茜はさっきの嫌な感じがした。ふと窓の方角を見るとカーテンが開いている。さすがに女性の一人暮らしでカーテンを開けたまま着替えをするのは良くないと思った茜は、窓際へと歩み寄った。次の瞬間ー
『え!?』
茜は息を飲んだ。
15cmほど開いていたカーテンを閉めようとしたその刹那、窓の外の裏通りに人影が見え、自分のほうをじっと見ているような気がしたのだ。思わず後ずさりしてしまった茜だが、意を決して再度窓の外を覗いてみたが、そこには誰もいなかった。『なーんだ』カラッとした性格の茜だったがその時ばかりは自分に言い聞かせるかのように意識して声に出していった。
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