イケナイこと

 調理実習は四限目だったので、授業のあとは昼休みだ。


 今日は月曜日で、図書委員のカウンター当番の日。詩織と合流して図書室に向かい、俺たちはカウンター席にふたりで並んでいた。


「――それで美風がねちゃってさ。俺の手の甲をツンツンつついてきたんだ」

流石さすがは美風さんですね。これぞツンデレという態度です」


 調理実習で作ったマフィンをプレゼントした俺は、その流れで先ほどの出来事について話していた。


「美風さんの機嫌は直ったのでしょうか?」

「それなら大丈夫。こっそり指を絡めたら喜んでたから。まあ、美風本人は喜んでいるのを隠したかったみたいだけど」

「その光景が目に浮かびます」


 詩織が鈴を鳴らすような声で笑う。笑わせたこちらが幸せになるような、心地よい笑い声だ。


「詩織のほうは、授業でなんかあったりした?」

「そうですね……三限目に生物の実験があったのですが、佐文さもんさんがカエルの解剖をするのではないかと勘違いしていまして」

「今時はそんな授業ないんだけどな」

「ええ。勘違いした原因はおそらく、小説でそういうシーンが出てきたためでしょう。ひどくおびえていたのか、解剖ではないとわかったとき、安心のあまり逆に泣き出してしまいました」

「面白い子だなあ、佐文さん」


 佐文さんとは、詩織のクラスメイトであり、友達でもある女子生徒だ。詩織と同じく読書好きで、それがきっかけで仲良くなったらしい。


 お茶目で可愛げがある詩織だが、表情にあまり変化がないせいで、近寄りがたい存在だと勘違いされてしまう傾向にある。そんな詩織に友達ができたのは、俺にとっても嬉しい出来事だった。


 カウンターの仕事をしているとき、俺と詩織はいつもこんなふうに雑談に興じている。本来、カウンターの仕事は味気ないものだと思うが、詩織とお喋りしていると、あっという間に時間が経ってしまう。


 好きな子が隣にいれば、どんなことでも楽しくなってしまうんだなあ。


 そんなことをしみじみと思い――ふと気づいた。


「そういえば、本は読まなくていいのか?」

「本、ですか?」

「ああ。詩織が図書委員会を選んだのは、本が好きだからだろ? 図書室ここの蔵書を確認してたこともあったよな? それなのに、本を読まないで俺とお喋りしていていいのか?」


 尋ねると、目をパチクリさせてから、詩織が口元を緩めた。


「たしかに本は好きです。けど、蓮弥さんとお話するのはもっと好きなんです」


 俺はドキッとした。


 いまの発言はもちろんだが、それに加えて、詩織がカウンターの影で俺の手を握ってきたからだ。


「この時間は大好きなひとを独り占めにできるのですから、お話ししないともったいないですよ」

「そ、そういう恥ずかしいこと、よくストレートに口にできるな」

「ストレートに口にしたほうがお得なんですよ。このように、蓮弥さんが可愛い表情を見せたりしてくれますから」

「可愛いって言われても嬉しくないんだが……」


 赤くなっているだろう頬を隠すため、繋がれていないほうの手で顔を覆う。そんな俺のリアクションを、満足げな目で詩織が眺めていた。


「すみませーん」

「は、はいっ!?」


 その折り、唐突に声をかけられて、俺はビクッと肩を跳ねさせる。


 慌てて声のしたほうを向くと、一冊の本を手にした女子生徒が、キョトンとした顔でこちらを見ていた。


「なんかビックリしてますけど、大丈夫ですか?」

「は、はい! 全然まったくこれっぽっちも問題ないですよ!?」

「……そうですか」


 挙動不審になる俺の様子に怪訝けげんそうになりながらも、女子生徒が追及してくることはなかった。そこから察するに、俺と詩織がイチャついていたことに、彼女は気づいていないだろう。本当によかった。


 こっそりと胸を撫で下ろしていると、女子生徒が、手にしていた本を差し出してくる。


「この本、借りてもいいですか?」

「大丈夫ですよ。蓮弥さん、そこの貸出カードを取ってもらえますか?」

「あ、ああ。OK」


 詩織が女子生徒に対応する。その態度には、俺とは対照的に一切の動揺もない。流石はクールビューティーだ。


 ただし、詩織はクールなだけでなくデレでもある。その証拠に、カウンターに隠れて繋がれた手は、いまだに離されていない。それどころか、じゃれつくように、にぎにぎスリスリしてくる始末だ。


 俺の心拍数は速まる一方。貸出カードに必要事項を記入している女子生徒に、俺たちのイチャつきがバレないか、ひたすらにヒヤヒヤしていた。


「これでいいですか?」

「はい。期限内に返却してくださいね」

「わかりました」


 記入を終えて、女子生徒が立ち去っていく。


 彼女を見送った俺は、ぐてーっと椅子の背もたれに体を預けた。


 バ、バレなくてよかった……本当に緊張した……!


 深く息をつく俺の耳元に、詩織が唇を寄せてくる。


「イケナイことしてるみたいで、ドキドキしましたね」

「~~~~っ! か、勘弁してくれよ……」


 ぼやきながらも、俺の口元は笑みを描いていた。


 なんだかんだ、好きな子とイチャつけるのは嬉しいものなのだ。

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