dear.

雨乃よるる

大好きなあなたへ

 ちょっと朝寝坊をしてリビングへ行くと、彼がキッチンでなにやら作っていた。甘い匂いがする。


「なーにやってんの?」


 訊くと、彼はエプロン姿で真剣にボウルと格闘しながら「今日はなんの日か知ってる?」と訊き返す。

 私はわからなかったから、カーテンにさす陽の光を見ていた。二月の、まだ前半だった気がする。節分はもう終わったし……。


「わかんない」


 そう言い終えた瞬間に、キッチンに置かれた材料と、今の寒い季節が結びついて、思い出した。


「バレンタインだ!」


 私が正解をいうと、彼はうれしそうに顔を上げて、そーなの、と話し始めた。


「最近、みーちゃんお仕事忙しそうだしさ、せっかく同棲から初めてのバレンタインだし、俺が作るっきゃないかなって」


 そういえば、彼は今日本来仕事だったはずだ。有休を取ってくれたみたい。


「ありがとう」


 私は浮き足だった気分で、靴下をはいて、パジャマを着替えた。


「なんか、冷やして待たなきゃいけないらしいから、朝ご飯食べよ」


 彼の言葉にうなずく。私の白いスウェット越しに、彼がおはようのぎゅーをしてくれる。胸に顔を埋めて、幸せと同値関係になってしまった香りを吸い込んだ。


 朝ご飯は彼が買ってきてくれるロイヤルなんとかってトースト。ジャムとマーガリン。ミルクパンでことことしたホットミルク。いつも食べ方に迷う目玉焼き。ベーコン。いつも通りすぎて、でもたぶん普通より丁寧なこの朝ご飯が好きだ。

 たいしたことない料理でも真剣に火加減とフライパンを見つめる律儀な彼も、一度私が盛大にジャムをこぼしたシミが残る白いエプロンも、彼と私の実家に偶然まったく同じデザインと大きさのものがあって、嬉しくなってこっちに持ってきたプレートも、大好きだ。


 ちなみにそのおそろいのプレートには「ペアプレート」という名前が付いている。


 お昼ごろ、お店みたいにきれいにラッピングされたチョコを渡す、彼の恥ずかしげな顔。私はお礼を言って、中を開く。きれいに型抜きされたチョコに、トッピングシュガーが乗せてあって、小さいんだけど、小綺麗で。彼のあの手元から、このお菓子ができる場面を簡単に思い描くことができる。私はひとつ手に取って、思いついた。


「お礼に、あーんしてあげる」


 彼はわかりやすく照れる。手を近づけると、目もつぶっちゃったりして。


 幸せそうにチョコを食べる彼の顔を見ていて、なぜだか泣きそうになってしまった。彼から顔を逸らして、何度も拭うけど、涙はとめどなくあふれてくる。


 ふっと、何かが終わってしまうんじゃないかと思って。


 チョコレートを食べたら、幸せがひとつ泡がはじけるように消えてしまうんじゃないかと思って。


「ごめんね。嬉しくて泣いちゃって」


「でも、みーちゃんまだひとくちも食べてないよ」


 彼が心配そうにのぞき込む。


 私はひとつチョコレートを持って、「このチョコを食べたら、終わっちゃったりしないかな」とつぶやいた。


「終わらないよ」


彼は笑顔を作る。


「またチョコを食べればいいじゃん」


 そっか、と、べつに納得したわけじゃなかったけど、私はトッピングシュガーの緑色のやつを一個落としながら、チョコを口に運んだ。


 バレンタインをはさんで笑いあえた、二人の明るい午後。


 そでの涙のしみは、ちょっとふけば乾くくらいだった気がする。


















2024年2月14日 〈わたしのなまえ〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

dear. 雨乃よるる @yrrurainy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ