壊れる

「この人が痴漢です!助けてください!」


「えっ」


起きてばっかりの俺の頭は混乱した。


痴漢、誰、止めないと……


いや、俺の手が掴まれてる、俺?


俺が、痴漢……?


「えっ、俺は何もしていないよ?」


「見てください!この人です!彼は私の尻を触ってました!」


目の前にいるOLからの答えと共に、俺はやっと目が覚めた。


この人は、俺が痴漢だと叫んでいる。


そして、俺の手は彼女の尻を触れている。


「ちょっと待て、俺じゃない?!俺はなにも……」


事態の深刻さに気付き、俺は慌てて手を引き戻した。


「きゃ!何するつもり!」


「え……え……」


俺は弁解しようとしたが、OLは俺の言葉を構わずに更に大声で叫んだ。


「助けてください!私を犯そうとしました!」


「俺は……!」


もうOLになに言っても聞いてくれないことを悟り、俺は周りに助けを求めた。


「俺は……なにもして……いない……」


「こっち見てる、こっわ」


「今時の不良はこんなことまでするのかよ、引くわ」


「絶対あいつじゃん」


「こんなやつに触れてあのOLかわいそう……」


「キモすぎてうけるんだけど」


誰も俺のことを信じてくれない、俺のことを罵倒している。


どうして?俺はなにもしていないのに?どうして俺を信じてくれないんだ?


俺を……信じる…… そうだ!俺ははるきと一緒に居たんだ!


はるきなら、きっと俺を助けてくれる!


「俺はなにもしていないよね、はる……」


最後の希望に尋ねようと後ろに振り向く。


俺はフリーズした。


そこにいる光景は一生忘れることがないだろ。


なぜならそこには足がカタカタ震え、まるでこの世の終わりを目にする、酷く怯えているはるきが居た。


「ひぃ……」


「どうしたはるき、こんなに怯えて」


「ひぃ……」


俺に声をかけられる瞬間、はるきの顔色は更に真っ青になった。


「俺はなにもしていないよ、だからビビらないで」


もうなにもかもわからなくなった俺は、はるきに対話することで必死だった。


ちょっとでもはるきに近つけようと、俺は足を踏み出したその時。


「来ないで!変態!」


「え……」


叫び声だった、今までどんな叫び声よりも大きい声は、頭の中で響いた。


暴走族のエンジン音より大きく、工事現場の騒音より深く。


はるきの言葉が、俺の思考能力を奪った。


「なに言っているんだはるき、俺は……」


きっと俺の聞き間違えだ、もっと近くで聞かないと。


はるきはそんなこと言わない、そんなはずがない。


「嫌!!!!!こっち来ないで!!!!!」


おかしくなったかな俺?


「あいつは他の子にも手を出そうとしてる!」


「警備員どこだ!早く!」


「止まれてめえ!」


そこからいろんな人が俺の前に走り出し、俺を止めようとした。


段々と、俺は動こどころが、はるきの姿を見ることすらできなかった。


「ね……ね……はるき、はるき、はるき」


「警備員だ!痴漢はどこだ!」


「この人です!」


俺はそのまま捕まれた。


そこからなにが起こったのかはよく覚えられなかった。


警察署に来たお母さんは酷く怒った。


「俺は痴漢なんでしてない……」


「なに言っているのよあんた、早く謝りなさい!」


「でも……」


「そんなこと知らない!全てあんたのせいよ!本当に申し訳ございません、愚息への教育が足りなかったことばっかりに……」


「え……」


そうだ、きっとお母さんは仕事で疲れているんだ、だから面倒ごとに巻き込ませた俺に怒っている、仕方がないんだ。


姉さんなら、姉さんならきっと分かってくれるはずだ。


「コウくんは何もしていない、私は知ってるんだから」って慰めてくれる。


きっとそうだ。


色々調査された後、翌日警察署から仮釈放した俺に、姉さんは酷く怒った。


「俺は無罪だよね、そうだよね姉さ……」


「どうしよう、この家どうなっちゃうの、このままだと……」


「姉さん、大丈夫……?」


「コウは黙ってて!あなたのせいでこの家は!私たちは終わったのよ!」


「え……」


そうだ、きっとお姉さんは勉強で疲れているんだ、そんな弟が居たら学校での風評が影響されるかもしれない、だから仕方がないんだ。


詩織なら、詩織ならきっと分かってくれるはずだ。


「あんたがそんなことする訳ないでしょ、バカバカしい」って、信じてくれる。


きっとそうだ。


次の日、学校に戻ったら、机は落書き塗れになった。


『変態』、『最低』、『死ね』、『犯罪者』、『キモ』。


周りのクラスメイトは俺を見ながらぶつぶつと話している。


「あいつか……」、「いつかやらかすと思ったよ」、「視線だけで妊娠しそう、怖っ」。


俺は教室から逃げ出した。


詩織なら、詩織ならそんなこと言わない……


廊下で出会った詩織は酷く怒った。


「来ないで犯罪者!」


「え……」


「あんたのせいで……友たちとの居場所がなくなったのよ!」


「それは一体……」


「私は犯罪者の幼馴染なんかじゃない!これ以上近づくと、人を呼ぶわよ」


「……ごめん」


そうだ、きっと詩織は人間関係で疲れているんだ、犯罪者の仲間扱いは嫌だよね、だから仕方がないんだ。


はるきなら、はるきならきっと分かってくれるはずだ。


「泣かないで、はるきは信じてるもん!」って、側に居てくれる。


昼休みで、俺は先生に呼び出された。


「先生はあなたに失望したよ」


「ごめんなさい……」


「真面目な生徒だと思っていたのに」


「ごめんなさい……」


「退学されていないだけでもありがたく思いなさい」


「ごめんなさい……」


先生は厳重に俺に説教した。


もう何もかも疲れた。


はるきと、はるきとお話したい。


「ひぃ!」


「はる……き……」


放課後、校門で出会った瞬間、はるきは逃げ出した。


そうだ、きっとはるきはまだショックから立ち直っていないんだ、こんな出来ことがあったら誰でも怖がるよね、だから仕方がないんだ。


捕まれたことはまだ昨日のことだし、もっと時間が経てばみなもきっとわかってくれるはず。


うん、だから今は我慢だ。


……


「姉さんおはよう、朝ごはんできて……」


「学校で勉強するから、邪魔しないで」


「詩織じゃないか、お出かけ中なの……」


「警察署に帰りたくないなら、さっさとう私の前から消えろ


「勉強お疲れ様、お風呂用意したよ」


「誰のせいでこうなってると思っているの、部屋から出て行って」


「おはよう、途中まで一緒に行かない?」


「邪魔」


「姉さん!」


「……」


「詩織」


「……」


「はる……き……」


「嫌、来ないで」


数日ぶりに出会ったはるきが走っていく後ろ姿を見ながら、俺は絶句した。


姉さんも、詩織も、はるきも、元に戻るところが、前よりもっと冷たくなった。


なら……なら……なら……


きっと……もうちょっと……あれ?


あれ、俺を分かってくれる人は、どこ?


あれ、俺の帰れる場所は、どこ?


誰?誰?誰?


ははは、ないんだよねそれが。


「ああああああああああ!」


俺は叫びながら走り出した。


……


「なんだ、あいつ」


「びっくりした」


「えっ」


知らない人の声を聞こえた、俺はなんだか目を覚ました気がした。


気付ば俺は駅前まで走ったみたい。


何十メートルの前には、駅に入ったり出たりの人の人混みができている。


なぜか、俺の視線はそこから離れなかった。


「家に帰らないと……」


それでも足を動けなかった。


ど……どうして?


『目を逸らしていいのか?』


え?なにを言って……


『考えてみろ?もしもの話だけどさ』


もしも?


『もしもお前はそこにいる誰かに触ったな、どうなる?』


それは、まだ痴漢沙汰になるんじゃ……


『正解、まだ警察に捕まれ、今度こそ本当に人生終了になるかもしれないね』


そうだけど、それは目を逸らすこととなんの関係が……?


『お前は今そこの誰にも触れてない自信はある?』


当たり前だろ、何十メートル前にいるんだぞ。


『本当に、百パーセント何もしてない自信はある?』


それは……もちろん……


『でも、万が一なにがしたら、終わるんだよ、人生』


え……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


もう姉さんたちを傷つけたくない。


もうみんなに拒絶されたくない。


『ようやく理解したな』


でも、どうすれば?


俺の手にはなんの感触もないだけど。


『そうだな……顔だ!彼らの顔を見ようよ!』


顔?


『もしも何かされたら、彼らの顔はどうなると思う?』


俺に、嫌う視線が……?


『その通り、逆に言うとお前にそんな視線を向けてないことは大丈夫ってことさ、だから確認しよう』


そっか、そうだよな。


確認しよう、確認しよう、確認しよう。


そこのOL、大丈夫、おじさん、大丈夫、お姉さん、大丈夫、子供、大丈夫、おばさん、大丈夫。


おじさん、大丈夫、おじさん、大丈夫、おじさん、大丈夫、お姉さん、大丈夫、お兄さん、大丈夫。


男、大丈夫、女、大丈夫、女、大丈夫、女、大丈夫、男、大丈夫、女、大丈夫、男、大丈夫、男、大丈夫、女、大丈夫。


あれは、学校の後輩?大丈夫、大丈夫だよね?触れてないんだよね?


『なに変なこと考えてるんだよ、現実になったらどうする』


そうだよね、いやだよね、思考をできるだけ止めよ。


『呼吸が大きすぎる、邪魔だ』


そうだよね、邪魔だよね、できるだけ呼吸しないようにしよう。


『あれ?あいつは?お前ちゃんと確認したのか?』


大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。


……


『まだ変なこと考えた』


『もっと見ろ』


『視線を集中しろ』


ね。


『何?』


いつ終わる、これ?


『さぁな』


太陽が沈んだよ。


『時間が過ぎるの早いね』


呼吸が辛いだけど。


『そっ』


目が痛いだけど。


『そうだなぁ』


めちゃ苦しいよ。


『人生終了よりはましだろ』


帰りたいよ。


『はい人生終了』


それは嫌だよ。


『じゃここに残れ』


そんな……


今は何時?俺はいつからここに立ってた?俺はいつ家に戻れるんだ?


どうして、俺はこんな目に、こんな辛い目に合わなきゃいけないんだよ?


俺があの電車に乗ったから、仮眠したから、それとも……


俺は人を痴漢する最低野郎だから?


「ね、大丈夫かあんちゃん、ぼうとして」


「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」


「うわっ!?ちょっと、気を確かに!?」


誰か、誰か、俺を。


助けてくれ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


全てを信じなれなくなった俺は、壊れてしまった。

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