くだらないことのすべて、一秒後に胸を揺らすことのすべて

夢月七海

上 くだらないことのすべて


 すべての物事に、始まりがある。

 宇宙の始まり、惑星の始まり、生命の始まり、人類の始まり、そして、きみたちの始まり。


 これからが話す物事も、とある「始まりの物語」である。


 舞台は、遠い遠い、から数えると、気が遠くなるほど昔。

 きみたちとは異なる世界。大陸の北の果て。不釣り合いなほど緑の豊かな草原の中。巨大な神木に見守られた小さな村。


 主人公に当たるのは、一人の少女。名前は、パピリオ・ブロンマプラン。

 そして、『彼』。その正体と名前は、後ほど。


 さあ、舞台は整った、役者は揃った。は、もう滑り出している。

 では、「始まりの物語」へと、きみたちを誘おう……。






   ◖◗







 神木に守られた北の村の一つ、ラウンディル村。そのサヴォン通りに面した二世帯が暮らす一軒家、ジュシィとカイノ夫婦の最初の子供として、パピリオは誕生した。

 火のように燃える赤い髪に澄んだ湖のような青の瞳と、この村内では珍しくもない容姿の彼女だったが、それに対して性格は非常に変わっていた。まず、五歳になっても友人が一人もいなかった。


 近所に年の近い子供は住んでいた。しかし、彼らがおにごっこやかくれんぼの遊びに興じていても、パピリオはその輪に加わらなかった。

 だが、出不精で人見知りな訳でもない。彼女はいつも家を飛び出すと、村の中や外を探索していたからだ。


 パピリオは、外の世界に見られる、普通の人たちなら「くだらないもの」と気にしないようなすべてを愛していた。

 どこにでも生えている雑草を、葉の裏までよく観察した。地面に落ちた、ガラスの反射光の行く末を、太陽が沈むまで追いかけた。古い井戸に小石を投げて、波紋が生まれてから消えた後、また小石を投げてを、何度も何度も繰り返した。


 それだけではなく、パピリオの瞳は、普通の人には見えないものも視た。いわゆる、霊感を持っていたのだ。

 パチパチと笑って弾ける火の精霊や、花の上で微睡む妖精たち、南から来た春の使いが上空から手を振るのを、彼女はその目に映した。家族をはじめ、周囲の人たちは、何もない空間を眺めるパピリオを、少々不気味に思っていたが、彼女は見た者を誰にも言えなかった。


 村に生まれた霊感のある子供は、すべからく神木に使える聖職者になる。パピリオは、聖職者たちのことを尊敬していたが、彼らのように一年の殆どを聖堂で過ごすような人生を送りたくなかったから。

 村で営まれる暮らしを、その外に広がる自然を、パピリオはずっと見ていたかった。くだらないことをすべて愛する彼女にとって、それが自分の使命のように思えていた。神木様も、そう望んでいるに違いないと解釈して、自身の霊感のことはじっと黙っていた。


 ただ、そんな彼女のことを理解してくれる者は、残念ながら一人もいなかった。母のカイノが機織り仕事をしているのをじっと眺めていると、「友達と外で遊んで来なさい」と追い出されて、彼女の探索ごっこに子供たちが加わっても、半日間の蟻の観察に全員飽きて離れてしまった。

 そんなことが続くと、パピリオも周りと馴染もうとするのを諦めていた。元来はおしゃべりな性格の彼女だが、見たものを心に秘めるようになり、物静かな子だと評されていた。


 両親は、成長するにつれて、そんな性格も治るだろうと期待していた。実際は真逆で、年を重ねるうちに、パピリオの行動範囲は広くなり、家に帰るのも遅くなっていった。

 そして、パピリオが十歳になった年に、ブロンマプラン家に転機が訪れた。これまでは、祖父母と一緒に暮らしてきたのだが、パピリオの父・ジュシィが家を持つことを許されたのだった。


 村の中に新たな家を作ること自体が、特例であった。農耕や畜産が定着しない程、村人たちは神木より与えられた土地を大切にし、大切な恵みである樹木を切り倒すのを躊躇っていたからだ。

 ジュシィは、漁師であった。草原を出て、雪と氷に閉ざされた大地を行き、氷を割って、釣り糸を垂らす。数か月帰れないこともある危険な仕事に従事するジュシィを労いたいと、長老が親子三人に持ち家を許してくれた。


 さて、村の一番端に新たな家の建設が始まると、パピリオはその現場へ向かい、一日中大工の仕事を見ていた。最初は優しくパピリオの質問に答えてくれた大工たちが、だんだんと彼女を軽くあしらうようになっても、めげずに通い続けた。

 六日に一度は、大工たちの仕事が休みになる。今日は、出来るだけ遠くに行ってみよう。そんな目標を抱いて、寄り道も殆どせずに、彼女は草原と雪原の境目までやってきた。


 パピリオは足を抱えるように座り、遠くで霞んだ神木を見据える。この日も草原は暖かく、目を閉じればあっという間に眠ってしまいそうだ。

 と、彼女は真後ろに、何かが降り立つ音を聞き、はっと目を開けた。と同時に、背筋を冷たいものがぞくりと走っていく感覚を抱く。


 振り返ると、一人の男が立っていた。自分や村人とは異なる肌の色や顔つきをしているため、年齢は外見だけでは分からない。左は夜明けのような紺色の瞳、右は血のような真っ赤な瞳をしていたが、それ以上に気になるのは、彼の恰好だった。

 髪の毛の全てを刈れ草色の細長い布を巻いて覆い隠し、上着は筋肉のように膨らんだ奇妙な分厚さ――きみたちで言う所のダウンジャケット、を着込み、下半身はスカートのような一枚布の内側にジーンズ生地のズボン、黒い革のブーツを両足に履いていた。さらに、右手はスーツケース、左手はキャリーバッグ、肩からも大きな鞄を下げて、背中にも大きなリュックと、あらゆる鞄を持っていた。


 ぽかんと自分を見上げるパピリオに気付くと、彼は「やあ」と、パピリオにも分る言葉で話しかけた。着膨れして鞄だらけの体が動くと、首元の青水晶のネックレスも揺れる。


「君は、ここの聖地の子かい?」

「うん。ラウンディル村に住んでいるの」


 話が出来るのならば、色んな事を知りたくなったパピリオは、立ち上がって彼と向き合った。


「おじさんはどこから来たの?」


 彼の指すところの「聖地」は、神木がその枝から垂らした気根より内側のことだ。気根の長さも規格外で、はるかな上空から地面に付くほどであり、雪原への出入りの際には、これをすだれのように何メートルもかき分けて進まなければならない。不可能ではないが、時間が掛かることを、パピリオは父の話で知っていた。

 それなのに、全く足音をさせずに、そんな苦労も見せずに、パピリオの背後に立っていた男は、その疑問も最もだと言いたげに頷いた。


「実はね、おじさんには不思議な力を持っていて、右足で二回、地面を叩くだけで、好きな場所と時代に行けるんだよ」

「すごい!」


 いわば、魔法のような不思議な力を持った人間と初めて会ったパピリオは、無邪気に目を輝かせた。妖精や精霊が身近な存在だった彼女にとっても、魔法は未知の力だったからだ。

 そんな少女の無邪気さに気圧されたかのように、男は布越しに自分の頭を搔く。


「大体怖がられるだけどね、君みたいな反応は初めてだ。君、名前は?」

「パピリオ。おじさんは?」

「ヤスミって言うんだ」


 色の異なる瞳で笑って、男はそう名乗った。パピリオは、その訊いたことのない名前の響きに、どこか遠い国の人だろうなと考えた。

 村の風習では、雪原を越えてきた旅人はもてなすことになっている。ヤスミは、雪原を越えてきていないものの、旅人ではある為、パピリオは自分が出来る限り彼をもてなしてあげようと思った。


「ヤスミおじさん、どこか見てみたいところはない? 案内するよ!」

「うーん、その前に、ちょっと上着を脱いでも良いかな。北の大地にあるって聞いていたけれど、思ったよりも暑くてね」

「あ、そうだね」


 今日も長袖のワンピースだけを着ているパピリオには、この草原の毎年春のような陽気は心地良かったが、ヤスミは立っているだけなのに、額に汗を滲ませている。彼は、上に来ていたダウンジャケットを脱ぎ始めた。


「神木の気根が雪や風を避けているとは聞いていたけれど、上の方もああなっているなんて、予想外だったなぁ」

「うん。神木様のお陰で、私たちはいつも太陽の光を浴びれるんだよ」


 ヤスミと共に、空を見るパピリオ。神木が茂らせた、半透明の葉を通って、日光が降り注いでいる。太い枝も巡らせているが、空と比べると毛細血管のように小さく見えている。

 雲よりも高い位置から、神木は枝を空の遠くまで広げている。幹を中心とした半円型の枝と透明な葉が雲を退け、天頂から三分の一ほどの枝から下に降りた気根が、風を避ける。そうして守られているのが、この「聖地」であった。


「あそこにあるのが、噂の神木か」

「うん。ここからだとよく見えないけれどね」

「だけど、その大きさはよく分かるよ。あんなに大きな木を見たのは初めてだ」


 脱いだズボンを畳みながら、ヤスミは感嘆の息を漏らす。

 神木は、一つの山と相違ないほどの大きさを誇っていた。幹の上には緑の葉が茂り、その下には、神木が落とした種たちが成長し、一つの森となって鬱蒼と地面を覆っている。


「神木様は、世界が始まると同時に生まれて、その大きな体で、地面と空とを繋ぎ合わせてくれたんだって」

「なるほど、貫禄の逸話だ」


 パピリオが神木の伝説を披露すると、ヤスミは何度も頷きながら、腰を屈める。そして、スーツケースを開くと、そこの真っ暗で何もない空間の中へ、自分のダウンジャケットとズボンとブーツを入れた。

 また信じられないものを見て、目を丸くするパピリオをよそに、ヤスミは何もないスーツケースから、草履を一足取り出す。スーツケースを閉めて、それを履いている時に、やっとパピリオの驚きに気が付いた。


「ヤスミおじさんの不思議な力なの、それも」

「いや、これは誰でも使える魔法の道具さ。あちこちをずっと旅しているからね、いらないものをこんな風に何でも出し入れするのに便利なんだよ」


 立ち上がったヤスミがそう説明してくれた。服を脱いだ彼は、随分とすっきりした服装になっていた。パピリオがスカートだと思っていた下の服は、上のものと繋がった一枚の布を、前で合わせて帯で押さえたものであった。

 パピリオはもちろん知らなかったが、その空色の上に細い雲色と月色の縦縞模様の服は、着物と呼ばれる。ただ彼女は、どこの服かな、雪原だと寒そうだなと思うだけだった。


「じゃあ、パピリオちゃん、案内してくれるかな?」

「うん! ヤスミおじさん、こっち!」


 躊躇わずに自身の手を取ったパピリオに目を丸くしながら、ヤスミは引っ張られるままに歩き出した。パピリオは知っている限りの、他の人にとってはくだらないものを、しかし自分にとっては美しくて大切なものを紹介した。

 例えば、地面に落ちた神木の透明な葉。地面の巣穴から出入りする蜂たち。両手を広げたパピリオよりも小さな湧き水の池。この草原のどこにでも生えている草や花も、一つずつ名前を教えた。


 ヤスミはパピリオの言葉を、最後までしっかり聞いてくれた。分らないことは質問し、自身の知識も披露してくれた。そうやって、自分の話に向き合ってくれた相手は初めてだったので、パピリオもいつも以上に話したが、それもヤスミはにこにこしながら受け入れてくれた。

 ただ、逐一そんな風に寄り道していたので、パピリオが一番紹介したかった、神木の根元の森はまだ遠かった。もうちょっと急いだほうがいいのかなと、パピリオがちらちら窺っているのを、ヤスミは少し勘違いしたようだった。


「そろそろお昼だし、休憩がてら、ご飯にしないかい?」

「うん。おじさん、何か持っているの?」

「食べ物もたくさん持って来ているからね」


 普段の嘲笑では一度家に帰っているパピリオにとっては、草原での昼食は初めてだった。ヤスミが下したリュックから取り出したシートを、広げるのもウキウキしながら手伝う。

 神木を臨みながら、ヤスミが持ってきた食べ物を一緒に食べた。彼が渡してくれたおにぎりという食べ物は、真っ黒い外見に対して、中味は真っ白で、さらには酸っぱい実が真ん中に入っていて、パピリオは一口ごとに驚きながら食べていった。


「おにぎりって、どこの料理なの?」

「僕のふるさとの料理だよ」

「ヤスミおじさんは、色んな所に行って、色んな景色を見たり、色んなものを食べたりして、楽しいだろうなぁ」

「大変なことも多いけどね。でも、ずっと旅を続けているのは、楽しいからだね」


 ヤスミのほぐれたような笑顔を見て、パピリオは彼の旅をもっと聞きたいと思った。彼とは反対に、自分はこの村と草原から外へは、一生出ることはないだろうと悟っていたからだった。


「ねえ、おじさんの見てきた世界の話、もっと教えてよ」

「そうだな……」


 全身で聞こうとしてくれるパピリオに、ヤスミも気を良くして、滑らかに話してくれた。二人とも、昼食を食べ終わって、水筒の麦茶もなくなっても、ヤスミはずっと自分が見たものを語っている。

 例えば、空を突くほどの高さを誇るビルという建物。座ったまま、大陸を横断できる電車という乗り物。宇宙の彼方の別の星で生まれ育った人々。どこまでも荒涼とした砂漠という土地。火や氷などの自然も操る魔法の力。歌うことや踊ることを生業とした人々。犬や猫や馬といった、人間と仲の良い動物たち。幸福にしたり、不幸にしたり、人間たちを気まぐれに振り回す、目には見えない妖怪たち。死んだ人間の魂が向かうあの世という場所……。


 その世界の人にとっては、当たり前なありふれているものの話も、パピリオにとっては全て素晴らしく、美しいものに聞こえた。あまりに熱中していたので、ヤスミが「とまあ、こんな感じかな」と話を締めくくった時には、大きな拍手を送ったほどだった。

 ヤスミと昼食の片付けをしていても、パピリオの興奮は中々冷めなかった。聞いた世界を想像しては、うっとりと夢を見るような眼をしている。彼女にしては珍しく、周りの風景が見えなくなってしまうほどだった。


「あたしも、そんな風に色んな世界を見れたらなぁ」

「でも、パピリオちゃんが住んでいるこの聖地も、他の世界にはないものだよ。あれほど大きな神木に、見守られている場所は、きっとここ以外にはないだろうね」

「そうなの? ふふふふ」


 思いがけず、故郷を褒められて、パピリオはくねくねと体を動かしながら恥ずかしがった。そんな唯一無二の聖地をおじさんにもっと教えてあげたいと、張り切って案内を再開する。

 だが、気根の位置の関係で、この草原の午後は短く、夕暮れは早い。神木の根元に辿り着く前に、辺りは暗くなり始めていた。


「ヤスミおじさん、今日はラウンディル村にあるうちに泊まってよ。お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、いっぱいおもてなししてくれるよ」

「パピリオちゃんの申し出はとても有り難いけれどね、僕はここを立ち去るよ」

「え? どうして?」


 申し訳なさそうに眉を下げるヤスミを見て、パピリオは信じられない気持ちで彼を見た。まだ、神木の森にも行っていないのに、今日で帰ってしまうのはもったいないと思っている。


「僕もね、もっとこの聖地を知りたいけれど、これ以上神木に近付くのは無理なんだ。パピリオちゃんも、薄々気付いていると思う」


 パピリオは、ヤスミの真っ赤な右目を見据えた。が、すぐに目を逸らした。彼女には経験の無い筈なのに、獰猛な獣と向き合ってしまったかのような、本能的な恐怖を抱いてしまう。

 加えて、妖精たちが全く姿を見せないのも、気にかかっていた。好奇心の旺盛な妖精たちは、旅人が来るとすぐに近寄って、服の裾や髪の端で遊び始めるのだが、ヤスミの場合は足音を聞いただけでも、草葉の陰に隠れてしまう。パピリオにとって、こんな妖精たちの様子は初めてだった。


「この右目は、邪悪な魔力を秘めている。時間も空間も飛び越えられるけれど、聖なるものには拒絶されてしまうんだ」

「うん……」


 ヤスミの境遇を思い、俯いてしまったパピリオに、当の本人の方が励ますように笑いかけた。


「そんな顔しないでよ。こんな僕にも、優しく接してくれただけでも、嬉しいんだからさ。あ、そうだ。僕は色んな世界のお土産を持っているんだ。これを売ることもあるけれど、パピリオちゃんにはお礼として、一つ、好きなのをあげる。どれがいいかな?」


 しゃがんだヤスミは、肩掛け鞄から、たくさんの物品を次々に取り出す。しょぼくれていたパピリオも、その色とりどりな商品に目を奪われて、じっと眺めていた。

 未来の機械や魔法の道具も交じり、パピリオにはどんな使い方をするのか見当もつかないものばかりであったが、その中の一つに、彼女は目を奪われた。未だ、鞄からお土産を取り出しているヤスミをよそに、パピリオは紫色の布の束を手に取る。


「おじさん、これが良い」

「うん? その、何の変哲もないチュルバンが良いの?」

「うん。おじさんの頭に付けているのとお揃いだから」


 パピリオが指さした刈れ草色のチュルバンを押さえて、ヤスミは苦笑する。


「嬉しいけれど、これは男性用の頭巾だよ。本当にいいのかな?」

「いいの。つけさせたいひとがいるから」


 自信満々にパピリオが頷いたので、ヤスミもそういう事ならと受け入れてくれて、他のお土産を鞄に戻し始めた。

 全て仕舞い終えたヤスミが立ち上がった時には、夕方も終わりに近付いていた。普段ならば、パピリオも帰宅の時間だ。


「じゃあ、パピリオちゃん。僕は出発するよ。もう、二度と会えないけれど、さようなら」


 初めて寂しそうに笑ったヤスミに、パピリオは胸を締め付けられる思いがした。「二度と会えない」の一言は、ヤスミの口から出ると、もっと深い意味が籠っているように感じてしまう。


「あたしの村では、どんな別れの時でも、またねっていうの。だから、あたしもおじさんに、またねっていうね」

「そうか。良い挨拶だね」

「そうでしょ? おじさん、またね」

「パピリオちゃん、またね」


 紫のチュルバンを抱えるパピリオに、片手を振り返して、右足で地面をトントンと叩くと、ぱっとヤスミは消えた。煙のような余韻も残らない、あっさりとした別れであった。

 パピリオは、ヤスミと交流した証拠であるチュルバンをぎゅっと抱きしめると、踵を返した。そうして、夜闇が忍び寄ってくる草原を、虫の声を聞きながら、いそいそと家路についた。






   ◖◗






 ヤスミと出会ってから数か月後。ブロンマプラン家の新し住居が完成した。親戚一同で家財道具を新居に運び入れたが、まだパピリオたちはそこに住んでいない。

 聖地の家には、必ず人型の木像が置かれる。それは、神木の枝が使われていて、中には神木の分霊が宿っていた。分霊の役目は、その家と家族を守ることである。


 まだ、木像が置かれていない家で過ごすのは、荒野で寝起きするほど危険な行為だと言われていた。パピリオも、まだ新しい木の香りが漂う家を、名残り惜しそうに振り返りながらも後にした。

 翌日、パピリオは誰よりも早く起きた。木像を迎えに行く日だったからだ。まだ聖堂も開いていないよと、父のジュシィに窘められつつ、パピリオは親子三人で、家を出発した。


 神木ほどではないものの、森の中の木々も背が高い。その枝に止まっている鳥たちが、祝福の歌を降らせているような気持ちで、パピリオは歩いていた。珍しく、寄り道をしないので、いつもこうだったらいいのにと両親が後ろでこそこそと話しているの気にしない。

 門を開けるために、一人の聖職者が聖堂から出てくると、目の前にパピリオが待っていたので、とても驚いていた。ジュシィが名乗り、訪問の目的を話すと、どうぞこちらへと、案内される。


 聖堂と呼ばれていても、そこは大小さまざまな建物の集合体である。最も大きな聖堂は、神木に出来た空洞の内側にある。ただ、そこは最も大事な神事をする際に開かれるので、パピリオのような普通の村人たちは入れない。

 木像を授かる場所は、門から近い場所にある、小さな建物だった。入ると、むわっと木の濃ゆい香りしかしてこない。ちょっとした広間の仕切りの奥は作業部屋になっていて、今は何も聞こえないが、普段は職人がそこで木を掘っているのだと聞いた。


 そして、現在の広間には、一体の木像が置かれていた。十歳のパピリオよりも少し低い背丈で、少女と少年の合間の顔には、決して崩れない微笑が浮かんでいる。

 動きやすそうなズボンに、袖にはっぱの模様が付いた長袖も木彫りで表現されていて、母のカイノが立派ねぇと零すのを、ジュシィは首肯した。しかし、パピリオは何も言わずに、じっと木像に見入っていた。


 譲り受けた木像を、ジュシィが抱えて帰る時も、パピリオはそれから目を離さなかった。転びかけて、カイノに叱られてから、やっと前を見て歩き出したが、それでもちらちらと目線を送ってしまう。

 新しい家に、まずは木像から入れて、続けてそれを持っていたジュシィ、パピリオ、カイノが続いた。こうして、家内安全が保たれる、おまじないだった。


 中に入れた後の木像は、好きな場所に置いても良い。パピリオは両親に頼んで、木像を自分の部屋に置いてもらった。

 昼時、両親が部屋から出た後、パピリオは木像と向き合っていた。祖父の家で見たように、分霊はそこから出てきていない。まだ眠っているのだろうかと、彼女は首を傾げた。


 分霊を見てからにしたかったが、パピリオは我慢できずに、箪笥の中にあった、ヤスミの贈り物である紫色のチュルバンを取り出した。それを、木像の頭にぐるぐると巻く。正しいチュルバンの巻き方を知らないので、頭を怪我した人に施した包帯のようになった。

 一歩下がって、満足そうにパピリオは微笑む。これで、この木像は誰から見ても「特別」になったが、もう一つ、彼女が送りたいものがあった。


「ツゥリッパ」


 パピリオは、チュルバンを言い換えた名前をこの木像に付けた。彼女は知らなかったが、偶然にもそれは、とある花の学名の一部であった。

 かくして、パピリオも無自覚の儀式が成り立った。分かりやすい特徴と名前。画一的だった木像にそれを与えたことで、『彼』が誕生したのであった。


























 

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