天ヶ瀬結の事件簿④ ヴァレンタイン事件
乃木口正
第1話
「いたぁー、」
赤い夕方の陽射しが窓から射し込む放課後の廊下を、オレ――乃木口正が当てもなく歩いていると、背後から大きな声が響いてきた。
「確保―っ、」
バタバタと複数の足音が廊下をかけて、オレへと向かってくる。慌てて振り返ると、複視を起こしたのか、同じ顔をした人物が二重に分離して見えた。そして、そのままオレへと突進し、右腕と左腕を掴まれる。
右側にも、左側にも同じ顔をした女子が立ち、さながらオレは囚われの宇宙人のように両脇を固められる。だが、おかげで自身の両眼が複視を起こしたわけではないことが分かった。
「えっと、島だっけ?」
オレは両脇の女子を交互に見やりながら、記憶の糸をたどってその苗字を確認する。
「正解っ。」右の女子が笑顔で頷く。
「よく覚えていたね?」左の少女は微笑みながら、問う。
「そりゃあ、私たちが美少女だからでしょう。」
「そうだね。私たち以上の双子の美少女はいないもんね。」
うんうん、と頷く同じ顔の二人は、同学年の双子の姉妹、島風子と島嵐子。去年の文化祭の時に映像研究部で起きた事件にたまたま居合わせたので記憶に残っているが、美少女云々についてはコメントを差し控えておく。
「で、オレに何か用なの?」
ひとつ、頭を過る可能性があるが、それは露にも見せずに尋ねた。
「しらばくれなくてもいいよ?」
「今日が何の日か、分かってるよね?」
今日は二月十四日――つまり、ヴァレンタインデー。その神聖な日の放課後に、女子がわざわざ男子を呼び止める用事など、ひとつを置いて何があるだろうか。
「えっと、それはつまり、」
「うん。」二人が一緒に頷く。「結ちゃんがどこにいるか、教えて。」
「えっ、」
「えっ、じゃあなくて、結ちゃんが今どこにいるか、教えて。」
「えっと、それだけ? 他に何か、渡すものとか何か、」
「渡すもの?」
「ああ、チョコレートのこと?」
さすがに簡単に首肯するのは恥ずかしい。
「誰からも貰えなかったから、貰いたいの?」
まるでこちらを挑発するように、風子はニヤニヤと口許を緩める。
「ちょっと、待て。なんでオレが誰からもチョコを貰っていないと決めつける。」
「えっ、貰ったの?」
今度は嵐子が目を大きく見開き、驚天動地とばかりの表情を浮かべる。
「いや、貰っていないけど、」
「あはは、やっぱね、」
「びっくりしたよ、」
そこまでなのか。オレがチョコを貰うのは、そこまで奇跡的なことなのか?
「で、何で天ヶ瀬のことを探しているんだよ?」
結という名の女子はクラスメイトの天ヶ瀬結しか心当たりがなく、オレはぶっきらぼうに話の軌道を戻す。
「ああ、そうそう。」
「実は、彼女に推理してもらいたいことがあるんだよね。」
「推理?」
「うん。私たち、ちょっと難問にぶち当たっているの。」
眉間に皺を寄せ、風子は困ったと言わんが様子で唸る。
「難問って、何か事件なのか?」
「事件と言えば、事件だし、」
「事件じゃあないと言えば、事件じゃあないし、」
なんじゃそりゃ。二人の言っていることは理解できないが、ひとつ引っかかる点があった。
「ところで、なんでオレには相談しないんだ?」
オレにわざわざ天ヶ瀬の場所を聞くぐらいならば、その難問とやらをオレに相談すれば話が早いのではないだろうか。これでもオレは推理小説が大好きで、自らも推理小説を執筆したりもする。そして、高校に入学してからの一年弱の間に、様々な事件に出くわしてきた。先にあげた映像研究部の事件しかり、嵐の山荘で起きた連続殺人などにも遭遇し、エラリー・クイーンや法月綸太郎よろしく、作家探偵としてオレはそれらの事件で様々な推理を披露した。そんなオレを、何故この姉妹は頼ろうとしないのか。
「何で相談しないって、言われてもねえ?」
「だって、当てにならないもんねえ?」
二人は深々と頷く。
そうなのだ。オレは事件に出くわすたび、多くの推理を巡らしてきた。だが、どれも正鵠を射ることはなく、ともに事件に巻き込まれる天ヶ瀬がいつも解決に導いてしまう。
何度辛酸を嘗めさせられ、「ワトスン」と彼女に侮蔑の言葉をかけられたことか。ここいらでひとつ、彼女の鼻を明かしたい。そして、それには今日がちょうど良い日であった。
「残念な報せがある。」
両脇にいる女子にオレは神妙な面持ちで告げる。
「天ヶ瀬は、インフルエンザでしばらく学校を休んでいる。」
そう、天ヶ瀬結は一週間ほど前から流行病で学校を休んでいるのだ。
「マジで?」
風子は不意を衝かれたかのように、口をあんぐりと開け、リアクションに困っている。
「うーん、乃木口くんが放課後にひとりでいる時点で、考えておくべきだった。」
嵐子は頭を抱え、悩みだす。
「何でオレが放課後にひとりでいると、天ヶ瀬が休みになるんだよ。」
「だって、さっきも言ったけれども、今日はヴァレンタインだよ。」
「ヴァレンタインの日の放課後に男子が意味もなく学校に残っている理由はひとつしかないじゃん。」
答えを聞く前から、その言葉はオレの心に深々と突き刺さる。
「誰からもチョコを貰えなかったから、一縷の望みにすがって、無駄な延長戦をしているんでしょ。」
「無駄って、決めつけるなよ。もしかしたら、」
「もしかしたら?」
「もしかしたら、手作りのガトーショコラとかをプレゼントしてくれる女子がいるかもしれないだろう。」
「で、いたの?」
答えを知っておきながら、島姉妹は小首を傾げて聞いてくる。くそっ。
「まあ、乃木口くんにチョコをあげるとしたら、結ちゃんぐらいしかいないだろうしね。」
けらけらと笑う二人の声を聴きながら、天ヶ瀬がインフルエンザでなかったら、仲の良い友人として義理チョコぐらいくれただろうかと、つい日和ったことを考えてしまう。ダメだ、ダメだ。そんな形式だけのチョコレートが欲しいわけじゃあないんだ。オレが――いや、男子が欲しいのは自分だけのことを思った、真に愛情のこもったもの。真心のないもので、オレたちの心を撃ち抜くなんてことはできないんだ。
「で、その難問とやらはどうするんだよ。天ヶ瀬はいつ学校に戻って来るか分からないぞ。」
やさぐれたオレの心は、刺々しい言葉を双子にぶつける。
「今日がヴァレンタインでも、何の用事もないオレは暇だから、話ぐらい聞いても良いけど?」
実に厭味ったらしい言い回しに、我ながら涙がこぼれそうになる。
「結ちゃんが休みなら、この際仕方がないか。」
「まあ、私たちよりかはミステリに詳しいだろうし、」
渋々と彼女たちは頷き合い、一枚の紙片をオレに差し出してきた。それは切り取ったノートの一ページで、人の名前がずらりと列記されていた。
「これは?」
「じつは、その中の誰にチョコを渡して、」
「誰に渡していないのか、分からなくなっちゃったの。」
は?
真心のこもったものを望む人間には、理解の及ばぬ謎であった。
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