虎野 京奈という女性。
「ーー・・断る。」
「うむ、今はそれで了解した。」
その後、そこをなんとかとか。とタチの悪い営業のような粘りなどで粘られることもなく、気味が悪いくらいに、あっさりとこちらの答えを受け入れてくれた
「じゃあ、俺はこれで。」
ススッ
「あと、一つ。」
運がいいのか、すんなりと受け入れられたので、逃げ帰るように立ち上がり、足早にボス部屋から出ようとしたが、まだ何かあるようで、呼び止められてしまった。
「....なんだ?」
早く帰りたい彼は顔だけそちらに向けた。
「京奈、彼で間違いないのだな?」
「はい、私は一度。彼に命を救われました。」
この家に来て、どこかのタイミングで口添えしたのか、虎野はパパ上にそのような事を伝えたらしい。
「??」
全く身の覚えのない事に、記憶を巡らせていると彼女が記憶の蓋を開けさせた。
「少し前、登校中に車に轢かれそうな時に、助けてもらっただろう?」
「....あー、そういえば」
確かに、登校初日早々に遅刻と勘違いした天真爛漫な女を引き上げたなと思い出していた。
「..でも、よくわかったな。」
事実、その時の彼女は死を直面して放心状態だったため、直面して顔を合わせることはなかった。
「あぁ、前にジムで話した時にもしかしたらな、と。」
「...まぁ、礼とかはいらん。結果、どこも悪くなさそうだしな」
段々と、周囲から何か、俺をもてはやそうとしている空気が感じられたので、結論を切り出した。
「....いや、そういうわけには」
「まずは、ワシの娘を救ってくれて心から感謝する。」
やはり、何かお返しなるモノを考えようとしていたようで、パパ上もわざわざ立ち上がって頭を下げていた。
「...それはもう良い。終わった話だ。」
結果的に勝利したとはいえ、さっきまで殺し合いをしていた相手から頭を下げられるというのは、かなり居心地が悪かった。
「京奈..いや、虎野家は清澄に多大な恩が出来た。何卒、奉公を申してくれ。」
彼の返答はほとんど無視しており、パパ上の言動はかなり振り切っていた。
「清澄...なんでも言って欲しい。」
そして、彼女は全てを包み受け入れるような、全てを許すような表情でそう言った。
「.....はぁ。」
あーこれ言わないと終わらんやつだなと、前にも同じような事があったなと思いつつも、早く帰って夕飯の用意をしたい彼は仕方なしに奉公とやらを考える事にした。
とはいえ、変に相応?なモノや何かをもらうと、普遍的な法則から変に関係性が構築されてしまうので、今更ながら避けたかった。
「「.....。」」
こういった間にも、未だ衰えぬパパ上の鋭い眼光が、思案している彼に突き刺さる。そして、彼女はもう何か覚悟を固めていた。
すると、頭にスッと答えが降ってきた。
「....じゃあ、一つ貸しで。」
『....じゃあ、一つ貸しだな。』
「っ?!....」
生意気な顔で軽そうにそう言い放った彼の姿から、パパ上は古き友を重ねた。
(...あれ、まずかったか?)
目を見開いたまま、口を開けているパパ上の様子から、少々心配を覚えたが、それは綺麗に杞憂に終わった。
「ふっ..ふっはははっ!!!」
彼の答えを愉快に思ったのか、パパ上は天を仰ぐように笑っていた。
「「?」」
ポジティブな反応とはわかっていたが、彼と京奈らは不思議そうにパパ上を見ていた。
「...ふぅ..承った。一つ借りができた。引き留めてすまなかった。清澄。」
ひとしきり笑ったパパ上は、一転して締まった顔で彼の答えを受け入れた。
「あ、あぁ...じゃあ、俺はこれで」
ようやく日本人的なお返し合戦に片をづけ、ようやく帰れると思ったところ、すかさず彼女から申し出があった。
「あっ、海道。俺が送る。」
「いや、タクシーで帰る。おいお前、携帯返せ。」
次はいよいよ、人里離れた怪しい施設などに連れてかれかねないので、キッパリと断り市販で出回っていない特殊な衛星携帯を返すようスーツの女に申した。
「チッ...ご協力ありがとうございました。」
一貫して敵意丸出しの黒スーツの女こと黒崎は、聞こえるくらいの舌打ちをして衛星携帯を手渡した。
(...こいつマジかよ。)
隣に当主がいる中、堂々と舌打ちしていた事に驚いたが、そもそもそれ位の胆力が無ければ、そういった立場に相容れないのかと腑に落ちた。
「外まで、私が送ろう。」
「あぁ。」
それくらいならばと、断るまでもなかったので振り返ることもなく素っ気なく相槌した。
そして、無駄に長い外廊下をしばらく歩いた所、虎野はいつものにこやかな雰囲気とは異なって、塩らしい様子で何か話すでもなく黙りこくっていた。
「「...。」」
ここにきた時と同じように、こちらを振り返ろうとせず真っ直ぐに先導して、前へ進むその背中は、いくらでも逃げるような言い訳などあるであろうに、よくわからないが由緒正しき呪縛じみた伝統を受け継いでもなお、その重圧を背負い虎野家が果たすべき役割を果たそうとしていた。
世の中を変えるだけの影響力を持って生まれた人間や、天性のリーターシップとカリスマを持って生まれた人間には、共同体をより良い方向へ導き、社会と人に貢献することが役割だと言える。
中には、私利私欲のためにその能力を使う人間もいるが、リーダーは人を惹きつけられ続けるだけのスバ抜けた能力とカリスマ性を持ち合わせており、結果的に、この資本主義経済において、倫理的に反する利益構造でも経済を活発に回すという点で、少なからず寄与している。
つまり、結果的には、リーダーの資質を持った人は共同体に貢献するようになっていると言える。
それは彼女も同様なのだろうが、社会的な生き物である人間としてのその運命を彼女はどう思ってるのだろうか。
「ーー・・なぁ、虎野。お前は家業を継ぐことに迷いはないのか?」
「むっ、なんだいきなり。」
「あー、悪い。忘れてくれ」
前も同じような事を聞いた気がしたのも相まって、思わず聞いてしまった問いを戻した。
すると、彼女は足を止め改って彼に向き合った。
「私はこの国に生かされ、今の今まで心身ともに健全に健やかに育てられた。私も同じように次の世代を生かさなばならぬ。人のためにこの先の時代のために私の役割を果たす事が、私個人の幸福としてささやかに含まれる。」
「....っ。」
彼女のような人たちに自分も生かされたのだと、何か込み上げるものがあった。
「ただ、海道が前に言ったように子供には無理強いはしない。それに、考えてみればそれは同じ先を見ている者であれば、俺の家系でなくても務まるだろう。私が当主になれば、すぐに変えよう。」
そして、彼女は彼が問うた事へのアンサーもすでに持ち合わせていた。
「...そうか。」
正直、俺は虎野 京奈を見誤っていた。
もっと、伝統に縛られ、そう言う決まりだからと次の世代にも押し付ける頭の硬い人間だと思っていたが、そんなことはなかった。
てか、虎野が次期当主になるってことは男系思想に拘っていないと言うことになる。それ自体そういった家系において、革新的な事のように思えた。おそらく、当主が変わる事により時代や情勢にあった柔軟性を用いて、組織を統制しているのが見受けられた。
そう、そういった所に関しては、かなり好印象を抱いてしまった。
ただ、正直、付き合う相手としては勘弁してほしい。てか、付き合うイコール結婚だろうから家業を継がないとか、そう言うのには絶対関わりたくないから有り得ん話だが、俺に嫁がせれば先のように継がなくて済むか?
ありもしない事に頭を巡らせていると、屋敷の門へと到着した。
「ーー・・おっと、私はここまでであったな。」
「...そうだな。」
「今日はすまない。元はと言えば私のはっきりと伝達し損ねた事が要因だ。申し訳ない。」ぺこり
彼女は意地を通す時もあるが、同時に潔い面もありそういったところは好感を覚えてしまった。
「構わん。久々に痺れた。」
体だけを鍛えても使えなければだったので、実は場数を踏むために先の知人に頼み実践経験を積んでいた。
「ほぅ..やはり底が知れないな」
虎野はいくら揺さぶっても彼の芯に迫ることは、未だ叶わない事を思い知った。
「..じゃあな。」
「あぁ、気をつけてな。」
そうしていると迎えのタクシーが到着し、彼は別れの挨拶をして行ってしまった。
「....。」
彼が行ってしまい、しばらく彼の余韻に浸っていた所にパパ上が現れた。
「ーー・・名残り惜しそうだな。」
「ぱ、パパ上っ..いや、これは...」
結構取り乱していたが、パパ上は話を続けた。
「うわっはは、良い男を見つけたな。京奈。」
「はい、彼のような男には会った事がありません。」
「ほぅ..いかなる男を紹介しても、なびかなかった京奈が言うか。」
名家に生まれ、勉学や身体能力に優れた男はいくらでもいたが、彼らの見ているのは京奈ではなく虎野家という絶大な力を見据えていた。
「はい。彼は始末のつけぬ男です。」
しかし、本人はそう言ったのに興味ないだけなのだが、彼女の目には、彼は真っ直ぐに虎野 京奈という一人の人間に向き合っていた。
「...先の死合いでの極限の心技体。して、不可逆な恩からワシに申しつければ、地位と名誉、金、何でも手に入れられた。しかし、”一つ貸し"と盾付けおった....海道 清澄。何がなんでも、虎野家に欲しい。」
彼の知らぬうちに、彼は過大に評価されており、完全にロックオンされていた。
一方、海道は死刑宣告に近い何かを感じ、肝が冷えるのを感じた。
「...なんか寒気が。」
それから、虎野からの猛アタックは熾烈を増していた。
「ーー・・海道っ!おはよう!」
「あ、あぁ。」
ある時は、裏門から登校するときに
「..海道っ!お弁当作ってきた!食べてくれっ!!」
そして、ある時はお昼に、そして、ある時は屋上で寝ている時に...
「海道...俺の膝枕で寝るかー?」
いつの間にか、俺の行動パターンが把握されておりどこに行くにしても虎野がどこからともなく現れた。
かくして、俺は図書館の隠し部屋で籠城する他なかった。
「ーー・・はぁ...勘弁してくれ..」
ここ数日間、どこにいても虎野に付き纏われたため、いつもよりソファーに深く体を沈めていた。
ここに辿り着くまでも、かなり念入りに彼女とおそらくそれをサポートしている奴らを徹底的に撒いて、ようやくの思いで辿り着いた。
だが、ここまで来れば安全であることは間違いなく、そして、フリでもなんでもなく俺と許可した人間しか入れないのは自明であった。
「...ふぅ。」
その絶対的な事実を反芻しながら、深く息を吸って吐き、なんとか気を休ませる事ができた。
「..しっかし、あいつをどうするか..」
そして、これからどうするか、虎野をなんとかする手立てを考える必要があったが、今は一度寝ることにした。
起きると、時刻は16時を回っており、終業時間を過ぎていた。
「ーー・・んぁ...まぁまぁ寝たな。」
まだ寝ていたいがスーパーに寄って夕飯の準備をしないとなので、少し楽になった体を起こした。
すると、ぷかぷかと浮かびながら、変わらず怪しい光に祀られているあのアイテムが目に入る。
「あ....。」
そうして、まぁ、帰ってる途中にひょっこり現れるだろうと思いながら、校門の方へ向かっていると案の定虎野とでくわした。
「ーー・・おーっ!海道。どこにいたんだ。」
「あー、図書館。」
「ほぅ、勉学か...精が出るな!」
虎野は楢崎とはタイプが異なり、必ずしも決まりや規則に固執するような容態ではなく、その行為自体への価値に重きをおいているといった感じに見えた。
また、執拗な陽動作戦のお陰で跡をつけられず、なんとか撒けていたようで、ひとまず安堵した。
「..部活終わりか?」
ふと視線を彼女へ向けると、頬を赤く染め、火照った様子で結構な運動をしてきたように見えた。
「あぁ、軟弱な部員たちを絞ってたところだ。」
「..そうか。」フイッ
運動後の汗が滴った、彼女の健康的な褐色の首筋が目に入り、思わず顔を逸らした。
「?」
虎野は不思議そうにしながらも、変わらずにこやかな様子で穢れのない笑顔を振り向けていた。
「...っ」
一瞬抱いてしまったよこしまな気持ちと、やろうと思えばその気持ちを解消出来てしまう状況下から、自分の身勝手さに嫌気が差してしまい、彼女の顔を見れなかった。
「ふっ..どうしたんだ海道。なんかおかしいぞ?」
「...っ..やめろ。」
こちらの気も知らずに、彼女はこちらの表情を覗こうとするが、しまいには帽子を深く被って目元を完全に隠していた。
「む、釣れんな。」
そして、流れを変えるためか、彼は何かを鞄から取り出して、彼女に差し出そうとしていた。
「....虎野。スポドリ飲むか?」
「おー!ちょうど喉が渇いていたところだ。ありがとう....って、なんだ?!」
バッ!
「...悪い、それ...結構前のやつだ。」
彼女は、差し出された飲み物をなんの躊躇もなく受け取り、飲もうとするが寸前で取り上げられてしまった。
「なっ!?危なかったな...確かになんか変な匂いが...」
彼の取ってつけたような言い分に、彼女はすんなり受けながら彼が手に取ったペットボトルに顔を近づけた。
「...おいっ。やめとけ」
彼は大袈裟にペットボトルを彼女から離し、カバンにしまった。
「?」
「....。」
不思議そうに彼を見つめる彼女の一方で、彼は彼女に惚れ薬入りのスポドリを飲まそうとした事へ猛省していた。
ーー・・虎野が俺に惚れてるというのは覆えそうになかった。しかし、それだとこれから毎日しつこいアプローチを受け続ける。それだけは避けたかった。
それで、惚れ薬を用いて虎野の気持ちを反転させる作戦を一か八か、やろうとしたんだが....いくら今が面倒な事態とはいえ、人格上書きするのもなぁ...と後々で、倫理的にも精神衛生的にもきつい後ろめたさが生じそうだったので、やめるに至った。
自己反省に耽っていいたため、会話はなく歩く音だけだ響いていた。
「ーー・・今日、俺のこと避けてだろう」
海道がどこか気難しそうな空気を出していたため、彼女は今日の事で怒らせてしまったと思っていた。
「..まぁ、そうだな。」
「俺のことは、好かんか?」
かなりの頻度でアプローチを続けていた彼女は、その手応えのなさに何となく彼の気持ちを悟っていた。
「...あぁ。」
人間性的には、彼女は素晴らしい人間の部類に入るが、それが人として物凄く好きかと言われれば今はそうではなかった。
「...そ、そうか...」シュン
明確に拒絶されたと感じた彼女は、明らかに落ち込んでおり目を伏せていたが、彼の話はまだ終わっていなかった。
「ただ、お前自体は嫌いではない。そこから出る行為というか、アプローチの仕方が厄介なだけだ。」
これも嘘ではなく、自分の信念を持って前へ進む彼女の人間性自体は嫌いではなかった。
「っ!...そ、それは、すまなかった。」
嫌われていないとわかった彼女は嬉しさを滲ませながらも、今までの少々激しいアプローチを反省した。
「...あぁ。」
「わかった。これからはそういうのは控えよう。でも、諦めたわけではないからなっ!」
完全に拒絶されたわけではなく、今は好いてはいないが嫌われているわけでもないと、光明を見出していた。
「....やれやれ。」
惚れ薬入りのスポドリを渡すかどうかの決断に直前まで頭を悩ませ、そして、火をつけてしまったように見える彼女とのこれからがどうなるのか、想像するだけでも悩み事が肥大しそうだったので、後はその時の流れに任せることにした。
(...あれ、前の貸しとやらを使えば...いや、それやっても逆効果になりかねんか...)
そういえばと、それを思い出した彼であったが、いくら貸しとはいえ虎野がそれで諦めるような未来が想像できなかったため、すぐに棄却されてしまった。
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