エルフの退屈【完全版】(短編集その17)
渡貫とゐち
エルフの退屈【完全版・前編】
千年前――
当時の世界は【
食物連鎖の頂点に立っていたのは長命のエルフ種。
彼(彼女)らは体内に魔力を宿していた。
魔力を宿しているだけなら他の生物と変わらない。世界に誕生した時点で魔力は誰であろうと持っているものである……。中でもエルフ種だけが――魔法を扱えた。
エルフ種だけの特権。
さらにエルフ種の、唯一無二――個人だけが扱える固有魔法がある。
その人物だけが扱える魔法だが……エルフ種は魔法を探求し、固有魔法の理論を開示した。
おかげで個人しか知らない魔法が全エルフに共有され、理論さえ理解してしまえば他人の魔法を発動させることは難ではなかった。
やがて数多の魔法を記した『魔法書』が作られた。――そして共有がおこなわれる。
後にエルフ種が全知全能と呼ばれ、加えて未来の生活基盤を魔法を軸にして整えられたのは、多種多様な魔法が簡単に誰でも扱えるようになったからだ。
――固有魔法とは、0から1を生み出すことである。
1にさえできれば、魔法の理論を知れば、その1を10にすることは可能だ。
そうしてエルフ種は世界の頂点に君臨し続けてきた。
外敵を恐れることはなかった。
それは今でも変わらないことだ――天敵がいるとすれば、己自身だ。
エルフ種を追い詰めたのは、同じエルフ種しかいない。
「――シオン、君の固有魔法は?」
声をかけられ、振り向いたのは中性的な青年だった。
実年齢はもっと高いが……、見た目だけはまだ幼い青年である。
エルフ種の寿命を考えれば、見た目の幼さは合っているのかもしれないが……。
魔法書を両手で抱える、事務的な感情しか抱いていない少女に、青年が顔をしかめた。
「それ、報告しないといけないのかな?」
「いえ……強制ではないですけど……エルフ文明の繁栄のために協力してほしいですね。たったひとりの固有魔法が今の伸び悩む生活に革命を起こすかもしれませんから」
「なら安心していい。私の魔法は文明に影響を与えるようなものではないよ」
「それを判断するのはこちらです」
青年が唇を歪ませた。ギリギリのところで舌打ちをがまんしたような表情だ。
それが伝わっているなら、がまんしていないのとそう変わらないが……。
「…………嫌だ、と言ったはずだけどね。自身の魔法を人に教えるというのは、過去をつまびらかにするようなものだと私は思うわけだよ。人の心を無遠慮にほじくり返して楽しいかい? 強制ではないのだから教えていなかった……その選択は非難されることなのかな?」
「それは……」
強制すれば反対派からの反発が起きる。
実際、過去に起きたからこそ強制ではなくなったのだ。
固有魔法を教えたくないエルフも当然いる。報告してしまえば、他人でも使えるのか精査されてしまうので、嘘を教えることはできないわけで……。
ゆえに、教えるか教えないかの二択になってくる(固有魔法は、他人と似たような効果のものがあってもまったく同じというものはない。人それぞれ、違いがあるのだ)。
手の内を明かすエルフと隠すエルフ。強制ではないと言いながらも、教えなかったエルフは要注意人物としてエルフたちに共有される。……半ば強制のようなものだが、それでも言いたくないエルフが一定数はいるのだ。
理由は様々。エルフ嫌いやら、切り札を取っておきたい者など。言わないことで他人の気を引くエルフもいた。知っているはずの自身の固有魔法を知らない、使えない者も中にはいるので、隠す=悪という判断でもないが。
「あなたも他人の気を引きたいタイプですか?」
「君は引かれているの?」
「いえ……あなたのことなどまったく興味ありませんが」
「なら、さっさと帰ってくれ。君に教えることはなにひとつないよ」
食い下がる理由を潰されてしまったことを自覚し、唇を噛んだ女エルフ。
彼女は抱きしめる魔法書をさらにぎゅっと抱きしめながら、
「……悪意を持った隠匿は問答無用で要注意人物となりますが……よろしいのですか?」
立ち去ろうとしていた青年が足を止めた。
振り向く。
肩で揃えた銀髪が揺れ、彼の獣のような金色の目が彼女を捉えた。
「好きにしたらいい。私は元より慣れ合うつもりはないんだ」
「……どうして……」
長命のエルフ。そして食物連鎖の頂点。
危険を知らない退屈なエルフは、魔法の探求に時間を使うことで、退屈ではない人生を謳歌している。知れば知るほど新たな発見ができる魔法という分野……、それに没頭しているのが普通なのだが、魔法に興味がないエルフは一体、なにをして退屈を紛らわせているのか。
「あなたは今、なんのために生きているのですか?」
青年の瞳が動いた。端から端へ、まるで世界を横断したように。
今の世界を、見渡したように――
「なんのため、か……なら、世界のためかもしれない」
「え?」
「いずれ分かるよ」
そう言って、青年が去っていく。
ここで彼を追いかける女エルフではなかった。
……だが、もしも追いかけていれば、少しだけ、未来が変わっていたかもしれない――。
エルフが統治するこの世界がどうして退屈なのか考えてみた。
魔法があり、探求する面白さがある……ただ、その先になにがあるのか。
魔法を極めたところで、それは自国の発展にしかならず、現状、困っているわけでもない。
不満を解消するための進化のはずだが、不満がなければ探求という退屈しのぎは苦痛にしかならない。ひたすら惰眠を貪るよりはマシかもしれないが、興味のないエルフからすれば重い腰を上げるほど興味を引かれるものではないのだ。
魔法は身近なものだ。
今更、それを物珍しく思って探求しようとは思わなかった。
「……退屈とは……平和か……」
青年が呟いた。
銀色の髪を肩で揃えたシオンは、刺激がない毎日を不満に思っていた。
魔法というエルフにしか扱えない武器が手にあれば、外敵はエルフを襲ってはこないだろう。
きっと、それがいけなかった。
下剋上を許さず、同種だけしか立ち入れないエルフの花園……ガーデン。
退屈の始まりは、エルフが食物連鎖の頂点に立ってしまったことである。
外敵の脅威がなければ警戒をしない。危険に備えることもない。だから怯えることもなく……危険がなければ平和を素直に受け取ることもできない。
外敵がいないからこそ――こうして内部に敵が生まれてしまうのだ。
シオンが固有魔法を明かさなかったのは……先ほど彼女に伝えた理由も、嘘ではない。ひとつの理由ではある……。
ただ、多くの割合を占める理由は言わなかった。この魔法を明かせば、シオンは伝えたにも関わらず、要注意人物とされてしまうだろうから。
「私に悪意を持ったエルフ……いや、エルフに限らずだが……――私を否定する者は、私に逆らえなくなる……そういう魔法――か」
影響を受けた他者の魔法は上手く発動せず、魔力も蓋がされたように引き出せなくなる。
魔力が足りなければ使用した魔法も発動せず、エルフたちは自身の武器が使えなくなる。
使えたとしてもその出力はだいぶ抑えられてしまうだろう……。
この世界で彼だけが、食物連鎖の――さらにはエルフの中でも頂点に立つことができる武器を握っていることになる。この固有魔法を明かす? できるわけがない。
他者に渡せば利用される。この魔法は彼がこの世界で誕生したと同時に生まれたものである……、彼が使える、たったひとつの特権だ。
他の誰にも、渡してはならない。
……この魔法を持ったことによって、彼は自分の役割を理解した。
この魔法を使い、エルフ種を壊せばいいのだろう? ――と。
誰にも触れられない、誰にも逆らえないひとりのエルフが立ち上がった。
外敵を恐れず頂点に立ったことで、今後も安寧が続くと思っている長命のエルフ種に、危機を与えてやろう――それが青年に与えられた使命だと思ったから……。
「――シオン、やめなさい!」
青年の革命に、大人たちが出てきた。
シオンは魔法書を読み込み、周りのエルフが使える魔法を習得している。
これまで面倒で覚えていなかったが、エルフ種を壊すにあたって、開示されている魔法は理解しておくべきだと思ったのだ。
魔法書を読み込んで、理解し、魔法を使いこなす。……使いこなせているとはお世辞にも言えない魔法もあるが、どうせ相手も弱体化している。拮抗しても、下回ることはない。
「どうして!? 私たちの魔法の出力はこんなものじゃないはずよ!?」
「シオンッ、貴様ッ、固有魔法を使ったのか!? 貴様の魔法は――」
「自身の手札を他者に教えたバカが、こうして劣勢に立たされる。どいつもこいつも……手の内を晒し、それを本に載せるだなんて……対策してくれと言っているようなものではないか」
全ての魔法を全員が使えると思っておけば、逆に相手の攻撃を絞る手間がなかった。
全員に、同じく対策が通用する……。口で言うほど簡単ではないが、シオンの固有魔法によって弱体化している分、労力は半分になっている。
正直、相手の魔法が直撃したところで痛くとも致命傷にはならないのだ。
対策こそしているが、使わずとも問題はない。
「――シオン、これが、あなたが固有魔法を教えなかった理由ですか?」
事務的な顔でしかシオンに接してこなかった女エルフだ。
だが今回は、嫌悪と苛立ちを見せた事務的ではないエルフらしい顔を見せてくれている。
「エルフ種を、滅ぼすつもりで……?」
「そこまでするつもりはない。ただ――平和ボケしている大人と、退屈に怯えるであろう今後の子供たちのためを想って、一度、今のこの制度を破壊するつもりだよ」
「…………」
「私がエルフ種の王となる。ガーデンは、私が統治する」
「……横暴な王ですね。そんな王に誰がついていくと?」
「勢力が二極分化するならそれでも構わない。今のように全員が同じ目的を持って仲良しこよしで前へ進むよりはマシだろうからね。
……外敵でなくとも身内から生まれる敵対勢力、派閥争いはあった方がいい。それを作り出してやろうと言っているんだ……。――新たな王に感謝してほしいが……」
「そんな、ことのために……ッ」
エルフの国は半壊、広大な森は大半が焼け野原になってしまっている。
……以前までの平和なガーデンでは、もうない……見る影もなかった。
こうして空の上から見下ろしていると、凄惨な光景がよく分かる。
地面に倒れている多くのエルフが魔法で治療を受けていた……だが、怪我をしても治療できる、そもそも怪我をしないように無傷の加護がついている――
だからと言って攻撃をしてもいい理由にはならない。
「――あなたは反逆者です。だから、ここで処理をします!!」
「そうか……なら、無理だよ。私を殺す気でくればくるほど、勝ち目はないのだから」
女エルフが魔法を発動……、――――いや、できなかった。
「え……? どうしてっ、必要な魔力が、足りないわけでもないでしょう!?」
「足りていないんだ。
規模が大きな魔法でも使おうとしたのか? たとえば、こんな魔法か――」
シオンが魔法を発動する。
空はあっという間に暗雲に支配され、雷雲が発達していく。
切り裂くような不穏な音がガーデンを支配し、やがて――――
雷が落ちてくる。
女エルフの頭上に落ちてきた雷は、寸前で方向を変えた。
伸ばしたシオンの手のひらに集まっていく。
……膨大なエネルギーが、彼の手に集まっていった。
「指先に集めたこのエネルギーをどこに向けようか……、君が受けるか?」
「ひっ!?」
「では、残りの森も破壊してしまおう」
「ぁい、め……――やめてぇッッ!!」
指先から飛んだ、小さく、しかし高密度のエネルギーを持った雷が森を破壊した。
周囲に転がっていたエルフたちが、破裂した雷の影響を受け、全身が痺れてしまっている……小刻みに震えて体を痙攣させながらも……まだ生きている。加護のおかげだろう。
普通であれば、焦げて焼け死んでいてもおかしくはない。
「ぁ、な……なん、で……」
「ありがとう。お前たちが魔法書に記してくれたおかげで、私は多くの武器を手に入れることができた。……君たちの探求心に、感謝だ」
シオンが腕を振った。腕に帯電していた雷が、女エルフを撫でた。
それだけで女エルフの体は麻痺し、真下の――焼けてしまった森に落下する。
雨が降り始めた。
暗雲を背にし、エルフ種を見下ろすまだ若い青年のエルフ――シオン。
彼を見る周りの目は、敵対心から恐怖へ変わっていた。
……立ち向かう勇気が折られた。その時点でシオンの固有魔法の対象外ではあるが、同時に挑む気持ちさえ折れてしまっている……。
彼を種族の敵と認め、排除しようと動く者はいなかった。
誰かが呟いた。
魔法を持つエルフ殺しの王――つまり彼は、
「魔王……」
これより、エルフの国【ガーデン】は色を変える。
魔王が支配する、悪意と敵意が混ざり合う退屈を知らぬ国だ――そう、この国こそ。
シオンが求めていた、【
…了
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