掌編「風潮被害」


「あっ、席どうぞ!」


 混雑している車内。

 立っている方が邪魔だと思って座っていた若者が、目の前にやってきた杖をついたおじいさんに席を譲ろうと立ち上がりかけたが――


「いや、必要ないよ。すぐに降りるからね……。それに、杖をついているからと言って誰もが座りたいと思うわけじゃないんだ……いらない気遣いだよ」


「そう、ですか……?」


 渋々、と座った若者である。

 確かに、混雑しているので席を譲るために移動するのも、周りの人に迷惑がかかってしまうだろう……。人が満足に入れ替われる隙間もなかったのだ。

 そういう配慮を含めて席を利用しないことを選んだのかもしれないが……しかし、若者が仕方なく座っていた席は、『優先席』である。

 一般の席ではないので…………たとえ相手が拒んだとしても、譲らず座っているのは周りの目が気になる。柔らかいはずの座席の居心地が、とても悪い……。


 次の駅、さらに次の駅になっても、杖のおじいさんは降車しなかった。

 ……すぐに降りるんじゃないのか? と若者が感じたと同時に、嫌な空気も車内に充満していた。二駅を経て車内の乗客も大半が入れ替わっている……つまり、優先席の目の前に立っている杖をついたおじいさんに席を譲らない若者がいる、と、注目を集めてしまっている。


 今更、「このおじいさんに席を譲ったのですが、拒まれたんです」と説明するのも変だし……もう一度おじいさんに「席どうぞ」と聞くのも……しつこいと言われるのでは?

 それでも――前者よりはマシか。

 周りに誤解されるくらいならおじいさんに叱られた方がいい。


「あの、おじいさん……席なんですけど……」

「いらんよ。すぐに降りると言っただろう」


「……おじいさんからすればすぐなのかもしれませんけど、二駅以上はすぐじゃないですって……。本当に座らないんですね? 自由なのでいいですけど……ただですね……」


 若者は周りに言い聞かせるように。


「……座る気がないなら優先席の前に立たないでください。こっちは譲らざるを得ないんですよ……。譲らないと周りがうるさい、というか……。杖をつきながら優先席の前に立って、『座る気がない』のは、ある意味『暴力を振るっている』のと同じですからね?」



 …了

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