マーガレット

見切り発車P

第1話 マーガレット

 「うっそぴょ〜〜ん!」

 沈黙の時間を破ったあいつのあの言葉が忘れられない。顔も声も憎たらしいったらありゃしなかった。あれから十年経ったけど、あのひとときが私の頭の中に焼き付いて離れないのだ。私の腕の中には、和樹が好きだと言ったマーガレットが気持ちよさそうに体を預けている。

 

 物心ついた時には、和樹はいつも隣にいた。団地の部屋が、隣で親同士が仲が良いため、まるで兄弟のようにずっと一緒に過ごした。年齢は向こうの方が三つ上だけど、年齢差なんて少しも感じなかった。親曰く、私は金魚の糞のように和樹の後ろをついて回っていたらしい。

 和樹が中学生になってからは、急に距離を取られるようになった。私もクラブ活動や友人との付き合いで充実していたので、そこまで気にしていなかったが、あからさまに避けられていたのですごく傷ついたし、なんだか寂しく感じた。

 和樹が高校生になってからは、何か吹っ切れたのか和樹から話しかけてくれるようになった。避けられていた三年間がなかったように、一緒に夏祭りも行ったしゲームも夜通しした。

 しかし、ある冬の日の夜、部活の大会で遅くなり団地に戻ると、あいつが救急車で運ばれているところに、偶然出くわしてしまった。けたたましく鳴るサイレンと団地のベランダから事態を伺う野次馬の見物と、青ざめぐったりとする和樹。うっかり呼吸を忘れてしまうところだった。その日から一週間、和樹の両親から容体が安定していることを聞くまでは眠れない夜を過ごした。


 すぐ退院すると聞いていたが、和樹は病院からなかなか帰ってこなかった。しばらくして、和樹のお見舞いに行った。久しぶりに会う彼の手はとても薄く便りなくなっていた。手を強く握ったらほろほろと崩れてしまいそうだった。彼は、「今は人生の休憩中だ。学校をさぼれてラッキーだ。」なんて言っていたけど、本棚には哲学の難しい本がずらり並んでいた。窓側には、珍しく花瓶に花が飾られていた。その花はマーガレットだった。

 二週間後、和樹から呼び出しがあった。和樹から連絡があるなんて珍しい事があるものだ。その日は調子が良いらしく、屋上で話をしようと誘われた。幼稚園のよく遊んでいた頃の話をするので、おかしくて笑っていると、話の脈絡なく恋バナの話を振られた。「気になる奴がいるのか」とか「どんな奴がタイプだとか」同級生の男子のようなことを聞いてきた。私には、そんな質問くだらないものでしかないのに…。かまでもかけようかと思って、でも少しひよって「和樹がいいな」と言ったら、和樹は少し困ったような嬉しそうな、辛そうな顔になった。あいつの目が潤んだことに驚いて、私は続く言葉を見失った。その一瞬をついたのか偶然か、和樹は私の次の言葉をつなぐよりも前に「俺もはるが好きだよ」と言った。

 「ほ、ほんと!?」

 前のめりに、私は今の言葉の本心を確認しようとした。言葉通りならつまりそういうことなのだ。そしたら、すかさずデコピンが飛んできた。全然痛くない、優しいデコピンだった。

 「うっそぴょ〜〜ん!真に受けるなよ!」

 うっそぴょ〜〜ん、なんてダサいフレーズを和樹が使うとは思わなかった。はぐらかされた。和樹が背を向けて、屋上の出入り口に向かったので、和樹の後ろ姿に精一杯の悪態を吐いてやった。

 「…マジで…マジで最低!」

 「屋上はもう寒いから部屋に戻ろう。」

 三月一日の出来事だった。その日の病室にもマーガレットが飾られていたし、帰り際にこの花が好きだと思い詰めた顔で話していた。

 

 その六日後だった。和樹は、三月七日深夜に容体が悪化し、三月八日早朝息をひき取った。享年十七歳。早すぎる死であった。

 私がそのことを知ったのは、三月八日の夜。和樹の両親が涙を堪えながら伝えに来てくれた。私はそれから数日、学校を初めてずる休みをした。 

 

 三月八日。今日は生憎の雨だけど、和樹が好きだといったマーガレットを直接渡すためだけに東京から六時間かけて届けに来たよ。和樹は、ずっと待ってるだけでいいね。なんて恩着せがましくなってしまうのは、許してほしい。「ありがとう」でも「最低」でも言葉一つどんなに願っても、石の元に眠る君の声をもう聞くことは出来ないのだ。ちゃんと伝えきれなかったこの思いは本物だから。君の優しさと強さと…そして君にあんな嘘をつかせてしまった私の弱さが憎くて堪らない。嘘なのは、今の私の不細工な顔だけにしてほしい。

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