第44話 サンドウィッチマン 

 きりに浮かぶ三途さんずの川。あの世とこの世をわたる橋。

 いつか渡ったこともある。これから渡ることもある。なぜか、見知らぬ人でぎゅうぎゅうだった。どうやら、この群衆に身をまかせるしかない。引き返したくても押しに押された。方向転換もできやしない。

 おかしい…。死んだときはしんみり感でむかえの場じゃないのか? 親しかった人がむかえに来るとか注意するとか、そんな絵画みたいじゃないのか?

 それがこの超密集の有り様。いろいろな発音が飛び交い、口臭が混ざり、最悪な気分だ。ついにはおどろおどろしい看板かんばんを目撃する。


『 ここから先 地獄の極刑地 永遠の圧死地獄 』


 赤い血で説明書きがあった。

轢死れきし串刺くしざし。虫葬ちゅうそう拷問ごうもん死。たくさんの痛々しい死に方がございます。

 が、それでも群集圧死だけは特別でございます。なぜなら逃げ場はございません。そして、自分も加害者であることです。つまり、周りを圧殺しているという最低な可能性もございます。

 よく起こりえるのは祭り会場でしょう。手をつないでいる幸せなときから一転。愛する人をその手で殺す。お互いが苦しみの死をむかえるのです。


 いやはや、想像を絶する痛み。八方から髪をちぎられ、目を刺され、鼻を折られる、指を折られ、足をつぶされる。バッグが、時計が、カサが、うちわが凶器になります。

 コンクリートような人のかべが全方位から全身の骨をくだくのです。それが知人、友人、愛人、両親であり、どうすることもできません」


 さらに赤い血がれていた。

「この群衆圧死は現世でもときおり、ございました。 戦争を外すと

 この数字がどれほど桁違けたちがいかわかるでしょうか?


 2022年 ソウル梨泰院イテウォン雑踏事故=159名 死亡

 2002年 明石市花火大会歩道橋事故=20名 死亡

 1904年 日露戦争、戦勝祝いでのちょうちん行列事故=20名 死亡

 1807年 永代橋崩落えいたいばしほうらく事故にて名の死亡。


 実はこの永代橋。

 江戸幕府ではもともと首都へ進軍をさせないためにも大きな河川に橋をかけさせない命令でございました。

 しかしながら、すでに生活の一助として利用が続いていたこの橋は例外。それがために公費がもらえず、修理せずにガタガタに。

 しかたなく、木造のこの橋は通行料をはらってしのいで修理に当てていましたが、通行制限や重量制限もございませんでした。晴れた日には富士山まで見えることができるから、祝日も観光客でもごった返していたそうです。

 

 それが崩れるときは一瞬でございました。誰かをわざと下敷きにする、かばうこともできません。身動き1つとれない取れないのですから。

 できるのは1つでございます。断末魔を上げることだけ」


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 木造の橋の下。

 馬場はホームレスになったフジタより、とっておきの情報を聞いていた。

「なにぃ! あの禁足地にべらぼうな埋蔵金があるだと!」

 すき間だらけのあばら小屋。フジタは馬場の大声にあわてる。

「しぃぃぃー、声がでかいぞ。だが、確度も高い。偶然、そこから逃げてきた仲間から聞いたんだ」

「じゃあ、まずはそいつから紹介してくれよ」

フジタは気まずい顔で首をふる。

「………悪いが、そいつは死んだよ。……水死体だった。上がったときには顔はグチャグチャ。手足は折れ曲がり、指紋しもんまでなかった」

 疑う馬場だ。

「なんだ、そんなことなら信じられるか」

 一転、ニンマリ顔のフジタであった。

「ヘヘッ! だがよ、ここにお宝をしめす地図があるとしたら話は別だろ? 

 急いで写したんだよ」

 そう言って、フジタは自分のしりに敷いたクシャクシャの紙を指差した。


 得意そうにフジタは続ける。

「なんでもな。お宝まで続く木々にも目印を付けてきたらしい。だから、わかりやすいとも言っていたな~~~」

「くっ、俺にも見せてみろよ!」

「いいぜ、いつも世話になっているからな。だが、明日だ。そいつの死から明日で49日なんだ。今日と同じ時間に来ればいい」


 内心、白ける馬場だった。

「明日だと? もっったいぶるな。それになぜ、今まで探しに行かなかった?

 まったく、わからないね。なにが喪明もあけだ」

 ただ、一気にフジタの顔がくもる。

「おまえ、今までの話を聞いてなかったのか? そいつは殺されたんだぞ。だったら、武装する必要があるってことだ。

このあと、橋向こうの店に発注したピストルが届くんだ。今夜は花火大会だから、試し打ちもできる。49日はついでだ」

 馬場の半分、納得なっとくしたような顔。

「じゃあ、俺もついて行くよ」

「ふざけるな。おまえをそこまで信じてねぇよ。とにかく明日、もう一度来ればいい」

 馬場はねばったが、最後はうらごとを残して帰っていった。



れなずむまちの、光と影の中~~~」

 フジタは一人、自分の小屋を出て夕日の沈む川面を見ながら上機嫌じょうきげんで歌っていた。

 よしよし。俺が待っていたのはピストルを買う金だ。馬場のやつ、興奮しすぎて自分の財布もぬすまれたことも気づかなかったな。あいつのカードの暗証番号も大体わかる。あとは金を引き出し、武器を受け取り、その足で埋蔵金だ。

 もれ出す笑い。そんなとき突然、後ろから肩をたたかれた。

「去りゆくあなたへおくる言葉、かと♥」

 そこにはなんとも不気味に笑う松倉であった。


 フジタは驚き、振り返る。今の今まで、人の気配すら感じなかったのに!

「誰だ、あんたは! 勝手にさわってくんじゃねぇよ!」

 松倉もまた、驚いた様子だった。

「アラッ、これからたくさんさわられますよ。死ぬほどにね」

 フジタは混乱する。俺はこいつを知らない。見たこともない。聞いたこともない。だが、こいつは俺を知っている様子だ。

 そして、そっと声をかけてきた。それが、そっくり恐ろしい。


 フジタはすでにさけんでいた。 

「警察を呼ぶぞ!」

「どうぞ、おかまいなく。もっともこの人出ですから。誰がこんな橋の下に耳をかたむけましょうか?」

 フジタはとっさにさとった。こいつだ。こいつが殺人犯だと。

 人殺しの目は白目がにごっているんだ。そして、人体へのふれ方も違う。舌の使い方も違う。人影が蜘蛛くもでできている。たましいがゆがんでいる。


 だが、やはり俺はラッキーだ。

 地図を川へ投げ込むと同時に、猛然もうぜんと土手をかけのぼる。頭まで伸びたあしをかきわけながら、一目散だ。

 なあに、地図はこの頭の中に記憶してある。そしてこの花火大会の人出だ。絶対にまける。


 橋の正面に出ると、想像を超える人出であった。

「ヘヘッ、これならあいつをまけるだけじゃねえ。もう、一仕事。財布を抜きまくってやろう」

 ゆかた姿に甚平じんべい所狭ところせましだ。もう、松倉の姿も見えない。きっと、オタオタしてるに違いないぜ。

 フジタは再び、鼻歌を歌いそうなほど機嫌を戻していた。


「遠ざかる影が 人混みに消えた~~~」

 それは陽気な音色と歓声。だが、ひそかに橋が濁音だくおんをうなっている。それでも無数の会話が雑音となり、騒音となって聞こえない。人ごみは人波になり、人波は津波へと変わっていった。


 フジタがようやく異変に気づいたのは橋の中央あたりだった。いつもは10分もしないで渡り終えたはず。それがぜんぜん進まない。また、さっきまで容易たやすく2、3人の財布を抜き取れたが、今ではそのすき間すらない混みよう。激しさを増していた。

 服がすれ違う。髪がかかる。ツバが飛んだ。派手はでな香水。まとわりつくワキガ。女子の胸が当たる。うほ~~~。

 足をまれた? ひじが入る? イテッ! どけよ! 出せって! 密集から密着へ。しだいに過激になっていく。


 その熱さ、摩擦まさつ力、点火を待つ爆弾のよう。ギシギシと肉がひしめき合う。さらには方向感覚。常に人混みかららされているので、引き返す道すらわからなくなっていった。


 薄まる酸素。変わりに悪臭。悲鳴。嫌悪感。そして次に来るのは強烈な圧力だ。

さわっている、さわられているではない。押しつぶしてくる、押しつぶしていく!

 体の内側から初めて聞いた。


 ぼぎ、ぼぎ、ぼぎぼぎぼぎおぉぉおぎ!


 それは自分のあばらが壊れる音だった。容赦ようしゃなく他人のひじがあばらにめり込んでいく。だから位置をずらそうと必死にもがくが、逆に集団としてしまっていく。

 まるで人肉ハンバーガーだぞ。ふと、自分の真下から激しい泣き声? 

 ひざだ。この感覚。下でうずくまった子どものほほに俺のひざがのめりこんでいるんだ。最低だ。にぶい、あまりににぶい。そのにぶい音がひざから伝わり、脳を焼いた。でも、どうしようもない。どうしようもないじゃないか!

 みな、白目にあらん限りの断末魔。痛い。苦しい。呼吸ができない。これでも、さらに限界を超えて押してくる。


 肉をはさみ、全身の骨を折り、殺し殺され、悲鳴と悲痛のかぎりを聞いた。そして、もう1つ。

「押して。もっと押せ!!!」

 後方から楽しそうな声がひびく。それは松倉だった。

「ゆるやかな上りでは後ろの人間は現場を見ることはできません。特に先細りの地形やアーチ型の橋は危険です。

 それも花火が見たいのに先の人間が欲深く立ち止まっていると思ってしまう。悲鳴を歓声かんせいと思ってしまう。だから勘違いして、押そうとするのです」


 ついに橋は揺れと重さにたえきれず、崩壊する。すし詰め状態の人々は折り重なって激しく落下。今度は重力も加わり、一番かた頭蓋骨ずがいこつまで押しつぶされていく。

 最後には川面に死人だらけで浮かび上がることもままならない。死んでも、死にきれなくとも死体と死人に囲まれる悪夢。

 

 まるで自由な月が出ていた。

 松倉はながめて、歌う。

「地図だけでなく、財布にこだわらなければ良かったものの。もう届かない贈る言葉、ですね♥」

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