5.『恨み』に惹かれる

 知至咲神社の石段は、ひび割れたり苔むしたりしている。蝉の声は大きくなり、ざわめく木々の声も大きくなっていく。あの日も確かにこんな風で、茅は誘われるようにして石段をのぼって本殿に辿り着いたのだ。

 石段の一番上に、鳥居がある。鳥居をくぐり、参道へ。参道から本殿は真っ直ぐではなく、途中で直角に折れ曲がっている。

 本殿の左右には、狛犬がいる。口を開いた狛犬と、口を閉じた狛犬と、神社にはよく設置されている狛犬の像だ。

 直角に折れ曲がった参道の角のところで、足を止めた。

「スイゼンサマ……」

 彰浩が言っていたことを思い出す。

 スイゼンサマは、首を落とす。ごろりと転がった首、見えた足。けれどもスイゼンサマの顔を見ることはできない。

 ここにスイゼンサマが祀られているということは、スイゼンサマは神様なのか。

 二週間前に、誘われるようにこの神社へと茅は足を踏み入れた。けれどそこで何かをした覚えはない。何か特別なことがあったわけでもなく、ただこの場所に立っただけ。

 けれどあれから、おかしなことが続いている。最初は耳鳴りのような音。それが徐々に徐々に大きくなって、とうとう「スイゼンサマが来るぞ」という明確な言葉になった。そして数日前から、同じ夢を見続ける。

 何も声は聞こえてこない。ただ蝉の声だけが降り注ぎ、木々がずっとざわめいている。

 スイゼンサマの殺人事件という、彰浩の言葉も気にかかる。首を落とすというのならば、首を落とされた人がいるのか。ごろりと落ちた首は、どこへ転がっていくのだろう。

 藤江菜摘は、首のない死体として見付かった。その首は、どこかにあったのだろうか。トランクケースの中に、首も入っていたのだろうか。

「おや、どうしたね」

 しわがれた声が聞こえて、我に返る。腰の曲がった女性が、杖をつきながら石段をあがってきたところだった。

 髪は白く、一つにまとめられている。年のころは七十をいくつか越えたといったところだろうか。

「神社に、呼ばれた気がして」

「おや」

 かつりと石畳に杖がぶつかり、音を立てた。老女はかつこつと音を立てながら茅の隣に並んで止まった。

 同じように人が歩く音とはいえ、ヒールの音と杖の音はまるで違う。

「スイゼンサマに呼ばれたかね」

「どうでしょう……」

 スイゼンサマがこの神社に祀られているというのならば、呼ばれるということがあるのだろうか。老女のしわくちゃの顔は、少しばかり真剣なものになる。

 この辺りの民間伝承だということは、この老女もスイゼンサマについて何か知っていることがあるはずだ。

「スイゼンサマは人の『恨み』に惹かれるよ」

「恨み……」

「さて、誰か恨んでいらっしゃるかね? 殺したいほどに」

「いえ……特に、思い当たりませんが」

 誰かを恨んでいるかと問われても、茅の中にはその答えがない。他人を恨むようなことはなく、まして殺したいと思うこともない。

 スイゼンサマが恨みに惹かれるというのならば、茅はどうしてこの神社に惹かれてしまったのだろう。他人を強く恨んで殺したいと思っていたのならば、老女の言葉にも頷けるけれど。

 老女に一礼をして、本殿に向かった彼女の背中をしばし見送る。けれど本殿に辿り着くところまで見届けることはなく、茅は本殿に背を向けた。

 他人を恨んだことなど、ない。

 殺したいと思ったことも、ない。

「藤江菜摘は、誰かに恨まれた……?」

 もしも藤江菜摘の死にスイゼンサマが絡んでいたとすれば、スイゼンサマに首を落とされたのだとすれば、彼女が誰かに恨まれていたということになる。

 けれどスイゼンサマの仕業だとして、ならばどうしてそこに茅の財布はあったのか。神の仕業であるならば、犯人が茅であるように見せる必要はない。それをする必要があるのは、藤江菜摘を殺した犯人が人間である場合だけだ。

 そもそも、どうしてトランクケースに遺体を詰め込む必要があったのだろう。考えてしまうと、どうにも疑問点がいくつも出てくる。

 石段を下りたところで、かさりと後ろで音がした気がして、振り返る。神社の石段は変わらずそこに佇んでおり、白い鳥居は聳え立っている。

 きっと、木々のざわめきだったのだろう。誰かの足音のように聞こえたその音は、けれどもう聞こえてくることはない。

「スイゼンサマ」

 二週間前に、この神社へとやってきた。財布を落としたのは、十日前。そしてその財布は藤江菜摘の遺体のところに落ちていたという。

 いや、財布が本当に遺体のところに落ちていたのかは分からない。三砂は「どこにあったかご存知ないのですか」と茅に聞いた。つまり財布はただ落ちていたというわけではなく、どこか変な場所にあったと思うことが自然だろうか。

 スイゼンサマが来るぞ。

 ぞくりと背筋を冷たいものが這い上がる。ひやりと首のところに何かが当てられるような感触はあれど、首に手で触れてみてもそこには何もない。茅の首がごろりと落ちてしまうようなこともない。

 まだ、繋がっている。まだ、首は落ちていない。

 けれど次に落ちるとしたら、茅の首なのだろうか。

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