第六部 憂目の夏に 18

 奈々さんが僕を巻き込みたくない思いから、話をしてくれなかったのであれば、自身も麻衣に同様の動きをしているのだと思う。

もちろん、奈々さんの身の上話を勝手に話してしまうことはあってはならないが、それ以外にも麻衣と萌音に心配をかけさせたくないという思いも同時に並んでいる。

奈々さんが選択した想いと、どこか似ている気がしていた。


「……何の話かよくわからないけど。

私が口出しできることじゃないもんね。

でも、萌音も風間のこと心配していた。

風間は……それで、いいの?」


 どうすることもできない。

あの日から、僕は心の中で何度も呟いていたし、何度も打開策を思考していた。

警察、弁護士、両親、教職員を含めた大人に、本来は頼るべきであろう。

しかし、彼らに対する信用はないし、動いてくれるとも思わなかった。

警察が介入するにあたって、近親者でもない僕が、相談や被害届けを出したところで受理されるかわからないし、借金返済の為に働くだけで、奈々さんと相手側から強制労働も略取の意思もないと言われたら動けないはずだ。


 唯一の頼れる存在であり、少なからず情報を持っている堂島さんであっても、僕が行動することを良しとしていないのであるから、八方塞がりである。

仮に警察に頼って、うまく話が進んだとしても、後々に奈々さんの近親者が報復を受ける可能性は多分にあるから、彼女の意思によらないところで動くことはできない。

妹を大事に想っている彼女が、それを望まないことも理解している。

この件で妹と僕を巻き込むことはできない。

彼女は、一人で背負っていた。


「……わからない。

俺は、何もできないんだ……きっと」


「私は、何があったか知らないけど。

――あの人のこと……好き……なんでしょ?

好きな人……守ってあげないって格好悪いよ。

風間は、そんな奴じゃないでしょ」


 自身から放たれているかのような言葉が、真夏であるにも関わらず、鋭利で冷たい氷柱が心に突き刺さって、僕は黙っているしかなかった。


「――あの人には……一応、感謝する部分もあるから、あの人のことで何か言いたくなったら、私とか萌音に話したら?

――じゃあ、もう行くね。

――今日、助けてくれて……ありがとう」


 麻衣は立ち上がると「いつまでも、うじうじしてないでよ」と、僕の右上腕部に蹴りをいれてきた。

細い足で軽く蹴られただけであり、痛みなどなかったが、彼女なりの激励だったのだろう。

柔らかい温かさを感じた気がした。

彼女と言い争いにならないで会話ができたのは初めてであり、お互いが奈々さんの言葉によって成長できているようだ。


 屋上に一人になった僕は、ただ空を眺めていた。

何人の支配も許さないほどの強い青空とは真逆で、年齢によって、僕は様々な行動を制限されている。 

いや、守られているといったほうが適切だ。

守られている内は、誰も守れないとでも青空に言われているようだ。

遥か彼方から放たれる太陽の光は、神々しいほどに夏の青空と現在を共有していた。

僕は、時に取り残されて佇んでいる。

頭上を見上げていると、陽射しを受ける目には潤いが緩徐に集まってきて、真夏にもたらされる汗よりも幾らか早く頬をつたっていく。

その場に小さく屈んで、声は虫ほどもでなかった。 


 愛する人を助けられない。

 

 僕は……無力だ。


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