第一部 帰郷の夏に 5

 その件があって、もしかしたら彼女に会えるか、何らかの手掛かりがあればという淡い期待を胸に、この地を訪れた。

【五十嵐弁当】と書かれた店舗を眺めていると、懐かしい匂いが漂ってくるような気さえする。

しかし、この地に向かう前の自身の予想通りであったことに、少しばかり落胆していた。

まだ、確定するには、時期尚早だけれど。


 そうして佇んでいると、一軒先の鮨屋から老齢の女性が店先に現れた。

もう少しすれば昼時であるから、開店の準備を始めたようだ。

私は、真相を確かめるために、老齢の女性に近付いた。


「あの、すみません。

お聞きしたいのですが……あちらのお弁当屋さんって……」


 私の質問が全て言い終わる前に、老齢の女性は不思議そうな顔と共に答えてくれた。


「ああ? ああ、五十嵐さんのところは、閉店しているよ。

もう五年近くになるかねえ」


 やはり営業していないようだ。


「そうですか。昔に、こちらのお弁当屋さんを利用していたものですから。気になりまして」


「ああ……そうかい。

でもねえ、店を切り盛りしていた爺さん、婆さんが何年か前に相次いで死んじまって、他に家族も居らんから、今はもぬけの殻だよ」


「そう……ですか。ありがとうございました。

お仕事中に、すみませんでした」


「はいよ」という声と同時に、老齢の女性は、店先にある蛇口ホースから、水をゆっくりと撒き始めた。

撒かれた水は、蒸発熱として、直射日光に当てられていたアスファルトの熱を奪っていく。

まるで、今の私だ。

懐かしい記憶を呼び起こして、熱を帯びて行動してみたものの、結局は空振りに終わってしまった。


 斜め向かいにある時計屋、そこに設置された自動販売機の前に立った。

私が、中学生だった頃と変わらない。

同じ位置に、自動販売機は、ただ佇んでいる。

もっとも自動販売機自体は、メーカーも変わり、外観も様変わりしている。


 そして、スポーツドリンク、お茶を各一本ずつ購入した。

まだ、鮨屋の店先で掃除している、老齢の女性が目に入る。

先程のお礼というわけでもないが、お茶を一つ手渡すと、老齢の女性は「あら、悪いねえ。ありがとう」と、皺の深い手でお茶を受け取った。


 私は、五十嵐弁当の店先にあるベンチに、腰を下ろした。

店は閉店しているが、正面から外れて、右側に設置されたベンチは健在だった。


 目の前の車道を、自動車が少しばかり制限速度を超過して、ただ過ぎ去っていく。

まるで、中学生時分から現在に至るまでの自分のようだ。

本来、見失ってはいけない事に対して、目を逸らして気付かないふりをしている。

まったく憐れである。


 五十嵐弁当を訪ねてきたのは、厳密にいえば目的の過程であり、目的そのものではない。

店のご夫婦も亡くなってしまったようだから、手詰まりである。


 記憶を呼び起こして、斜め向かいの自動販売機を眺める。

そこに、かつての姿は無いけれど。

十数年前の彼女も、今、私が見ている視点。

いや、類似した視点から、私を眺めていたのだろうか。


【奈々さん】


 かつて、五十嵐弁当に、アルバイトとして勤めていた女性である。

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