この恋は法律で禁止されています
閏月かむり
クライム・クライミー・ラプソディ ⅰ
御堂彗太は私の恋人だった。
彼は付き合って3ヶ月後に、連続殺人事件の犯人として捕まった。
12人の婦女ばかりを狙った通り魔的快楽殺人は、瞬く間に世間で話題になった。
*
かじかんだ指を重ね合わせる。ドラマでよく見る穴の空いたアクリル板は、途方もなく現実味がなかった。壁も天井も床もすべてが一面白で塗り尽くされた部屋は冷気を発露させる。肌にはずっと寒気が走っていた。寒くて、寒くてたまらない。骨の芯から震えているようだ。鏡を見なくても分かる。きっと今の私の顔は、死体もかくやというほどの青さだろう。そんな私の目の前にいる彼は、ずっと穏やかな表情を浮かべていた。整った顔立ち。清潔感のある出で立ち。千歳緑と群青を混ぜて黒に近づけたかのような髪色と常盤色の瞳は、落ち着いた印象を抱かせる。以前まで、その深い森のような眼を見つめるたびに心が甘く色付いていたのに、今ではその感覚にひりひりとした痛みが混ざる。苦痛が心を蝕んで、叫び出したいのに叫び出せない。会えば何かが変わると思っていたのに、こんなの、余計に悪化しているだけだ。胸が苦しい。苦しい。アクリル板の向こう側にいる彼は普段と何一つ変わらない表情で、だからこそ恐怖を抱かせる。何か言ってほしいのに、その柔らかな笑みを形作る唇からは何一つ言葉は発されなかった。この部屋に来てから、一度も。未だ、面会室は沈黙を保ち続けている。
(私が何かを話すまで、何も言わないつもりなの?)
身勝手だ、と思った。そう思うと同時に、自分の感情がどこまでも的外れな気がした。身勝手?身勝手だって?12人も殺した快楽殺人犯に、何を言っているの。
「どうして・・・」
掠れた声で、喉から言葉を絞り出す。この時間を無為なものにはしたくなくて。飛び出たのは、ずっと頭の中を回り続けている疑問だった。詰問だったのかもしれない。嗚咽に似た。
ん?と優しく首を傾げたその様子に、また心臓の裏側を撫でられたような苦痛が背筋に走った。どうして。
「どうして、殺したの?」
たくさん、たくさん。
どうして殺人鬼になんてなったりしたの。
彼はその質問には答えなかった。代わりに笑って、
「君を殺すつもりはなかったよ」
(そんなことを聞きたいんじゃない)
怒鳴ってやろうかと思った。目の前のアクリル板の向こうにある顔を、殴ってやりたいとも。それなのに、
「本当に。僕は君を、最後まで殺さなかった」
それを、あまりにも真っ直ぐな視線で言うから。
その言葉に、喜べばいいのか、悲しめばいいのかも、分からなかった。
*
松野まつりは偏執的な恋愛をする女だった。それは自分でもとてもよく理解している。
初恋は高校二年生の春。桜の散り際が華やぐ晩春の頃だった。とても単純で、くだらない、取るに足りない理由で恋に落ちた。____落としものを拾ってくれたから。
ばかみたいだと自分でも思う。だけどあのとき、友達とも家族ともうまくいっておらず、最上級に落ち込んでいた私にとっては、劇薬のように染みた。
わざわざ同じクラスでもないのに、移動教室先に忘れていった消しゴムひとつ届けてくれた彼のやさしさが、途方もなく眩しく見えた。
「なんで・・・?」
「え?」
「なんで、わざわざ届けてくれたんですか?」
小さく呟いた疑問に、彼は笑って答えた。
「だって、落とし物は持ち主に返してあげなきゃだろ」
なんてことないその言葉に、胸は甘く疼いて。
持ち物には名前を書きましょう。小学校1年生の頃に言われた言いつけを未だ律儀に守り続けている自分の生真面目さに、初めて感謝してもいいと思えた。
「あ、ありがとうございます」
「ああ。それじゃあ」
きっかけはそれだけ。それだけだけど。きっと彼は、そんな親切、かけらも覚えていないのだろうけど。
あの日、松野まつりは御堂彗太に恋をした。
そのなんでもない優しさに、恋をしたのだ。
恋を自覚した後のまつりは、ただ彗太を知るためだけに尽力した。当然だろう。だって始めのころは、彼の名前も、年齢も知らなかったのだから。名前を知るのは、そう難しいことではない。だって同じ学校なのだから。虱潰しに探せば良い。そう思ったものの、認識が甘かったらしく、彼の名前が分かったのは探し始めて5ヶ月が過ぎた頃だった。御堂彗太。3年B組出席番号15番。てっきり同級生だと思っていたけれど、彼は一年上の先輩だった。そのことも、探し出すのに時間がかかった一因に違いない。
まつりはその後も、彗太先輩のことを調べて回った。彼本人にはバレないように、慎重に、慎重に。好きな食べものはタルトタタン。嫌いな食べ物はピーマンの肉詰め。甘いものが好きで、紅茶よりもコーヒー派。休日によく行くのは書店と喫茶店。成績は学年トップクラスだけど塾には行っていない。実家は他県の方にあって今は一人暮らし。基本理系だけど古典ミステリが好きで、図書館ではエドガー・アラン・ポーをよく借りている。足は早いのに球技は苦手。動物は好きだけど、一人暮らしでお金がないので飼えないらしい。学校ではよく、3時間目の終わりに購買近くの自販機でキャラメルラテを買って飲んでいる。
「いや怖い怖い怖い」
菜乃ちゃんが、急に首をぶんぶん振って話を遮ってきた。
「ちょ、こわいまつり、怖いって」
「なにが?」
最近のまつりの変化について「もしかして〜好きな人でも出来た〜?」と恋バナ全開で話を振ってきたのは菜乃の方ではないか。要望にお答えして、私の大事な恋心を赤裸々に語っているというのに、その態度はいかがなものか。
「赤裸々すぎない?いやというかそういう問題じゃない。どうやってそんなことを調べたの」
「いろいろ?でもこの程度の情報なら、ある程度先輩の身近なところを張ってれば簡単に手に入るよ。一番難しかったのは、先輩の第一志望校かな」
「しぼっ」
志望校だけは本当に難関だった。だって生徒の個人情報だから、先生も守備は固くなるというもの。風紀委員の副委員長として先生の信頼を勝ち得ていなかったら、きっと無理だっただろう。先生の雑用を断らず真面目に引き受けていた日々の、あの努力が報われた瞬間だった。職員室の気兼ねなく出入りできる立場というものは、結構有用なのだ。
再びあの日の達成感を思い出していると、何故かしばらく無言になっていた菜乃が、ボソリと何かを言った。
「やばい私の友達、恋で無自覚ストーカー化してる・・・」
「なんて?」
上手く聞き取れなかったから聞き返したのに、いやなんでもないなんでもないと首を振る。
「ええと・・・、告白はするの?」
「・・・」
「まつり」
「まだ、」
「うん?」
「その、」
「うん」
「・・・話せてない」
「何してるの???」
コイツ阿呆なの???というような視線がびしばし突き刺さる。やめて。そんな目で見ないで。砕け散るよ、心が。
「・・・だってなんて話しかければ良いかわかんないんだもん!!!」
重々わかっている。わかっているのだ、馬鹿なことをしているというのは。でも、彼になんて話しかければ良い?あの日落とし物を届けてもらった松野まつりです。って?もう半年以上も過ぎてるのに?きっと彼にとっては、ありふれた、それこそ日常の一部でしか無い親切のひとつに過ぎないのに。私にとっていくら特別でも、彗太先輩にはすでに忘れた時間で、だからきっと私が話しかけても「誰?」と聞かれる。その言葉に耐えられるほど、私の心臓は強くない。
「いやなんでもいいよ!なんでもいいから適当な話題で話しかけて、時間を掛けて仲良くなって来た頃に実は・・・の体で落とし物のことを言えば良いんだよ!ストーカーしてる場合か!?あと3ヶ月で卒業するんだぞおまえの愛しの先輩は!!!」
「ストーカーじゃないもん!!!」
ストーカーじゃない。だって盗聴も盗撮もしてないし、家に着いていったりもしてない。私が先輩をこっそりつけまわっているのは、学校の中だけだ。・・・先輩が飲み終わった後のカフェオレのパックとストローは、回収してるけど。
いやこれはそう、少しでもゴミを減らすための慈善活動だから!誰にも迷惑掛けてないし!人に知られさえしなければOK。そうだよねうん!!
はあ、はあとまつりも菜乃もお互い呼吸を整えるための沈黙が続く。思わず声を荒げてしまったため、息が続かなくなってしまったのだ。ここが休日のカラオケボックスでよかった、とまつりは心底思った。もし教室の昼休みだったら、色んな意味で死んでいた。
「と、とりあえず、」
先に息を整え終わったまつりが、己が恋の当面の目標を宣言することにした。発破を掛けてくれた友人のためにも。
「大学中には、知人以上になる・・・!」
「同じ大学に行くことは確定してるんだ・・・」
当然だ。そうでなくては、なんのために先生の目を盗んで先輩の志望校を確認したのか分からない。先輩の学力ならきっとどこでも問題なく受かるだろうから、後は私が頑張るだけだ。うん、うんと頷きながら頑張ろうと決意する。恋の戦はまだまだこれからだ。
というかそこはせめて友人以上であれよ・・・。という菜乃のツッコミは、聞いてないフリをした。
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