無理。生理的に。

本編




 中学生の頃、告白ゲームの標的になった。


 ニンゲンというイキモノはどこまでも残酷になれるものだ。

 個人情報と共に拡散された一部始終の動画は半年ほど世間を賑わせ、当時所属していた吹奏楽部を辞める決定打となった。


「いやもう、生理的に無理」


 全体練習どころか担当楽器ごとのパート練習すら女子部員たちに拒まれた。

 部長だった女生徒が告白ゲーム首謀者の一人だったこともあり、吹奏楽コンクール入賞を目標に掲げていた部活顧問から「学生の本分は勉強だから」と自主的な退部を促されたりもした。

 残酷な話だ。

 想定外があったとすれば、男子部員十名全員が自分と一緒に辞めたことか。

 過半数を女子が占める吹奏楽部だったが、重要な楽器の幾つかは男子が担当していたこともあり、当然ながら現場は大変混乱した。口を揃えて「学生の本分に専念します」と宣えば部活顧問は顔を赤黒くさせたまま退部届の束を受理するしかなく、コンクール直前なのに無責任だと喚き散らす部長に対して「いやもう、生理的に無理」と別の男子が返す。

 そりゃもう荒れた、荒れまくった。


「それで、どうなったんですか?」


 その後?

 前後して例の感染症が爆発的に拡大して、コンクールどころか全国の学校が閉鎖されて卒業までリモート授業だったかな。

 うん。

 修学旅行も卒業式もなし。

 高校生活も似たようなもので、ずっと自宅で授業を受けていた。大学受験の頃に封鎖が少しずつ解除されて、最後の一か月だけ制服を着て通学できた。顔の半分を覆うマスク着用で、新品同然で糊の効いた学生服をクラスメイトと互いに見せびらかして笑った記憶がある。


「なるほどなるほど。つまり、おにーさんは女子中高生にトラウマがあるんですね。わかります、必要なのはショック療法です」


 安っぽい合板のテーブルをばしばしと叩きながら、発育過剰な女子中学生が鼻息荒く主張する。

 楽だからとテーブルに発育過剰なブツを載せるのは目の毒というか教育に悪い光景なのだが、この場で最年少なのは間違いなく目の前にいる少女である。


 真田ジュリエット。


 自称アラサーの推定十三歳。

 昨年末の関東出張時、雪降る都内にて青〇スポットで有名な公園で自然薯掘りをしていた彼女を発見したのが出会いである。怪しげなるマッチングアプリとかパパ活SNSの類では、一切ない。

 二十代も半ばを過ぎた自分がひとつのテーブルを囲めばそれはもう通報待ったなしの案件である。自分も通報したいし自首したい。未遂で済んでいる内に社会的制裁を受けた方が世の中的には大正解ではないかと自問してしまう。

 それはともかく目の前にいるのは女子中学生。

 思い出したくない部活時代の苦い記憶を適度に再封印しつつ、傍らに重ね置いていたメニュー表に視線を落とす。尾張発祥で全国展開している喫茶店で、ここの商品には「小腹を満たす」という概念は通用しない。特にサンドイッチと麺類は初見殺しとして全国の中年サラリーマンを次々と葬り去っている実績があるのだが、目の前の健康優良女子中学生を打ち取るには物足りなかった模様。


 先鋒、味噌カツサンド。瞬殺。

 次鋒、大盛ナポリタン。秒殺。

 中堅、特製手羽餃子。轟沈。

 副将、サンタ長靴クリームソーダ。力及ばず。

 大将、熱々バウムクーヘンのバニラアイス乗せ通称「エリア55」、壊滅。


 アダムスキー型UFOを模した、直径20センチ高さ4センチの厚切りバウムクーヘンにメイプルシュガーをまぶしてオーブンで焦がしカラメル状の飴掛けにしたところに星型ゼリーを混ぜ込んだ直径15センチ半球ドーム状のバニラアイスをパイルダーオンするという甘味とカロリーの暴力。それすら成長期の女子中学生の前では無力であった。


「ごちそうさまでした」


 あれだけ食べておきながらウェストが1インチも膨らんでいない。

 そんな人体の神秘を披露した女子中学生がこの世のすべての食材に感謝を捧げている横で、彼女と同じメニューを頼もうとして最初のカツサンドを突破できずにテーブルに突っ伏しているのが彼女の叔母であり元勤め先の上司でもある浦島サクラさんじゅうよんさい。外見だけなら女子中学生と姉妹で通用する美人だが、社会人というか女子としての尊厳が現在進行形で失われつつある。


「む゛ぅ゛り゛ぃ゛ぃ゛い゛い゛い゛」


 R17.9写真集の宣伝を行ったところSNSアカウント凍結を喰らった、書類上は三十路の美女である。

 旧時代は三十路でもツインテールにスクール水着写真姿で青少年の股間をふっくら盛り上げたグラビアモデルがいたという。黙ってたら女子高生は無理でも女子大生としてなら余裕で通用しそうなのが何というか。


「藤原君なんで辞゛め゛た゛の゛よ゛お゛お゛お゛お゛」


 数多の小学生男子を真夜中パンツ洗いに走らせた、ドスケベな濁声で叫ばないで。ボイス商品を愛用してると思しき男子中高生たちが周りの席で不審な挙動を見せてるし。曇りガラスの衝立が役に立ってない。

 あとそこの女子中学生さん、なんか目をキラキラさせてない?


「おにーさん、無職なんですか!」


 辞めたね。

 辞めたとも。

 退職届を提出して有休消化中よ。

 元々辞める予定だったしね。

 それとは別に社長の娘と称する女性が、まあ経営コンサルタントって触れ込みで紹介されたけど社内を引っ掻き回してくれてね。まったくもって偶然だけど、役職もたない社員全員が一斉に退職して大変みたいだね元職場。なんか中学時代の吹奏楽部の部長と同姓同名だなって思い出した時点で会社に残る選択肢はゼロになったんだけど。


「あ゛た゛し゛も゛辞゛め゛た゛い゛ぃ」


 テーブルを叩くのはやめてくださいお客様。

 なにとは言わないけど揺れてるんです。ばいんばいんって。

 誰とは言わないけど、あんたら二人のが。突っ伏してるから揺れ方が凄いんだけど、なにこれ新種のエロ動画撮影会ってレベルで。前後と上下に。


「叔母さんも辞めたらいいんじゃない」

「辞゛め゛た゛ら゛藤゛原゛君゛を゛養゛え゛な゛い゛し゛ぃ」


 誤解を招く発言はおやめください。

 きちんと自活しとるがな。

 そこの女子中学生も無暗に対抗意識を持たないで。ステイ、ステイ。その手に握りしめた預金通帳はおにーさんの横っ面を叩くハリセンではないのだ。


「わたし知ってます。パパ活女子が東京で流行ってるって! お金さえ払えばおにーさんは今日からわたしのパパですね!」


 地元の大人たちは何を教えてるんだおい。

 視線逸らすな元上司。

 店員さんが電話片手に何処かに通報しようとしてるんだけど。なにこの既視感。年末にポリスメンと世間話したけどね。信じてくださいお巡りさん、自分は保護した側なんです。露出過多なのは自分のせいじゃないんです。店員さん自分は無実なんです、未遂ですらねえんだよ。

 というかさ、無職のおにーさんを呼び出した理由そろそろ教えて?

 断るとポリスメンとか元上司をけしかけてきたんだし、割と真面目な内容でしょ? 進学とか家庭の事情とか、肉親やトモダチには吐けない愚痴とか。多感な時期の子は適度な距離の他人相手なら言える事もある、かなあ。


 ……

 ……

 用件、あるんだよね?

 わざわざ元勤め先のある県庁所在地じゃなくて、国宝からす城のある街に呼び出したんだから。おにーさん知り合いの弁護士とかにも相談できるように資料とか用意してきたんだけど。


「もうじきバレンタインデーなので、おにーさんにチョコを御馳走になろうと思って連絡しました」


 はい、元気があってよろしい。

 おいそこの元上司どういうことよ。


「が、外国では男性から女の子に花を贈るところもあるというし?」


 チョコ関係ないよね。


「叔母が言ってましたが、今年はおにーさんのホワイトチョコを貰えるそうなのでご相伴にあずかろうかと!」

「あ、ごっめーん☆ なんか本社から連絡あって浅魔山が突然噴火して会社が溶岩に呑み込まれたから急いで戻らないと☆」


 えへんぷいと胸を張る女子中学生。

 突っ伏してた上半身を勢いよく起こしてアイドル顔負けのてへぺろ顔ですべてを誤魔化そうとする元上司。

 通報は勘弁してください店員さん、なんでもしますから。


「なんでも!」

「言質はとったわ藤原君!」


 おめえらじゃねえずら。




▽▽▽




 その後の話をしよう。


 まず、実家に戻って野沢菜農家を継ぐプランが破綻した。

 研究者の道を断念して女子高の教員になっていた兄が、卒業した元教え子を孕ませたためだ。


「ちゃうねん」


 手を出したのが卒業後でもアウトでは?


「卒業して教育実習で戻ってきて、成人してて」


 在学中から言い寄られていたのを卒業まで回避して安心していたのだが、教育実習生として再会した際に油断してたら一服盛られたそうな。

 うん。

 卒業後も三年間、文通ペンパルしてたと。

 兄よ。

 そりゃ一服盛られるわ。

 実家は任せた。




 という感じで田舎で羽を伸ばすどころか次の住居と仕事を探さなければいけない状況になった。

 幸い、というか。一緒に辞めた社員まとめて「うちに移籍しませんか」と声を掛けてくれた奇特なところがあったので、お世話になった。いつの間にか取締役と創業者一族以外のほぼ全ての社員が、である。むしろ社長とその取り巻き以外が全員逃げ出したまである。

 逃げ出したというか、見捨てたというか。


「いや、アレが次期社長とか言い出した時点で無理。生理的に無理」


 いつの間にか企業広報のVtuberの中の人に納まっていたらしい、自称社長令嬢を評した同期の言葉である。


「浦島課長の時は彼氏欲しいアピールもネタで通用したんだけど」


 ネタだったらどれだけ良かったか。

 ちなみに浦島課長は役職そのままに仙刻商事営業部に所属し、前の会社で提携していた自称インド企業へ事情説明と再契約の締結のため絶賛出張中である。おかげで送り付けてくる自撮り写真の布地が妙に薄くて狭い。隠せていない。隠す気を持てとも言うが。隠す毛は無かった。

 そっかー。

 じゃあ、いま速報で流れてる事件は浦島課長とは無関係か。


「そうじゃね? 浦島課長がホスト狂いだったとか聞いたことないし、交代するまでは収益化してなかったから小中学生から金を巻き上げるとかやってないだろ」


 救急車とパトカーと消防車が駆けつけている元職場の中継映像を一瞥した後、同期は食事の再開を優先した。自分も似たようなものだ。野沢菜の古漬けに自然薯の味噌漬けと言う、およそ二十代の昼飯とは思えないチョイスの弁当に戦いを挑まねばならない。あと麦入り握り飯にキリギリスの佃煮。

 先週は蚕の蛹の素揚げカレー粉まぶしだった。

 がんばれ自分。

 負けそうだけど、負け方は選べるぜ自分。

 大丈夫、これは地産地消推進プロジェクトの御当地グルメ調査の一環だから。決して通い妻(自称)の愛妻弁当(自称)とかじゃないから。


 ピコン。


『おっきな地蜂スガレの巣を掘りました! 来週は佃煮と猪肉山鯨を贈りますね!』


 とびきりの笑顔と共にクロスズメバチの巣を掲げた女子中学生の写真が携帯端末に送られてきた。彼女の背後に上あごから脳天にかけて掘串で貫かれた四足歩行の動物のシルエットが見えるのだが、モザイクが掛けられているので詳細不明だ。

 あのですね、真田ジュリエットさん。

 それ、猪と言い張るには手足が長くないですか? あと毛深い。 胸元の白い三日月に見える模様は?


 ピコン。


『お礼に、こんど一緒に喫茶店で御馳走してくださいね!』


 わー無邪気な笑顔。

 ところで中継のTVから銃声が聞こえているんだけど。ねえ。




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