第5話 祖父と祖母・1


 マサヒデが黒嵐に乗って街道を走って行くと、しばらくして遠くに馬車が見えた。


(あれかな?)


 ここまでがらがらと大きな音が聞こえてくる。

 ぱしん、ぱしん、と御者が鞭を入れている。


(ふふ。それは急ぐよな。俺でも急ぐ)


 小さく笑って、街道脇で黒嵐の足を止め、馬車を待つ。


「マサヒデー!」


 カゲミツが満面の笑みで顔を出し、手を振りながら大声でマサヒデを呼ぶ。

 マサヒデも手を振り返しながら、


「止まってくださーい!」


 マサヒデを少し通り過ぎた所で、馬車が止まった。

 首を返し、ぽくぽくと馬車の横に黒嵐を止める。

 ばたん! と勢いよく馬車の扉が開いて、黒嵐が驚き、少し顔を上げる。

 稽古着のままのカゲミツが飛び出してきて、


「マサヒデ! 迎えに来てくれたか!

 てことは、マツさんは大丈夫か!? 大丈夫なんだな!?

 お前、マツさんの近くにいなくて良いのか! おい! 馬鹿野郎!」


「マサヒデ!」


 と、アキも馬車を降りてくる。

 マサヒデは黒嵐を抑えながら笑って頷き、


「マツさんは、全く大丈夫です。ご心配をお掛けしました。

 我々、人族と違って、出産がすごく簡単なものだったんですよ。

 ことん、と鶏のタマゴくらいのタマゴが出て、それで終わりだったんです」


「は? 鶏のタマゴ?」


「ええ。何か変な感じがする、と医者の所へ行ったら、足元にことんって。

 このくらいの小さな黒いタマゴが落ちてきて、出産は終わりました」


 カゲミツがぽかん、と口を開け、


「・・・何? ちょっと待て。タマゴが落ちた? 終わり?」


「はい」


「今日? 朝?」


「はい」


「陣痛とかは? 昨日の夜中から、うんうん苦しんでとか・・・」


「いえ。朝餉を食べ終わってから、ギルドの治療室へ行きました。

 お医者様の前に立ったら、マツさんの足元にタマゴが落ちました。

 お医者様が、産湯を用意してくれて、タマゴを拭きました。

 それで終わりです」


 アキが「ぱたん」と地面に膝を付き、


「待って・・・マサヒデ、マサヒデ」


 かくん、とカゲミツも肩を落とす。


「それだけ? それだけなのか? 本当に?

 お前、また俺をからかってんじゃねえだろうな?」


「全くの健康体で、お医者様にはもう酒も呑んで良いと言われました。

 今日は皆で祝え、と」


「酒!?」


「それくらい、平気なんですよ」


「はっ、はっ・・・」


「あなた・・・」


 膝を付いた母が、変な声を出すカゲミツの足に手を伸ばす。


「お忘れですか。マツさんは、我々、人族とは違うんですよ」


「いや、そうだが、いやそうだ、そうだけども」


 マサヒデは馬から降りて、アキに手を伸ばして立ち上がらせ、


「さあ、父上、母上、馬車に乗って下さい。

 マツさんと、孫が待ってますよ」


「おう・・・おう」


「ふふ。見たら驚きますよ。

 産まれた直後、タマゴがむくむく大きくなったんです。これくらいまで。

 そうだ、お医者様の所に行って、タマゴの中を見せてもらいましょう。

 中に、ちゃんと赤子が居るんです。見せてくれますよ」


「ああ、うん。見せてくれ・・・」


「そうですね・・・」


 ふらふらと、父と母が馬車に乗り込む。

 マサヒデは御者の横に立って、


「いや、申し訳ありません。飛ばして来たから、お疲れでしょう。

 ここからは、馬を普通に歩かせて下さい。私が前を行きますから」


 話を聞いていたのか、御者もふわふわした顔で、


「はい、分かりました・・・」


 頷いて、マサヒデは黒嵐に「しゃ!」と跨る。

 馬車の前に馬を進め、振り向いて、


「さ、参りましょう!」


 と、常歩でぽくり、ぽくりと馬を進める。

 後ろから、がらがらと馬車が付いてくる。



----------



 魔術師協会前。


 馬車が止まり、まだ少しふわついた顔のカゲミツとアキが降りてくる。

 マサヒデはギルド前の繋ぎ場に黒嵐を繋いで、御者の横に立ち、


「どうもありがとうございました」


 と、頭を下げた。


「ご利用、ありがとうございました」


 馬車ががらがらと去って行く。


「さあ、父上。母上」


「おう・・・あ、しまった! 俺、稽古着のままじゃねえか!」


「それだけ急いで来てくれたんですね。ありがとうございます」


 マサヒデが頭を下げる。


「ん、まあ急いだが、流石に稽古着ってのは・・・まあ、良いか!

 皆、知ってる顔だしな! さあ、アキ、行こうぜ!」


 カゲミツが、ぴし、と稽古着の襟を正し、ぱんぱん、と裾を払う。

 マサヒデは玄関の前に立って、扉を開け、


「お入り下さい」


 と、頭を下げた。

 カオルとマツが手を付いて、頭を下げている。


「よおーし! 初孫の顔、見せてもらうぜ! はははー!」


 笑いながらカゲミツが玄関に足を入れると、マツが頭を下げたまま、


「お父上、お母上、わざわざのお越し、ありがとうございます」


「おう! マサヒデに聞いちゃいたが、本当に元気なんだな!」


「はい。ご心配をお掛けしまして、申し訳御座いません」


「ささ、二人共、頭を上げてくれ! さあさあさあ、孫を見せてくれよ!」


 ぱっ、ぱっ、と草履を後ろに脱ぎ飛ばし、カゲミツが腰の刀を抜いて右手に持ちながら、どすどすと上がっていく。

 カオルが頭を上げ、台所に下がって行く。


「あなた! もう・・・」


 アキが草履を拾って、玄関に並べ、


「マツさん、申し訳ありません」


 くす、とマツが笑って、


「いえ、さあ、お母上もどうぞ。こちらです」


 奥の居間から、


「お父様!」「カゲミツ様! 見てよ!」


 と、クレールとシズクの声が聞こえた。

 マサヒデが上がると、廊下でカゲミツが固まっている。


「・・・」


 アキもマサヒデの後ろについて来たが、廊下から床の間の禍々しいタマゴを見て、ぴたりと動きを止めた。


「・・・」


 2人の横をすり抜けて、マサヒデは居間に入って座り、


「さ、父上。母上。そちらへ」


 と、上座に置かれた座布団に手を差し出す。


「・・・おう・・・」「・・・はい・・・」


 こくん、と2人は小さく喉を鳴らし、床の間のタマゴの方を向き、座布団に座る。


「なあ、マサヒデよ・・・」


「ふふ、お父上、お母上の言いたい事は分かります。

 この黒いもやですね?」


「あ、ああ、うん、まあ・・・うん」


 それだけではないが・・・

 カゲミツが口を濁し、アキがそっと目線を逸らす。


「お医者様が言うには、これは物凄い魔力が出ているのだとか。

 将来は、大魔術師になること間違いなしですよ。

 マツさんの魔力を、強く引き継いだのですね」


「大魔術師って・・・あ、あー! そうか!」


 ぽん、とカゲミツが膝を叩き、


「そうだ! マツさんと立ち会った時、こんなの出してたな!

 おお、そうかそうか! あれと同じか! なあーんだ、びっくりしちまったよ!

 そうか、これはすげえ魔力が出てんのか! へえー・・・」


 カゲミツとアキが顎に手を当てて、顔を近付ける。


「お、ちょっと待て。マサヒデ、何かこれ、普通のタマゴじゃねえぞ。

 もやっててあれっと思ったけど、こう、鱗みてえなのが出来てるじゃねえか」


「お医者様の推測なのですが、殻にそれはもうすごい魔力があるそうで。

 それを出すのに、そういう形になったのでは、と」


「ほお・・・なるほどなあ。そんなにすげえ魔力があるってことか。

 まだタマゴなのになあ。そりゃあ、将来は大魔術師になるわな・・・」


 うんうん、とカゲミツが頷く。

 カオルが入って来て、2人の前に茶と茶菓子を置く。


「どうぞ、お上がり下さい」


「お、すまねえ」「ありがとうございます」


 カゲミツがまんじゅうを取って口に放り込み、もぐもぐと食べる。

 アキもタマゴを見ながら、羊羹に刺さった爪楊枝を取る。


「落ち着きましたら、後でお医者様の所へ行きましょう。

 魔術の器具で、タマゴの中が見られるんです。

 ちゃんと赤子が居るんですよ」


「む、む」


 カゲミツが湯呑を取って、茶でまんじゅうを流し込み、


「おう、見てえ! 見せてくれよ!」


「うふふ」


 と、マツが笑う。

 クレールがにこにこしながら、


「ね、お父様。正直に申しますと、私も、初めて見た時は驚いたんです。

 でも、落ち着いて見ると、この黒、美しいと思いませんか?

 私、このタマゴを見て、古の茶の名人が黒を好んだって、良く分かったんです」


 カゲミツとアキは頷いて、


「うんうん。分かる! 俺にもよおーっく分かるぞ!」


「ええ・・・本当、綺麗ですね」


「これはな、あれだ。魔神剣の黒に似てる。ああいう黒だ。

 だけじゃねえ、この赤よ。これが鮮やか過ぎず、黒を引き立ててるんだ」


 クレールが嬉しそうな声で、


「お父様にも分かりますか! 私も、その鮮やかすぎない赤が素晴らしいと!」


「だよなあ!」


「ええ、私にも分かります!」


 カゲミツとアキが、にこにこ笑って、床の間から振り返る。


「俺も初見こそ驚いたけどよ、落ち着いたら、この美しさよ。すげえよ。

 マツさん、よく頑張ったな! ありがとう!」


 ば! とカゲミツが身体をマツに向けて、頭を下げる。

 続いて、アキも頭を下げる。


「そんな! お父上、お母上、頭をお上げ下さいませ!」


「良いんだ! 礼を言わせてくれ! ほんと、ほんとに、ありがとう!

 う、う・・・ちきしょう! 情けねえなあ! いい大人がよ!」


 ぽた、ぽた、と畳に滴が落ちる。

 あのカゲミツが泣いている。

 剣聖が、泣いている。


「お父上!」


 がば、とマツが頭を下げたカゲミツに跳びついた。

 クレールも後ろでそっと目尻をぬぐう。

 ず、とシズクが鼻をすする。

 廊下のカオルも、口に手を当てて涙を流している。

 正座したマサヒデの膝の上の手に、ぽたりと涙が落ちた。

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