第50話 欲望の解放


「すみません、こうのとり様。そろそろお時間ですが……」


 店員が声を掛けて来て、そんな言葉を紡いで来た。

 何かキャバクラみたいだな……なんて思ってしまったが、頭を振って余分な思考を振り払った。

 恐らく彼が貸し切っていた時間に迫った為、声を掛けて来ただけなのだろう。

 一応言っておくが、俺は未婚の時に会社の付き合いでしかそう言う場所に足を運んだことはない。

 なんて、誰に対してでもなく言い訳を思い浮かべながら席を立ち上がってみれば。


「あらら、楽しい時間程早く過ぎるね。唐沢さんの話はまた今度、と言う事にしようか」


 ニッと口元を吊り上げたescapeが、店員にクレジットカードを渡していた。

 お、お前……俺がRedoを始めた理由を知っている上でそんな事言ってるだろ。

 更に二人ほど大層な理由が無い事を承知で、言葉にさせようとしているだろう。

 本当に性格が悪いな、コイツは。


「ご馳走様、エスケー……鸛君」


「ハハッ、今後はさっきみたいな感じで絡んでくれると嬉しいよ。今日は楽しかった、お開きにしようか」


 声を掛けてみれば、彼は普段通り……というか、通話で話している時の様な飄々とした様子で笑い声を上げた。

 彼の態度には既に慣れたが、やはり年下の子に奢ってもらうのは気が引けるな。

 とはいえこういう事が出来る男がモテるんだろうなぁ……次に会った時、理沙さんと付き合い始めましたなんて言われたらどうしましょう。

 祝福はするが、おじさん邪魔になっちゃいそうで怖いよ。

 などと下らない事を考えつつ、皆揃って店の外に踏み出してみれば。


「それじゃ、今日はこの辺で。後はよろしくね、唐沢さん?」


 そんな事を言いながら、彼は人波に紛れていくのであった。

 後はよろしくって、これまた無茶ぶりしてくるな。

 思わずため息を溢しながら、消えた彼の背中を見送っていれば。

 グゥゥっと、後ろから何か音が聞えて来た。


「え?」


「聞えなかった事にして下さい」


「いや、でも」


「聞かなかった事にして下さい!」


 お腹を隠した理沙さんが、顔を真っ赤にしながら此方に向かって叫んで来た。

 先程まで飲み食いしていた訳だが、確かに……気持ちは分かる。

 うんたらかんたらのピクルスと何とか、物凄く薄い生ハムと何かの付け合わせ、とか。

 お高すぎるそれらは物凄くちょびっと盛り付けられていたので、当然お腹に溜まる筈がない。

 そして何より、あんな店では緊張で食べた気にならない。

 あと、メニュー表の御値段が気になってしまって沢山食べる気にはなれないし。


「改めて、大葉理沙さん、でしたよね。この後、もう少し時間は有りますか?」


「ありますけど……私、一人暮らしなんで」


 おーい、女子高校生。

 そう言う情報は無暗やたらに公開しない方が良いぞ?

 これも、後で注意しておこう。


「僭越ながら、私と一緒にお食事でもしませんか? それはもう、普通の。ひじょ~に普通のご飯行きませんか? 奢りますから」


「行きます! あ、でも……その、おごりじゃ無くて。割り勘とかで……」


「あはは、律儀ですね。でも今日は奢らせてください。このままだと、年長者としての威厳がどっか行っちゃいますから」


 もう既に威厳とか全く残っていない気もするけど、あまり気にしない様にしよう。

 と言う事で、escapeが去った後。

 こっちはコッチで二次会が開かれる事になった。

 後はよろしくって、彼の言葉は。

 多分こういう事で良いのだろう。


 ※※※


「あ、あの! 本当に引きませんか!? 一回、こういうの頼んでみたかったんです……」


「どうぞどうぞ。じゃぁ俺は……すみません、激辛味噌ラーメンチャーシュートッピング、それから味玉をお願いします」


「豚骨醤油、追加チャーシューとニンニクマシマシでお願いします! 女子だけだとこういう店来ないんで、食べてみたかったんです!」


 二人して注文してみれば、厨房からは「承りましたぁ!」と元気な声が聞こえて来る。

 二次会として訪れた店、とても落ち着く。

 その辺にあるラーメン屋、とは言っても男性陣が好みそうなマシマシ系の店だが。

 何度でも言おう、とても落ち着く。

 どちらかと言えば、理沙さんの感覚は此方に近かった御様子で。

 彼女もまた、先程の店よりリラックスしている様に見える。


「あ、あの……ありがとうございます。大人は皆あぁいう店に行くのかなって、ちょっと心配になっちゃいました」


「まさかまさか。きっとアレはエスケー……あぁ、名前は伏せた方が良いですね。あのクソガキのやんわりとした嫌がらせですから、お気になさらず。普段の俺なんて、理沙さんでも立ち寄る様なお店ばかりですよ」


 アイツ、escape。

 彼だけは非常に楽しんでいた事だろう、間違いなく俺達の反応を見て面白がっていた。

 他者から話を聞かれないスペースなんて、いくらでもあるだろうに。

 あえてあんな高い店を選びやがって……。

 そんな事を思いながら、疲れたため息を溢していれば。


「唐沢さんは、なんというか……大人、ですね。結局話をまとめてもらいましたし、リーダーって感じがします」


 カウンター席の隣に座る彼女が、そんな事を言って来た。

 だが、多分それは違う。


「そういう経験があるから、そう言う対応が取れる。それだけなんですよ。それに俺は、リーダーなんて柄じゃないですから」


「えぇと?」


「実際、あのゲームに関わっている時の俺は……アレですから。つまり根っこ部分、本能は“アレ”だと言う事です。認めたくはありませんけどね」


 理解したくはない、納得したくもない。

 それでも、そう言う事なのだろう。

 あの鎧は、俺の心から生まれた。

 だからこそ表面上どれだけ綺麗に見せようとも、内側はアレだけ汚れているという事に他ならないのだ。

 Redoを始めた理由だって、二人の様に綺麗なモノであったり真っすぐな目標がある訳ではない。

 どこまで自分勝手で、自らの守りたいものだけを守る為の力を求めた結果。

 世界全てが敵になっても牙を剥くかという質問に対し、イエスと答えてしまった俺の傲慢さが生んだ鎧。

 それが、“スクリーマー”なのだから。


「本当に……そうなんですかね。私は、ちょっと違う気がします」


「え?」


「あのゲームは、本能をむき出しにするなんて言ってますけど。私は……私の本心なんて、大した事無いんです。それに、紗月の時だって……」


 そんな言葉を紡ぐ彼女は、当時の事を思い出したのか。

 少しだけ表情に影を落としながら俯いてしまう。


「普段の私は……その、全然駄目で。周りあわせて、ヘラヘラして。あんな……一対一の決闘を申し込めるほど、強くないんです」


「と、言うと?」


 顔を下げてしまった彼女に問いかけてみれば、理沙さんはグッと拳を握り締め。


「あのゲームの中だけなんです、我が通せるのは。ログインするまでは、どうしようどうしようって、ひたすら悩んでます。吐きそうになるくらい悩んで、考えて。それでも答えが出せなくて、だから諦めて……端末を操作するんです。その結果、“向こう側”の私が判断してくれる。生きる為には、コレが必要だって。だから私は……アレが自身の本能だなんて、とても思えないんです」


 つまりゲーム内のアバターの事で卑屈になる必要はない、と言いたいのだろうか?

 彼女を励ますつもりで今日は集まったと言うのに、逆に気を使われてしまった。

 そんな訳で、ちょっと暗くなってしまった彼女だったが……その目の前に、ズドンッと音がする程の丼が出現したではないか。

 そして、俺の前にも。


「お待ちどうさま!」


「あ、どうも……」


 返事をしてみたが、とてもタイミング悪い。

 彼女、凄く辛そうな話をしているのに……目の前にはやけにデカいラーメンが登場してしまったのだ。

 えぇと、コレは……どうしよう?

 なんて考えていると彼女はおもむろに箸を掴み、ふぅぅと深く息を吐き出してから。


「いただきます」


「あ、はい。どうぞ」


 もっしゃもっしゃとラーメンの上に広がる野菜を食べ始め、そのままの勢いで麺を啜り始める理沙さん。

 ここのラーメン屋は、何と言うか。

 結構大食い系、でも味が良いと言うレビューが多くて気になっていたんだ。

 などと話をした結果、この店に立ち寄ってしまった訳だが。

 凄い、高校生の胃袋……強い。

 みるみる内にラーメンを減らしていき、ボケッと眺めている間に丼の中身は空っぽになってしまった。

 フゥゥゥと深い息をつく彼女は。


「ごちそうさまでした。凄いですね、食べきれました。最近あまり食べていなかったのと、ついさっき無駄に高いおつまみを食べて胃がびっくりした影響でしょうか」


 多分、違うと思います。

 元々の身体能力が影響している気がします。

 と言う事で、俺の方も急いでラーメンを啜っていれば。


「あ、このお店揚げ餃子もあるんだ……へぇ、珍しいですね」


 メニューを眺めていた彼女が、そんな一言を呟いた。

 コレはもはや、けち臭い事は言っていられない。

 食欲が出てきたのなら、存分に食べるが良いさ。


「すみませーん! 揚げ餃子一つ!」


「いや、え!? すみません! 強請った訳じゃないんですよ!?」


「いいから、食べられる内にいっぱい食べな? 若い内なんて、すぐ消化しちゃうんだから」


 そんな事を言いながら、此方はひたすらにラーメンを啜るのであった。

 理沙さん……ダイエットとか向いて無さそうだなぁ。

 いや、今でも相当スタイルが良いのでその必要自体が無いのかもしれないが。

 とはいえ、ちゃんと食べられる様になって良かった。

 彼女の端末“リズ”から、食生活でのヘルプコールが来た時には焦ったモノだが。


「はい、揚げ餃子お待ち!」


 店員が運んで来た餃子に対し、理沙さんはジッと視線を向けるのであった。

 と言う訳で。


「どうぞ。私の分とか考えなくて良いので」


「な、なんかすみません……いただきます」


 この子、実は滅茶苦茶腹減ってるな?

 その事に改めて気が付けるくらい心に余裕が出来た。ということなら、今日の会合は成功と言って良いのだろう。

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