罰と罰

小狸

短編

 これは、実際にあった話である。


「体罰はありだと思うんだよね、実際」


 そんな風に会話の口火を切ることができる者が、果たしてこの世の中に何人いるだろうか。

 

 教育実習の最中、授業や部活が終わり、その日の日誌を書いていた時。


 Tはそう言い放った。


 Tは保健体育の教員免許を取得するために、僕と同時期にこの中学校に実習に来ていた男である。名前と出身大学と、実習のあった中学の名前は、伏せさせてもらう。個人情報の保護のためである。


 僕とTとは、その実習の事前研修が初対面であった。


 というのも、その実習校は、僕の母校ではなかったのだ。


 母校――中学校と高校には、勿論連絡を入れたけれど、既に定員オーバーしており、残念ながら受け入れて貰えなかった。そのため、大学側が、大学近辺の中学校に教育実習先を用意してくれた、という塩梅である。まあ、要するに、構造も配置も知らない中学校にいきなり放り込まれたことになる。実際に教員になってから振り返ってみれば、この頃の勢いというか、重ねた無理と無茶は、赴任した学校で生きたように思う。


 その年の教育実習は、僕とTの二人だけであった。


 Tははきはきとした、いかにも体育会系という風貌の色黒の男であった。一方僕は青瓢箪も良いところの人間なので、相性が合うかどうか不安だったけれど、そこは流石は体育会系、彼のコミュニケーション能力の高さには、辟易しつつも、救われることが何度もあった。


 そんな実習の最中。


 そんな彼が、言った言葉を。


 僕は一瞬、理解できなかった。


「え――何を言って、るんだ」


「いや、だからさ。体罰も必要なんじゃないかって、俺は思っているんだよ」


 僕の聞き間違えではなかった。


 Tは本当に、体罰は必要だと、そう言ったのだ。


 昨今、メディアが発達するに際して、教職員の不祥事というのも、表面化して来る傾向にあると思う。


 生徒への体罰、隠し撮り、性的いやがらせ等々。思わず目を背けたくなる――そんな許されない行為が実際に子どもたちに対して行われているという現実を、僕は教職課程の講義で学んできた。


 だから、Tのその物言いに、一瞬身体が、固まってしまった。


 ここで怒号を発して僕が発奮すれば良かった、のかもしれないが。


 後の祭りである。


「どうして、そう思うんだい」


「殴らなきゃ分からない事って、あると思うんだよな。特に最近のガキはさ。俺、別に教職が第一志望じゃないし、どうでも良いんだけどさ」


 それは、Tの口から最も聞きたくない言葉だった。


 彼は事前研修の時、教職が第一志望だと言っていた。


 あれは、嘘だったということか。


 いや、僕がTに勝手に期待していただけなのかもしれないが。


「例えばいじめがあったとする。いじめられた子は、学校に来なくなる。で、いじめた奴は、学校に来続ける。それっておかしくないかと思うんだよ。だっていじめって理不尽じゃないか。いじめた分、それだけの罰を背負うべきじゃないかと思うんだ」


「罰――って。殴る蹴る、かい」


 かつていじめられたことのある僕としては、何か言いたいことがないでもなかったが、それは飲み込んだ。


「そう。怒るだけじゃ通じない領域がある。実際にそうして同じ傷を負うことによって、子どもも理解するんじゃないか。ああ、痛かったんだって。自分は、相手に対して痛いことをしたんだって。体感しないと分からないだろう?」


 共感力の欠如。大抵のいじめの根底に存在スルものである。


 相手の気持ちが分からない。


 相手の痛みが、理解できない。


 だから――平気で傷付けることができる。


 他人を。


 友達を。


 クラスメイトを。


「でも、それを止めるためにこっちも暴力を持ちだしちゃ、駄目だろう、教師はさ」


「殴れば、叩けば、蹴れば。考え方が変わる――そういう指導の仕方もあるんじゃないかと思っているってだけだ。さっきも言ったろ。俺は別に教師になるつもりは毛頭ない。だからこそ、俯瞰的な立場から言える――体罰は、必要だ」


「…………っ」


 そんなことあってはいけない。


 そんなことがあって良いはずがない。


 そんな道理があってたまるか。


  長くは続かない。


 そう思って――僕が言おうとした。


 瞬間。







 ――







 という。


 炸裂音にも似た大きな音がして、Tが椅子から後ろ向きに吹っ飛んだ。


「っ、がっあ!!!」


 Tは勢いよく椅子から転がり落ち、ロッカーにぶつかって派手な音を立てた。

 そして襲い来る痛みに、がくがくと震えていた。口からは血が出ていた。


 僕は何が起こったのか、理解できなかった。


 ただ、新たに教育実習生控室に登場人物がいつの間にか増えていたことに気が付いた。


 Tの教科担当――保健体育の、Y先生である。


 強面で長身の、がたいの良い男の先生で、武道か何かでも極めていそうな出で立ちである。


「……ったか?」


 Y先生が、Tに対して、何かを言った。


 聞き取れなかったのか、Tは首を傾げた。


 するとY先生は、今度は怒号を張り上げて、言った。


? と聞いたんだ」


 Tは、目を見開いた。


 それは、直前にTが言っていた台詞であった。


 体罰は必要、体罰によって生徒の考え方が変わることもある、と。


 Y先生は、それを聞いていたのだろう。


 聞いてしまったのだろう。


 、殴ったのだ。


 ああ、そうか。


 さっきの音は、Y先生がTを殴った音なのだ、と。


 僕は本能的に理解した。

 

 体罰によって、Tの考え方を変えるために。


「暴力で人間が変わると、お前は言ったな。。歯ァ、食いしばれ」



「ひっ」


 そのまま。


 他の先生方が駆け付けて止めるまで、Y先生はTを殴り続けた。


 その日を境に、Tは実習に来なくなった。


 僕が実習を終えるまで、TもY先生も、姿を見せなかった。


 Y先生は、懲戒免職になった。


 Tの所属していた大学からの教育実習は拒否するという暗黙の了解が、その中学校にできたらしいと、風の噂で聞いた。


 僕は何とか実習を終え、国語科の教員免許を取り、採用試験を受けて、現在高校で教員をしている。


 中学ほどではないけれど、時には鬼になり、生徒に対して指導しなければならない立場に置かれることがある。多々ある。今日の放課後だって、生徒指導案件がある。保護者を交えての面談がある。


 そんな時。


 僕は、教育実習を思い出す。


 体罰によって変わる考え方なんて、そんなものはない。


 あるのは、ただ、恐怖だけだ。


 Y先生の行動だって、結果的にはTに対して指導をしたとも見えるが、体罰に違いはない。

 

 恐らくY先生は、それを分かっていた。


 それでも、Y先生は、伝えたかったのだろう。


 と、思ったのだろう。


 決して、Y先生の行動は許されるものではないけれど。


 僕は。


 絶対に体罰を容認しない。




《Punishment & Punishment》 is the END.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

罰と罰 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ