涙龍復古伝 暁と泉の寵妃

かみはら/KADOKAWA文芸

一章 東の国①

 世界の東にこくなる国がある。

 始まりは四百年前、かつて大陸を征圧したこくと祖を同じくし、雅が滅んだ後はその流れをんだずいこくたもとを分かった。瑞国とは敵対関係にあるが長らく大きな戦は起こっておらず、てきと小競り合いを繰り返している。一年中気候は安定しており、農耕と狩猟が盛んなため飢えは少ない。

 特筆すべきは霞王が住まう都城。都の五分の一を覆う樹木は国の象徴として敬われ、訪れる商人や旅人の目印として名が知れて長い。

 このように珍しい樹木を有するのは霞国ひとつきりであり、四季を通して葉は青々と生い茂っている。見上げればいつでも緑のてんがいが宮廷たるうん殿でんを見守っているから、国から一文字授けじゆと親しまれている。

 霞樹が見下ろすのは春の夜に染まる都、ある男がけんそうを音楽に空を見上げ、街の中、人ごみを縫うように歩きながら心の内で語る。

 ──なみだりゆうは、もはやこの地でも慰めをいだせないらしい。

 男は霞国の都を観察する。

 増改築を繰り返し拡張されていった城はいまも広がり続け、かつて城壁が備わっていた場所は通路となって利用されている。街は区画ごとに整備され喧噪であふれていたが、今宵の人々は時折己の肩をで、不安そうに空を見上げるばかりだ。酒場の売上は芳しくなく、客も早々に引き上げるため、街はどことなく閑散としていた。

 いまや薪売りが街を歩けば、半刻もしない間に売り切れる。

 風の気紛れに霞樹の葉が一枚、また一枚と散りゆくは、民の不安を示しているかのようだ、とある詩人は語る。霞国の起こりより幾百年の歴史で初めて、めいの星がもたらす風は冷気をもって都を覆っている。

 霞国が過ごしやすい国だと言われていたのは、春が始まる前までである。

 この気候は異常だ。

 男はひときわ高い位置にそびえる城を見上げた。

 気候の変化はゆるやかに始まったのだろうが、もはや民を誤魔化しきれず、そして君主も見逃せぬまでに明らかになってしまった。

 これは国が災厄に見舞われる前兆。

 主立った兵はまだ真面目に働いているが、段々と酒に逃げる者、わいに手を出す者も増え出した。それを知る者はますます君主の施政にまゆをひそめ、口を真横に結んで財産を蓄えるか、あるいはいまのあるじに替わる権力者へびを売りはじめる。もっとさかしい者は国外への脱出を検討するも、現段階でそれほど知恵が回る者はいないはずだ。なにせ彼らはこの寒さの原因が何であるか気付いていない。

 このまま不安が伝染すれば民は現実を放棄し、崩壊への序曲が奏でられるだろう。

 だが、と男はこぶしに力をこめる。

 国のかいは避けられないやもしれぬが、男はさがしものを見つけねばならない。

 彼が未来を憂う陰で、また一枚、霞樹の葉が風にさらわれていた。

 揺らめく葉は不自然なまでにゆっくりと落ちるが、一枚の枯れ葉ごときに目を向ける者はいない。ゆらりゆらりと飛ぶ葉は、長い間空を躍り飛び、やがて小さな光を放つ。

 光に侵食された葉が細かく砕け散る。

 粉々になった光はやがて大気にとけ込んだが、それを知るものは誰一人としておらず、霞国の民はひそやかに、ただただ目前にさらされる苦難に王への不満を口にするだけだ。それでも生活の営みは止められるはずもなく、明日に不安を覚えながら眠りに就くのが霞国の民の日常なのであった。

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