密かな権威

 身支度を整え、昨日まで世話になっていたビルネンベルクの邸宅を、宿で手配した車で訪れるキルシェとリュディガー。


 吹き抜けの玄関ホールに案内されて入ると、もう眠りについている大きな暖炉前に、ふたりの人物がいた。


「__おはよう、ふたりとも」


「おはようございます、キルシェさん。リュディガー」


 後見人のビルネンベルクと、昨夜見送った人馬族の青年アッシスである。アッシスは軍服を着ていて、さらにキルシェは怪訝にする。


「アッシスさんが……何故……」


「彼も行くからだよ。忘れたかい?」


 え、とキルシェは挨拶も忘れるほど驚いて言葉を失う。


「あれ、以前、教えていなかったか?」


 リュディガーがきょとん、として言うので、キルシェは小さく頷く。


「え、ええ……」


「そうだったか? 先生が所領の挙式に参列してくださるということで、君を託して私は龍で先に移動するだろう?」


 帝都の挙式だけでなく、所領でのお披露目を兼ねての挙式をすることになった際、ビルネンベルクが後見人として参列することに早々決まったのは、彼が、無論行くよ、と迷いなく言ったから。


 彼は大学で教鞭を振るう立場だ。だが、それでも休みぐらいはとれるから、と。


 __それに、ビルネンベルクと懇意だと明確に示せて、家柄に箔が付くだろう? 我が家の家訓で、使えるものはなんでも使え、とあるのでね。


 人の悪い笑みを見せるビルネンベルクはそう言い放ったのだ。


 故に、リュディガーは龍を使って先行し、挙式の準備に赴き、キルシェとビルネンベルクは馬車で地上を行くことになった。


 ビルネンベルク家では、車と御者が着いてくる最低限のものだ。いわゆるお付きの人はいない旅路の小規模のもの。車の移動速度を早めるには小規模での移動が一番だ。それでも3日は確実にかかる道のりである。


「__お付きの人はいない。では道中の警護を誰が、ってことになって……で、アッシスにお願いしたんだ」


 示されたアッシスは、得意げに、冗談ぽく笑って腕を組む。


「初耳だわ……。警護云々で、というのだとしたら、覚えていると思うもの」


「なら、すまなかった。言ったつもりになっていたんだな……。アッシスだと色々都合がよかったんだ」


「都合? お仕事は大丈夫なのですか?」


 アッシスは人馬族であるが、人馬族は獣人族のいち種族だ。武官になることも可能で、彼の場合、国軍という国の軍部に所属している。


 リュディガーの所属する龍帝従騎士団よりも、遥かに規模が大きい組織だ。


 リュディガー曰く、人馬族でなかったら龍騎士になれていただろう、と言わしめる実力の持ち主。


 人馬族ではどうやっても龍に跨ることができないのだ。小さい頃は、なれたらいいな、とぼやいていたこともあったそうだが、それはそれとして、悲嘆に暮れることなく受け入れて、自分ができる分野で活躍を惜しんではいないらしい。


「ほら、僕なら、馬をわざわざ用意する必要も、車を大きくする必要もないですから。なんなら荷運びできますし、それならそれで移動が早くなる。ドゥーヌミオン様だけならまだしも、やんごとないキルシェさんも移動して、そこに警護なしというのは、国としても表には出さないが具合が悪いので、公務ということにしてもらっています」


「あぁ……それで、軍服でいらっしゃる」


「ええ、一番わかりやすいでしょう? 仕事中だ! って。軍人がいる一行に目をつける輩は、そうそういないでしょう。色々具合がいいんですよ、これだと」


 からり、と笑うアッシス。


「ドゥーヌミオン様には、復路もあるから、それもあって」


 キルシェは、向こうに着けば、そこで過ごすからいいが、ビルネンベルクは帝都に戻ってくる必要がある。


「なんか……とても大事になってしまっていますね……」


「いいじゃないか。事実なのだし。何かあってからでは遅いからね」


「__お話し中、申し訳ございません。お荷物、積み替え終わりました、ナハトリンデン卿」


 そこへ玄関の扉が開いて、使用人が作業の終わりを告げる。


 荷物のほとんどは新しい屋敷へ運んであるが、キルシェの身の回りの物は一部分__今日からの旅路に欠かせないものがまだあるのだ。


「ありがとうございました」


 リュディガーが丁寧に彼に礼を述べると、ビルネンベルクが小さくその使用人に笑った。


「__私の留守中、頼んだよ。まぁ、常に留守しているようなものだから変わらないか、ファビアン」


「いえ、そんなことは。いつなりとお帰り頂いても大丈夫なように、ぬかりなく」


「ヘルムートもいないから、君には負担ばかりだろうが」


 ヘルムートとは、数ヶ月前までここで本屋敷にいる執事に代わって取り仕切っていた、従者だ。この帝都での邸宅では、実質的に執事であり、とても有能であったのだが、実家の都合で辞めざるをえず、惜しまれて去っていった。


 その彼から抜擢されたのが、ファビアン・バルテル。ヘルムートに抜擢されただけあって、とてもよく勤め上げている。


 __従者か……。


 そういえば、ナハトリンデンの屋敷には、執事と家政婦、料理長はもう決まっているが、もっと身近な世話をする人を雇用したという話は聞いていない。まだ決まっていないはずだ。


 本格的に向こうで生活するようになってから、ということだから、挙式が終わったら決めるのだろう。


 __侍女も、よね……。


 挙式に際し、取り急ぎ雇った者がいるそうだ。


 面識はなく、詳しいことも聞かされていていない。


 長らく付き合っていく侍女だ。挙式のために雇用した者とは別に選ぶのは、キルシェとの相性があるから後から決めてくれ、ということらしい。


「午後からはロイヒトケーファーさんもおられないですから、より身を引き締めて取り掛かります」


「そういえば、ご家族は?」


「ああ、帝都見物に出かけてしまっているよ。兄は、執事のロイヒトケーファーを連れて、朝食後、先に戻っていったが」

 

 __あぁ、だから静かだったの……。


 本家が来ているということで、昨日はかなり賑やかに人の動きが感じられたが、今はまるでない。


「では、ご挨拶できず……」


「兄は仕方ないさ。義姉さんたちは、近所の散歩だから、そろそろ戻ってはくるだろうけど……まあ、気にしないで大丈夫だよ」


「私がご挨拶しておきますから」


「ああ、頼む」


 リュディガーは一同にくるり、と向き直ると姿勢を正す。


「__では、自分はこれで」


「ああ、気をつけて」


「アッシス、頼んだ」


「ああ、任された」


 昔馴染みの二人は砕けた雰囲気で言うものの、直後には武官らしく強く頷き合って、礼をとる。


 キルシェがそれを見守っていれば、リュディガーは改めて向き直った。


「これを」


 渡されるのは、小指大の小さい竹でできた笛。


 以前にも見かけたことのあるもので、用途ならばわかる。


「何かあったら、これを吹くように。帝都からあちらの方面なら、私の龍の耳にも届く。すぐに駆けつけるから持っていてくれ。アッシスにも先生にも渡してはいるが、一応」


「ええ、わかりました」


 この帝国の中で、主要な都を結ぶ転移装置を除き、最も速いのが龍騎士の駆る龍だ。


 __およそ3日は会えない。


 少し前まで__それこそ挙式を昨日以前とそう変わらないはずだが、そう思うと何故だか寂しさが芽生える。


 これほど依存していただろうか、と怪訝に思うほど。


 扉に向かうリュディガーの大きな背中を追うように、視線を落としながら続くと、その足が止まったので、キルシェは顔を上げる。


 玄関扉の前まで来た彼は、キルシェへと向き直っていた。


 じぃ、っと穏やかな紫の差す蒼双眸に見つめられると、今朝のことが思い起こされて気恥ずかしく視線を伏せるように絶ってしまう。


 すると、大きな腕が包み込むように、胸元へ抱き寄せるので、驚きに身を固めるキルシェ。


 いくらか強く抱擁されて、どれほどかしてから開放されるが、心臓はばくばく、と暴れていた。よくよく気がつけば両肩に手はおかれたままで、やはり暴れる心臓は収まりそうもない。


 リュディガーの視線が一度、唇に移ったのをキルシェは見逃さなかった。


 __ぁっ……。


 これは予兆だ。ひとつ心臓が大きく跳ねた。


 内心、構えてしまう__が、リュディガーは肩から手を離してしまった。


 え、と拍子抜けしていれば、彼は苦笑を浮かべた。


「__また、あちらで」


 そう言うと、扉の向こうへと立ち去ってしまう。


 後ろ髪引かれた風でもなく、去ってしまう後ろ姿に、キルシェは暴れる心臓を抑えるように胸元で、渡された笛を握りしめた。


「あー……たぶん、僕が冷やかすと思ったんでしょう」


 ごっ、ごっ、と重量のある足音に振り返ると、アッシスが苦笑いを浮かべていた。


「まあ、冷やかさないはずがないですよ。冷やかすのなら、彼だけなんだけど。それに、上品に。キルシェさんがいないところで」


「ぁ……ぇ……?」


 冗談なのか、本気なのか__計りかねて言葉が紡げないキルシェ。


「いや、アッシス。それは違うよ。私がずぅっっっっと、その話題を擦るからだよ。目の前でそんなことをしたら」


 遅れて歩み寄ってきたビルネンベルクは、くつくつ、とさも面白いと言わんばかりだ。


「あー……なるほど。__気の毒だな」


 裏表なく同情の声を漏らしたアッシス。


「__しばらく会えないのに」


 同意を求められるように視線を向けられ、キルシェは早鐘を打つ心臓をごまかすように困ったように笑うしかできなかった。

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