第17話 ルカ
「アリス!!!」
突然、暗闇を光が裂くようにルカの声が聞こえた。
部屋に私がいない事に気付き、探しに来てくれたのだろう。
「ルカ……!」
私が答えるよりも先に、ルカが私に気付き、駆け寄って来てくれる。
ルカは、地面に倒れた男達を一瞥すると、素早い動作で腰に差した剣を抜き、私と白い男の間に立ち塞がった。
「何者だ」
ルカの声は、低く落ち着いていたが、その背中からは緊張の色が伺えた。鋭い眼差しで相手の力量を推し量るも、白い男は微動だにせず、ルカの問いにも答えようとしない。不気味な仮面をつけているのは変わらないのに、何故か先程までの殺意が嘘のように引いている。
「……邪魔が入った。
姫、いずれそのうち……」
「待てっ!」
ルカが追おうとするが、白い男は、すっと闇に溶け込み、消えてしまった。
最後に 〝姫〟と言ったのは、私への皮肉のつもりだろうか。
周囲を見渡し、誰の気配もない事を確かめると、ルカが私の傍へと戻ってくる。
「怪我はないか?」
私は、小さく頷いて見せた。
殺されてしまった二人の男たちも、私を乱暴には扱ったが、外傷を負わせるようなことはしなかったし、白い男にかけては、私に一切手を出していない。
しかし、まだ歩けそうにはなかった。
自分がどれほどひどい顔をしているのかは分からないが、私を見るルカの表情から、その程度が伺える。
確かに外傷はないが、心に負った恐怖は、すぐに拭えそうにもない。
ルカが怖い顔をして、私に訊ねた。
「あいつらに何かされたのか?」
私が首を横に振ると、ほっとしたように肩で息を吐いた。
「……無理はするな」
そう言われても、無理をしなければ、立っていることさえ叶わないだろう。
それだけ今目の前に繰り広げられた出来事は、私にとって衝撃的なものだった。
(……私は、どこへ行っても 〝姫〟から逃れられないの?)
あの白い男は、〝アイリス〟を捜していた。
改名をしてまで王都を出て来た筈なのに、周りが私を放っておいてはくれない。
でもそれは、 〝私〟じゃない。 〝姫〟なのだ。
「宿に戻ろう。少し休んだら、朝一でこの村を発つ」
そう言って、ルカが私の背中を支えるように軽く押す。
しかし、一歩踏み出した私の足が裸足である事に気付き、足を止めた。
「……失礼」
そう言って、突然ルカが屈んだかと思うと、私の身体がふわりと宙に浮かんだ。
「きゃっ……」
あまりにも突然の事に、私は抵抗する暇もなく、ルカに抱き上げられていた。
私が驚いていると、ルカは、そのまま宿へと向かって歩き出した。
「……る、ルカ?
大丈夫よ、一人で歩け……」
「ダメだ」
「なっ……何よ、それっ。
………命令よ。今すぐ私を降ろしなさい!」
子供の頃ならば、まだ良い。
しかし、この歳になって抱き上げられるのには、かなりの抵抗がある。
ましてや、私が子供だった頃は、ルカもまだ子供で、私を抱える力もなく、こんな抱き方をされた事は一度もない。
「もう 〝姫〟はやめたのだろう。
それなら、俺がその命令を聞く義務はない」
ルカのきっぱりとした口調に、私は言葉に詰まった。
自分で口にした言葉が返ってきたのだ。
それ以上、何も言い返す事が出来ない。
悔しかったが、私は、ルカに抱かれたまま宿へと向かった。
(そう言えば……私のこと、
こんなふうに軽々と抱き上げられるようになったんだ……)
私の背中と膝裏に当たっているルカの腕は、太くて硬い、まるで知らない人のようだ。
日々訓練を積んだ兵士なのだから当たり前なのだが、今までこんなにルカと密着した事などなかった気がする。
実は、ずっと昔にも、同じような事があった。
私が城を抜け出して、ルカに見つかった時だ。途中で靴を無くしたのか、その時の私も裸足だった。
そんな私を見て、ルカが私を抱き上げようとしたのだが、まだ力がなく、どうにも抱き上げたまま歩き続ける事が出来なかった。
その時、いいよと言う私をルカは背中に負ぶった。それでもやはり辛そうなルカを見ていられなった私は、ルカに命令をしたのだ。
『私を降ろしなさい』
〝命令だ〟と言うと、ルカはしぶしぶ私を降ろしてくれた。
その時からだろうか、ルカが私に触れる事をしなくなったのは。
今では、あの頃とは比べようにならない程、ルカは強く逞しくなった。軍服の上から触れただけでも解る、その引き締まった身体。
私は、妙にルカを意識してしまって、ルカの顔を見上げる事が出来なかった。
(今回も……
やっぱりルカは、私を見付けてくれた)
私が迷子になった時も、城を抜け出した時も、ルカは、必ず私を見付けてくれる。
そして、そう信じてもいるから、私は、どこへでも自由に動き回る事が出来た。
今回も、怖い思いはしたものの、心のどこかでルカが必ず助けてくれると信じていたから、恐怖に負けることなく、最後まで立ち向かえた。
『もう〝姫〟はやめたのだろう。
それなら、俺がその命令を聞く義務はない』
先程ルカに言われた言葉を心の中で反芻する。
(……そう。私は、 〝姫〟じゃない。
〝アリス〟なんだから)
そう自分に言い聞かせるように胸の中で呟く。
私は、無意識にルカの軍服を掴み、身を寄せた。
その時、ルカが頬を赤らめて何かに耐えるような顔をしていたが、ルカの胸に顔を埋めていた私は、気付くことが出来なかった。
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