あなたが私を悩ませる

田山 凪

第1話

 あの人と出会ったからというもの、私はよく悩むようになった。

 それは友人の誘いで入った演劇部が原因だ。


  演劇部の顧問は現代文の先生で、見た目は五十代だけどまだ四十代半ばのグリンと見開いた目が特徴的な人だ。

 ほかの部員の高校生の無邪気なノリに対して干渉しすぎず否定もせず、子どもを見守るような姿は印象的だった。

 私は時おり先生に向かって愚痴をこぼしていた。あまりにも無邪気すぎる部員をどうにかしたほうがいいと。だけど、先生は決まって言うのだ。


「いまはまだいいんだよ。それより台詞は覚えたのか?」


 ある日、知らない男性がいて先生と話していた。

 

「で、それをどうするんだ?」

「普通に表現しても面白くないわけですから、インパクト重視で見せます。夏の舞台はあくまで見せあうものですし実験を兼ねて。とはいえ繊細に」

「先に単独公演をやるけど、そこはどうする?」

「冬の創作脚本の60分バージョンをメインにおいて、十五分を二本でどうでしょう。正直、この短期間で脚本を詰めて覚えさせて粗を削るには普通の監督でも骨が折れますからね」


 部室はまるでバレエ教室のようにガラスが張られていて、学校での正式名称は第二体育館と呼ばれている。選択科目の都合でこっちに移動することになることもある。放課後は演劇部の部室として使っている。

 私はそっと部室に入り、壁際に荷物をおいて座ると先生がこっちに気づいた。

 何も言わず手招きをしてきた。まるでネコかイヌを呼ぶようなしぐさだ。

 とりあえず先生の元まで行くとその知らない男性を紹介してくれた。


「こいつに会うのは初めてだろ」

「はい」

「ここの卒業生なんだ。いまはこの部の脚本と演出を手伝ってくれてる」


 先生は元部員の男性に私を紹介し、私が小さく頭を下げると同じように頭を下げて見せた。

 

 ほかの部員が全員集まったところで先生は一年生を集めさっきの男性、先輩を紹介した。黒髪でモノトーンの服装は着飾らないおしゃれ感こそ演出していたものの、モノトーンがおしゃれになっていると本人は思っていないと思う。

 三人だけで部室にいたときの先輩は、とても知的で達観した雰囲気があったけど、ほかの部員が来てからはまるで羽目をはずした大学生のように陽気にみんなと話していた。

 仮面をつけるのがとても得意な人だ。いや、さっきまでと今、どちらがこの人のほんとうの姿かなんて私がわかるはずもない。


 普通、慣れない人がいれば異物感を覚えるものだけど、先生も部の先輩も知っていて、あれほど上手に仮面をつけるのだから馴染むのは恐ろしく早かった。


 ほかの高校も集まる夏の舞台に向けて練習をしていた。私は床に張られたバミテを確認しつつ自然な入りを考えていた。

 なにせ物語の導入、幕があがって最初に登場する役目を任されてしまったのだから嫌でもこういうことを考えなくちゃいけない。

 物語の導入部分に主役ではないただの一友人キャラが登場するなんて、ほかの高校の生徒が見れば勘違いすることだろう。

 そのため、存在感を殺しつつ自然と入る必要がある。

 すると、先輩が想定された舞台の内側へやってきた。客席側を向いて真剣な眼差しをしたかと思えば、目をつむり考え込み始めたのだ。

 私は上手側で先輩が退くのを待っていたがいっこうに動こうとしない。しびれを切らし近づいて声をかけると、先輩は目をつむったまま答えた。


「幕の向こうから伝わる空気が舞台へ流れ込んだ時、空想と現実の境界線は酷く脆いものになる。君はそれに耐えられるかな」

「なにを言いたいのかわかりません」

「初めてだろ」

「はい。経験はありません」

「夏前にあった単独公演。体育館の壇上では決して感じることのできない客席と舞台上の空気の違い。それが混じる瞬間に発生する異様な匂いはまだ慣れない演者の感覚を狂わせるんだ」


 この人の言い方はとても回りくどく会話をするにしては相手に時間を預ける必要がある。だけどなぜだろうか。聞き入ってしまいそうにある説得力が混じっている。


「立たないとわからないなら、今考えても仕方ないのでは?」

「かもね。俺もそう思う」

「ではどうしてそんな話を?」

「考えてたんだ。こういう肌に伝わる独特な感覚は言葉で表現するには難しすぎる。だけど、まったく伝えないと驚いてしまう。どんな風に言えばいいのかなって」


 能天気に遊んでる部員たちをよそにこうやって真剣に舞台のことを考えている。たぶん、大人というのはこういうものなんだろうけど、周りが幼稚な子どもにしか見えなかった私にとって、先輩が魅力的に見えるのにはそう時間はかからなかった。


 夏の舞台ではそれぞれの高校の演劇部が一つのホールに集まって見せあう。

 前日にリハーサルが行われ、朝から順番にそれぞれの高校が照明だったり舞台装置の位置だったりを入念に確認している。

 朝から集まっているが私たちのリハは夕方。正直やることはあまりない。台詞は頭の中に入ってるし、立ち位置も入念にチェックした。

 だけど、不安がないと言えば嘘になる。それこそ、舞台上の空気感を私はまだ知らない。

 こんな時に限ってあの人はまだ現場に来ていない。


 リハの直前になって先輩はやってきた。

 いつものように部員たちと楽しそうに話し、無駄な盛り上りを見せると、スッと表情を変えて私の方にきた。

 憎たらしい。なぜ、私は先輩の姿を見た瞬間にホッとしたのか。自分が十分に納得できるほど何度も練習はした。そのために主役の子を付き合わせたし、先生にも見てもらった。

 私が納得したい時に限って先輩はいつもそばにいない。こうやって遅れてくるんだ。


「先生から聞いてる。がんばったんだな」

「出来映えはわかりませんけどね」

「どれだけ練習しても最終的には見てる人が判断する。俺らはそこまで考えなくていい」

「それは無責任じゃないですか?」

「かもね。だけど、自分がいいと思ったものが人に受け入れられるとは限らない。だからこそ深みがある。演技も、脚本もね」


 リハが始まりまずは照明と音響のチェックが行われた。演者は舞台を自由に使って立ち位置をチェックしたり、台詞を言ったり、各々がやるべきことを行った。

 今回の舞台で一年で立つのは私と二人程度。二人は途中に出てきて登場時間は長くない。対して私は暗転直後や主役が一人のシーンを除けば冒頭からずっと出ている。

 さらに最初に登場するのだから大変だ。

 なんとかなるだろうと思っていた。それは私自身がしっかり練習をしたと自負しているから。入学試験やテストと同じ感覚だった。

 だけど、いざ舞台に上がってみると、練習してた時とは違う異様な空気感が体を支配していることに気づいた。

 いまは誰もいない観客席。音響が音を止めみんなが喋らないと静寂が重苦しくのし掛かる。

 そう、私が登場する冒頭部分はまさしくこれと同じ。その上見たことない人たちの視線が一斉にこちらを向くのだ。

 

「不思議だろ」


 先輩は隣に立って言った。


「これ、慣れるものですか」

「ああ」

「そうですか」

「だけど、慣れすぎても問題なんだ」

「どういうことですか」

「みんな初めてみるのに、慣れた動きでやってしまうと気持ちが伝わらない。バレるんだよ。ドラマや映画やアニメ以上に演者と客が近い。前の席なら息づかいさえも聞こえる」

 

 練習中にも同じようなことを言われたが、その時はあまりイメージができなかった。でも、いざこうやって舞台に立ってみるとわかる。

 客席側を向けば鮮明に椅子の形、通路の段差、置くの扉、すべてが見える。人が座れば微細な表情さえも見えてしまうことだろう。変に意識してしまえば目が合うことだってある。

 こんな状況で空想の世界に入り込み、窓の外を見る演技として客席側を向かなければならないなんて、想像以上のプレッシャーだ。


「先輩はどうしてこの道に」

「元より物語が好きだった。脚本を書けるかもって演劇部に入ったけど、在学中はずっと役者だったんだ」

「身長ですか」

「うん。俺よりも高い身長がいないどころか、そもそも男子部員さえ少ないから、使いやすかったんだ」


 きっと、それなりに演技もうまいのだろう。なにせ先生と話してる時と部員たちと話してる姿とでまるっきり違う。

 そして、私と話す時も。

 私はちょっとだけ嬉しいと感じていた。なぜかって舞台に対して静かな炎を燃やす姿は私の前だけで見せてくれる。

 私に見せてくれる特別な姿に、優越感さえ覚えていた。


 舞台は無事に成功した。本番の日私たちは最初に劇を披露するから喉の状態を整えるのがちょっと大変だったけど、案外やればできるものだ。

 昼になりそれぞれが昼食を食べていると、先輩が通りすぎるのが見えた。

 私は自然とその姿を目で追い、気づけば体も動いていた、

 先輩の向かった先は喫煙所だった。

 なぜだろうか。二十歳なんだから吸ってもおかしくないのに、勝手に私はこういうことはしないと決めつけていた。

 少し遠目から眺め、声をかけようと一歩を踏み出した瞬間、別の高校の女子生徒が先輩に近づいた。


「ねぇ、見てくれた?」

「ああ、悪くなかったよ」

「厳しいね」


 どうやら知った仲らしい。

 胸の内側がチクッと痛むような気がした。だけど、目線はそらせない。


「なにが悪かった?」

「自由すぎた。ほかの子達がついてこれなかっただろ」

「そうだったかな」

「立ち位置とか勝手に変えたんじゃないか? 周りが困ってるように見えたけど」

「変えたね。なんかこっちのほうがいいなって」


 女子生徒は今立っている場所を舞台に見立てて、軽く動いて見せた。


「ほら、こっちの方が自然だと思わない?」

「別に変えることは悪くない。周りとの意志疎通がとれてないのが問題だってことだよ」

「そっか。じゃあ、今度から話してみるよ」


 そういうと女子生徒は爽やかな笑顔を見せて先輩に軽く手を振り、上機嫌で去っていった。

 私は出るタイミングを失い結局声をかけられなかった。


 夏の舞台が終わり、一旦は気楽な日々が戻る。とはいえ次は文化祭で、それまでに単独公演を一回やる予定を考え始めていた。

 夏休みの後半、学校が始まるまでの最後の練習で先輩はやってきた。

 先生に新しい台本を手渡し二人で真剣に話し合っていた。すると、唐突に私が呼ばれた。


「これ呼んでみろ」


 先生が雑に台本を手渡してきて目を通した見ると、登場人物の名前の下、主役のところには手書きで私の名前が書いてあった。

 一旦は気にせず読んでみると、主役の台詞がすんなりと入ってくるのがわかった。


「先輩、この台本はなにを考えてかいたんですか?」

「日常だよ。いまある日常を再現しつつドラマ性を持たせた」


 ありがちな台本ではある。これといった驚きの場面はなく、テンプレートに沿った王道的な内容。だけど、頭の中でセリフが読みやすい。まるで、日常で自然と会話をしているように。


「もしかしてこれって」


 私は途中で言うのをためらった。主役人物が私をベースにしているなどと聞きづらかった。もし、それが私の勘違いなら。そう思うと聞くに聞けない。

 

 部活が終わって帰り支度をしていると、先輩が声をかけてきた。


「ちょっとだけ残れるか」

「私だけですか」

「ああ、この台本のことで話したいことがあってな。不安なら外でもいいけど」


 先輩の年齢ならまだ女子高生に対して欲求をもっていてもおかしくはない。ないとわかっていても自衛をするなら二人っきりになるのは回避するべきだが、私はほんの少し考え部室でいいと答えた。

 

 床に座って向き合う。先輩はA4のノートを取り出しページを見せた。線のないノートのページにはぎっしりとペンで記入されており、どこから見ればいいのかよくわからない。

 無意識だったけどきっとそういう視線を送ったのだろう。察して先輩は指をさした。


「今回の台本は君が主役で君にしかできないんだ」

「どういうことですか」

「この人物。君をベースにして作ったんだ」

「通りで」

「やっぱわかるか?」

「台詞が、嫌に頭の中ですんなりと読めるんです。……見てたんですか」


 私は冷たく先輩にいった。まるで針を刺すように。

 さすがの先輩も申し訳なさそうな姿を見せた。


「あくまでこの部活での活動中の姿だけだ」

「あたりまえです。……どうして私なんですか。ほかの子たちのほうがよっぽど主役でしょ」

「君がよかったんだ」

「……」


 つい、言葉を失ってしまった。

 わかってる。私が淡く抱き始めていたこの気持ちを受け止めてくれる言葉ではないってことくらい。

 だけど、ほんの少しの間、無邪気な勘違いをさせてほしい。

 

「どういう意味ですか」


 わかっていながら聞き返す。

 私の中の空想を終わらせるために。


「いろんな子たちがいる中で君が一番輝いて見えた」

「お世辞が下手ですよ」

「お世辞は言わないたちでね。こういうことやってると優しい嘘で演者を間違った方向に引っ張ってしまうから」


 輝いているなんてとても抽象的な言葉だ。

 いろんな受け取り方できる言葉をこんなに簡単に使わないでほしい。

 

「どうして私を」

「君は事物に対して深い興味は抱かない。でも、役目を与えられればそれをしっかりこなしてみせる。期待をすることに恐れているというか、期待するだけダメと思っているのか、絶望まではしていない達観した姿は今を生きる子たちに魅力的に映ると思ったんだ」


 勝手なことをつらつらと並べ立てる。

 他人をそれだけ語られるということは、やっぱりしっかり見ているわけだ。


「……とりあえずわかりました。で、居残りの理由は?」

「君はこれからも演劇を続ける気があるかな」


 唐突な思いもしない問いかけだ。

 正直、友人に誘われたから入ったけど、部活中に話すことはそこまでないし、今回主役として役目を与えられてるようだけど、それに対して喜びはさほどない。

 だからといって別にどうでもいいというわけでもない。私自身今後どうするかまだわかっていないのだ。


「さて、どうでしょう。私の答えで何か変わりますか?」

「変わる。だけど、まだ早いみたいだ。君がまだ演劇を続けてみたいと思った時、声をかけてほしい」


 はいと答えればよかっただろうか。

 でも、本当に今はやりたいともやりたくないとも答えられない。

 中途半端な嘘をつくくらいなら答えないほうがましだ。

 でも、少し悲しそうな表情を見せた先輩の表情が印象的で頭から離れない。

 もしかして期待していたの?

 私がこれからも続けると答えるって。

 でも、どうして。私が続けることで何が変わって言うの。


 夏休みがあけて文化祭向けの練習が始まった。

 私が主役に選ばれたのは11月に行うもので、今回は10月の文化祭用で私はそこまでやることがない。

 端役だけどもしもの時の代役とし台詞を覚え立ち稽古をしつつ、主にスタッフ側のサポートをしていた。

 どうやら文化祭の劇に関して先輩はほぼノータッチのようでまったく顔を出さなかった。


 二日間開催の文化祭で私たちの演劇は二日目の午後に行われる。そして、二日目の昼。私はクラスの出し物である喫茶店で働いていると、先輩がやってきた。


「よお、随分おれゃれレトロな感じだな」

「そういうコンセプトですから」


 先輩は席に着くとホットコーヒーを頼んだ。

 偶然入ったのかそれともわざわざきてくれたのか。

 ……なにを考えてるんだ私は。


「――あっ、いた」


 どこかで聞き覚えのあった声が廊下からした。振り向いてみると、夏の舞台をやった時に喫煙所で先輩に話しかけていた女子高生が制服姿で立っていた。

 先輩の姿を見つけて小走りで向かい対面の席に座った。


「おう、まさかこっちで会うなんてな。朝練終わりか?」

「うん。軽くだけどね」


 先輩は何の気なしに私の方に向かって手を上げた。


「なんですか」

「メロンクリームソーダを一つ頼む」


 女子高生は小さく笑みを浮かべていた。


「奢ってくれるんだ。嬉しいね」

「これくらいはな」


 さっきコーヒーを入れた時とは違う気持ちがざわざわとうごめく。この気持ちは好きじゃない。私はなぜこんな気持ちにならないといけないの。これは私のせい? それとも先輩の?


 私は体育館に向かった。演者はみんな揃ってたから私は行く必要がなかったけど、ざわざわとした気持ちがより強くなりそうだと感じて早く離れたかった。

 音響の子の後ろにパイプ椅子をおいて壇上の下からみんなの動きをみていた。

 

「なんか立ち位置違う気がするんだけど」

「あー、なんか先生が稽古の映像を先輩に送ったみたいでさ。体育館の壇上ならもっとコンパクトの方がいいって変えたんだよ」

「急に変えるなんて。大変だったでしょ」

「そうでもなかったみたい。すんごい詳細に説明送ってくれてたから。それに今回はスポット当てたりしないから照明も特に気にせずすんだみたいだよ」 

「そう……。あの人はどこまで先を読んでるのだろうか」

 

 そんな無意識な一言に彼女は反応した。


「ねぇ、先輩のこと気になってたりする?」

「はぁ? なんで私が。一年なのにいきなり立たされるし、主役の台本は長セリフもあるし」

「だって、なんだか入ってすぐの時よりよくしゃべるようになったなぁって。特に先輩と話して初めてからさ」


 まったく知らなかった。周りからはそう見えていたのか。


「別に、そういうわけじゃ」

「じゃあ、あの子と一緒にいる先輩の姿を見ても特に何も思わない?」


 指をさした方向、体育館の後ろの壁にさっきの女子生徒と先輩の姿があった。


「……」

「あ~。やっぱ何か思ってるんでしょ」

「……別にそんなじゃない。大人なのに女子高生を侍らせて恥ずかしくないのかって思ってるだけだから」

「そうはいうけどさ。先輩っていま二十歳でしょ。だったら私たちと大して変わらないよ」


 文化祭が終わり部室で今回の劇の反省会をしていると先輩が静かに入ってきた。

 壁際に座りノートに何かを書き込んでいる。

 気づけば私は目で追っていた。あの人の動きを。

 先輩は先生に用があったみたいで私たちが帰り支度をしている間に先生と話していた。

 結局この日はまともに話すことができなかった。

 家に帰ってから悶々とした気持ちがして最悪だった。私は結局何がしたいのか。私自身がまるでわかっていない。こんなこと考えだしたのもすべて先輩に会ってからだ。


 11月、県の高校が一堂に集まり二日間にかけてそれぞれがもってきた最高の劇を披露する。ここで選ばれて上手くいけば全国大会にいける。そんな重要なタイミングで私が主役なんて部の先輩たちに申し訳ない。

 だが、現場に来ていた先輩はそんなことはおかまいなしだった。なぜ私なのかと改めて聞いてみた。


「勝ちに行くなら君だ。二年や三年には話はつけてある」

「いつのまに。でも、納得してくれるものなんですか。三年生にとっては全国大会にいけなくても、重要な大会なのに」

「本気でやるなら卒業後に劇団に入るか芸能界にでもいけばいい。高校最後の劇をまるで人生最後みたいに捉えている段階で、勝つなんてのは不可能だ」

「想像していたよりも厳しいですね」

「貪欲っていってほしいな。俺にとってはまだ半ばなんだ。三年には卒業公演で花を持たせればいい。身内が来て厳しく講評されずがんばったと言いあえるんだから。今後やらない人にとってそっちの方が優しいだろう?」


  時折見せる鋭い瞳と言葉は先輩の本気が表に現れる瞬間だ。

 少しだけわかってきたかもしれない。

 これがいわゆる思春期にある浮足立つような気持ちかは置いといて、明確にわかることがある。それは、私はこの人に惹かれている。私にはないものを胸に秘めているから近づきたいと思っている。

 これだけはわかるんだ。


「今日は君が主役だ。みんなが君から目が離せなくなるんだからな」


 私はどうせ同じ気持ちではないのならと、大胆な問いかけをしたくなった。


「先輩も、私だけを見てくれますか」

「ああ、一瞬も逃さずにな」


 そう、この人はこういう人だ。

 あまりにもまっすぐな言葉、眩しいほど純粋な瞳で、私のほうを見ていた。


――

 正月の気分も完全に消え、気づけば二月も半ば。まだ冬なのに春を感じさせるような温かさにわずかに汗をかくはめになった。

 私は県大会のあと、先輩に言った。


「私、続けてみようと思っています。まだどうなるかはっきりと見えませんが、それでもいいのなら、あの時の続きを聞かせてください」


 すると、先輩は言った。


「小さいところだけどさ。一緒に劇団でやってみないか?」


 どういう経緯か、どういう理由か、そんなことはわからないけど、求められているだけで私の心は不思議な浮遊感で満たされた。

 

 先輩が借りた発声のできる練習部屋に行ってみると、他校のあの子がいた。

 そう、あの子はすでに先輩と知り合っていてここで共に練習をしていた。

 私の姿をみてその子は爽やかな笑みを浮かべながら言った。


「やっと来たんだね。いつかなぁ~って待ってたよ」

「どういうこと?」

「ずっと先輩が言ってた。会わせたい子がいるって」

「去年会ってる」

「文化祭と県大会でしょ」


 私とこの子は県大会の講評で演者としてかなり褒められた。演者、脚本、演出などに与えられる賞は基本的に一人、一本、一校だけど、私とこの子はあまり例のない二人同時に賞をもらった。

 だけど、総合的な評価の結果私もこの子の高校も勝ち上がることはできなかった。

 ただ、不思議なもので、この子の演技を間近で見てからというもの、ライバル意識に似たものやどこか共感さえも覚えていた。これはいまだ言語化ができない。

 

「ねぇ、先輩のことどう思ってる?」

「なにそれ。どういうこと」

「わかってるでしょ」


 鞄から可愛くラッピングされた箱を取り出し私に見せた。


「もっているなら同じ気持ちってこと。でしょ」


 そう、私の感じていたライバル意識は舞台上のことじゃない。

 こっちの意味だったんだ。


「で、どうなの?」

「別に、いいでしょ」

「ふふ、頑なだね。――でも、これからよろしく。私、文化祭で君を見た時から、それに舞台に立つ姿を見てから何か感じるものがあるし。きっと仲良くできる気がする」


 爽やかな笑顔と共に手を差し出された。

 部員が嫌いなわけじゃない。だけど、何かが違った。やるとなればしっかりとやりたい。流れで入ったとはいえ最低限さえもできないならいる意味はない。

 この子にははっきりと見える情熱も熱意も気合もないけど、確かにしっかりやってくれる何かを感じる。

 それが何のためかわからない。もしかしたらあの人に近づくためかも。

 理由はどうでもいい。この世界で立つなら、ライバルだろうと仲間だろうと、共に進む人がいるのは悪くない。

 私は差し出された手を握った。


 練習終わり、私とその子は同時に鞄に手を入れ、二人で見合った。


「やっぱりもってるんじゃん」

「もってないとは言ってない」

「どっちが先に渡す?」

「先を譲るつもりはない」

「私も」


 どうやらお互いに気持ちは同じなようだ。


「はぁ~……。じゃあ、一緒に渡すってことで」

「おっ、いいねそれ。賛成だよ」


 私がこの世界に進んだのは流れに身を任せたからであり、自ら進むきっかけになったのは先輩だ。そう考えると、始まりのきっかけなど案外大層なものではなくありふれた出来事の連続なのかもしれない。

 正直、私はいまもまだほかの人と比べればそこまでプロ意識は強くないだろう。だけど、やることはやる。あの人が求めるし、共に歩む人もできたから。


「「先輩」」


 本当にこの人は私を悩ませてくれる。

 だけど、あなたのことで悩む日々はどこか心地よくもあるんです。

 

 

  

 

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