砂場
佐々井 サイジ
第1話
乾いた音が部屋中に響いた。その先を見ると、一歳半の航が食べ終えたプラスチック容器を床に落としていた。これは「まだ食べ足りない」というメッセージであることは何度目かで気づいた。シンクで洗剤をスポンジに浸していた私は「やめなさい!」と大きな声を出してしまった。次男は怒られていることを理解できておらず、私を見て笑っている。妻なら言うことを聞いたのだろうか。
スポンジを強く握りしめる。この手が泡まみれじゃなかったら手をあげてしまっていたのではないだろうか。虐待する親など正気の沙汰じゃないと思っていたが、必ずしもそうじゃないことはわかってきた。育児に疲弊してくると普段ではありえない大きな声が出て怒ってしまうし、愛しているはずの子どもたちがかわいく思えないことすらある。付き合ってから結婚するまで一度も喧嘩しなかった妻とも出産が近づくにつれて口論の数が増えていった。
「パパ、わたるにバナナあげたほうがいい?」
いつの間にか私の腰を越す身長になった長男の蓮がシャツを掴んだ。
「いや、ありがとう。でも、食べすぎだからこれで終わるよ。連、航のお口とおててをふいてやってくれるか?」
「うん」
最近、蓮は私がイライラしていることを察知して、私の感情が爆発する前に先回りして行動する。まだ五歳なのに気を使わせて申し訳ない。
温かいお湯を含ませたガーゼを蓮に渡すと、「わたるー、おててとおくちふくよー」と声をかけながら、吹いてくれている。拭かれるのが苦手な航は顔を背けつつも、蓮がこちょこちょして航を油断させているうちに終えてしまった。私よりも航をおだてて世話をするのが上手かもしれない。
航を椅子から降ろすと、ぺちぺちと音を出しながら玄関へと向かっていく。
「航、もう暗いから公園いかないよ」
航は最近、近所の公園にある滑り台がマイブームで、一度滑ると、飽きが来ることはない。蓮も航を支えながらいつまでも楽しく滑っている。二人で滑っている光景を見るのはかわいくて父親になったことを実感させられるが、やがて寒さが勝ち、早く帰りたくなる。
ましてや今は夜の七時、これからみんなでお風呂に入って寝かしつけをしなきゃいけない。
「わたる、よるの公園はね、まっくらでこわいんだよ」蓮が言った。「すべりだいのよこのすなばから『ぶわあ!』って、おててがでてくるかもしれないよ」
一歳半には通じなさそうな怖がらせ方だった。私の方がぞくりとするものがあった。実際に航は理解できておらず、背伸びしてドアノブを触ろうとしている。私は航の脇に手を挟み入れて抱っこすると大きな声を出して泣き始めた。公園に行きたくてしかたないらしい。鍵とチェーンがかかっていることを確認して風呂場に直行した。
風呂に入ってしまうと、航の機嫌は戻り、最後は蓮と三十秒を数えてから風呂を出た。保育園でも走り回っていたようで、今日は抱っこの段階からウトウトし始めて、すぐに寝てくれた。次は蓮の番だ。
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