第12話
歩きながらあくびを噛み殺す。
「眠そうやね」
「……まぁそうですね、朝弱いんで、いつもこんな感じですよ」
ミライさんは、昨日のことがなかったかのように気楽に接して来る。
正直、俺としてもありがたかった。
昨日のうちにかなりの距離を稼いだらしくアシュリスの見立てでは、昼頃には海に付けるらしい。
「「「……っ」」」
波の音に気づいたのは、三人ほぼ同時だった。
互いに顔を見合わせ、確かめる様に歩を進めた。
その歩速は、徐々に上がっていき誰からともなく走り出していた。
レイさんの後を追う、追い抜かすのは簡単な速度だったが、最初に海を見るべきは彼女だろうという感覚が俺の中にあり、それは、アシュリスも同じなようだった。
「「海やー」」
だー
レイさんと、年甲斐もなく白い砂浜を駆ける。
自分が何歳かなんて分からないが全力で砂浜を駆ける年齢は過ぎ去ってしまっているはずだ。
ミライさんが、何故海を目指しているのか。
その答えについて昨日、嫌な答えが思い浮かんだが杞憂に終わりそうだと内心ホッとする。
あい変わらず俺は、宙ぶらりんのままだ。少し西に傾いた太陽の光を反射し、キラキラと輝いて見える、コバルトブルーの海。
それは絶えず波を、寄せては返している。
塔の上から見た時から予想していた風景だ。
やはり、海を近くで見てもなにも変わることなんてなかった。
唯一、潮の匂いが脳髄を刺激したが何かを思い出すことはできなかった。
それでもよかったのだと思う。
前を走るミライさんは限りなく自由だ。
海を見て、彼女のなにかは変わったのだろう。
たとえ、俺自身が変われなかったとしても、彼女が変われたならそれは、救われているように見える。
「スイカ、アシュリスありがとう。ウチを海に連れてきてくれて」
真っ直ぐにそんなことを言われて、こちらが気恥ずかしい気持ちになる。
あっ、とレイさんが声をあげ走るのを止める。
「どうかしました?」
「……いや、そういえば管理人さんに、お礼を言い忘れたとおもて」
「礼?」
「そうそう、あそこから海が見えるの教えてくれたのあの人やから」
そうだったのか、下層で素直に人助けなんて殊勝な人だ。
「また今度、伝えればいいじゃないですか」
「……そやな」
「そうですよ」
「ちべたっ」
波打ち際ギリギリを歩いていた彼女の靴が海水で濡れる。
「……いやええわ、そら君に頼むことにする」
確かに、もう一度下層を訪れるとなると面倒事が多そうだった。
「別に構いませんけど」
「よろしく頼むわ」
そのまま、深みへと歩いていく。
振り向きざまに
『とうっ』
と言う声とともに海水がまった。
きれいな回し蹴りだった。
「つめたっ、てかしょっぱっ」
レイさんが、くつくつと笑う
「……やりましたね」
いそいそと靴を脱ぎ海に入り
『セイッ』
と声をあげ海水を蹴り上げる。
しかし、軸足が砂に沈み込むんだせいで目標を大きく外すことになった。
「「あっ」」
「冷たい」
海水が、アシュリスに直撃する
「す、すいません」
「……別にいいけど、君がそんなふうにはしゃぐなんて……以外」
「……俺自身も驚いてます」
なにしてんだろと、思わなくもないが、不思議と嫌な気分ではなかった。
「水を相手に当てれば勝ちでいいんだよね」
靴を脱ぎ捨てながらアシュリスが確認してくる。
「ん?……まぁ……はい」
この行為に、勝ち負けという概念が存在するのかは、疑問ではあるがそういう趣旨のゲームであることは間違いないだろう。
彼女が、水に触れるその瞬間、呼応する様に海水が揺らめき出す。
やがてそれは、直径30センチほどの水球となり宙に浮かぶ。
予備動作なんてなかった。
水球が、一直線に俺の顔面目掛けて飛ぶ。
「ちょっまっ…ぐぇ」
情けない声と共に俺は後ろに倒れ、水しぶきが上がる
「よしっ次」
「……もしかしてウチも」
見ると水球が3つアシュリスを取り巻いており、そのうち、2つが左右から挟み込むような軌道で射出される。
あれは、避けられない。
「ぎゃっ」
同じように水しぶきが上がる。
ふらふらと立ち上がった俺にいつのまにか真上にあった残りの1球が落ちてきた。
「さっきの仕返し」
「なんもしとらんウチなんもしとらん」
レイさんが抗議の声を上げる。
だがアシュリスは、聞く耳持たずといった様子だ。
こうして本来の趣旨とは、全く別物になった水の掛け合いは、熾烈を極めることとなった。
「今です、レイさん」
「くっ」
「どりゃ〜」
早々に、共同戦線を張ることにした、俺とレイさんの連携は、ようやくアシュリスに水を浴びせることに成功する。
しかし、倒れ際に放ったアシュリスの水球に2人同時に被弾することとなった。
タイミングをほぼ同じくして3人の水しぶきが上がる。
「冷えるしそろそろあがろうか」
頭から多量の水を浴び、冷静さを取り戻したのだろうかアシュリスが言う。
太陽が、もうかなり西に傾いていた。
俺は、疲労と何かしらの余韻によりアシュリスとミライさんが砂浜に戻る中動けずにいた。
瞬きする瞬間ですら、惜しく感じる。
今だけは生きたいと思えているように思う。世界を感じていたい。
今の気持ちを端的に表すのならば、きっとエモいだ。
それは、この世界に来て、始めての感覚だった。
でもそれは、ずっと自分の中にあったものでそれとの照らし合わせによって、自分の今の感情がエモいであると断定できた。
緩やかな弧を描いた、水平線を見つめる。
どうしても未来のことを考えてしまった。
次に俺がエモいと思うのは、どんな時だろう。
そもそも、そんな機会がないのかもしれなかった。
これが俺の最後のエモいになるかも知れない。
その思いを振り払うように水平線から目を背ける。
浜に戻ると、アシュリスが私特製温風魔法とやらで服を乾かしてくれた。
「次は、なにします」
レイさんといっしょに流木に座りながら砂の上を走るカニを見つる。
「そうやなー……砂の山が作りたい」
それは、ためらいがちな声で、恥ずかしそうに顔を背ける。
「いいですね。それでトンネルも掘りましょう。3方向から掘って、真ん中で繋ぐ感じで」
なにがいいのかは、自分でもわからなかった。だが彼女の、望みに応えたいと思った。
「……砂の山を作るって、どうやったら勝ち?」
アシュリスの問いに、俺とレイさんは顔を見合わせて笑った。
今日初めて知ったが、アシュリスは勝負事が好きらしい。
「ちゃうちゃう、ただ砂を盛って山みたいにするだけ」
アシュリスは、レイさんの回答に依然釈然としない顔をするも分かった手伝うとだけ言った。
3人でせこせこと砂を積んでいき適当な大きさの砂山を作る。
次に、横穴を掘って行く。
考えてみれば、本当に意味のない行為だった。
でも、これが楽しかった時が、確かにあった。
砂場に行って山を作る。
どれだけ大きく作っても、次にそこに行くときれいさっぱり、なくなってしまっている。
それでも、また砂を積む。
そんなことを繰り返す。
そんな、懐かしい感覚が全身を駆け巡った。
掘っていると突然、最奥の砂壁が簡単に崩れ暖かい物が触れる。
分かりきった結果のはずなのに、互いにびっくりして離れ、それからそっと近づいて感触を確かめ合う。
「……あの誰です」
「……ウチ」
砂山の向こうから、ミライさんが顔を覗かせた。
ともに手を引き抜いて穴を覗き込む。
しかし、3方向から掘っていたトンネルは中で屈折しており、向こう側を覗くことはできなかった。
もう一度腕を伸ばすと、ミライさんの指に触れる。
こうすることで、互いのトンネルが繋がっていることを、確認し合うことが出来きる。
そのことで、ケラケラと二人して笑う。
ミライさんが先に、腕を引き抜いたタイミングで、砂壁が横から崩れてひんやりとした指が触れた。
「スイカ?」
「はい……俺ですよ」
おそるおそるといったその声音に、肯定の意思を示すつもりで、こちらからその指に触れると、おぼつかない様子で、指を一本一本確認しながら、最後はゆっくりと離れていった。
全員が手を引き抜き、立ち上がって砂の山を見下ろす。
それは、本当にくだらなくて意味のない産物だった。
「どうします……これ」
「……どないしょうか」
正解なんてない問いに二人して頭を悩ませる。
「……写真」
ミライさんの発したその言葉、その意味を思い出せず、ズキリと胸が痛んだ。
それは、言葉を発した本人も同じだったようで『ごめん、何でもあられん』と言って乱暴に頭をかく。
しばらくの間沈黙が続いた。
「崩しませんか?」
そうだ、もともと、この問題は山を崩すかそのままにしておくかの二択でしかない。
他に選択肢なんて、この世界にはないのだ。
「そやな、このままにしてても波でなくなってしまうやろうし。アシュリスもそれでええ?」
「……私は、別に構わないけど」
そうして、3人で作り上げた砂山は数分で砂浜に戻っていった。
「満足しましたか?」
「うん、二人に会えて良かったわ」
海を見つめながらレイさんが言う。
その言葉に気恥ずかしくなって俺も海を見る。
「……海、もう一回入って来るわ」
「今からですか」
「うん、今じゃないと、あかん気ぃする」
海は先ほどまでの青をどこかに、隠し脂のじみた黒色と僅かに残った夕日の赤が反射ししている。
止めるまもなくミライさんは強い歩調で歩きだしていた。
冷たくなった、海の中ミライさんを追う。
なぜだか、足の震えが止まらない。
彼女に追いつき、その前に立ち塞がることなんて簡単なはずなのに、出来なかった。
「ミライさん」
呼びかけて見ても、止まることはなかった。
俺は振り返った。
アシュリスが、付いてきているものだと思っていたが、そこには誰もいない。
辺りは暗く、砂浜との距離を測り取ることは、できなくなっていた。
「……待てよ」
言葉が乱暴になる。
ただ、本来自分は、こんな口調だった気もする。
すでに、海面は胸の下あたりにまであり、波が来るたびに海水が口に入ってしょっぱかった。
俺の言葉に、レイさんが立ち止まる。
「ありがとう、すいか」
「それ、さっきも聞きましたよ」
「なら、ごめん」
「どうして」
「……そういう怒った顔もするんやな」
「話を逸らさないでください」
息が荒くなっている俺に対して、ミライさんは驚くほど落ち着いていた。
単純な疑問だ。
なぜ海に行きたいのか。
それを、最初に聞いておくべきだったのだと思う。
「……ウチ、処女やなかってん」
「……待って、何の話を――」
「大切な人がいたってことだよ、君には居なかったの?」
久しぶりにその輪郭が浮かび上がる。
同じ黒い髪黒い瞳、俺より背が高くて、顔が良くて
確かに大切な人だった。
でも、ミライさんが言うような関係ではなくて。
「いますよ…たぶん、家族…だった人が」
海水が染み込んで重くなった脚を、前に運ぼうとする。
しかし、次に来た波が大きかった。
波に脚を浮かされ、海中に押し込められる方向感覚を失う。
「ミライさん」
なんとか水底を蹴り、海面から顔を出して叫んだ。
必死に海水によってしみる目を凝らす
「やったら、君にも分かるはずだよ。その大切な人が、悪い夢から覚まそうと、自分を揺り起こそうとしとる可能性が、ゼロやないってこと」
さっきより遠い位置で声がした。
そこから海面の人影をたどり、位置を確認する。
暗い。
彼女が、どんな表情でそれを言っているのか分からない。
「……海だよ、ウチの本当の名前」
時が止まったように、波の音が聞こえなくなった。
彼女を止める権利が自分に無いことに、今更気づく。
死にたがりの分際でいやそれ以下だ。
死にゆく理由もなくした、なにものでもない俺が彼女を止めることは出来ない。
俺が、どんな言葉を紡いだとしても、それは彼女の心の表面を滑っていくだけだ。
ミライさんが振り向く
「海って呼んで見てよ」
「……海…さん」
「やっぱ全然ちゃうな」
笑いながら言ったがその声色には悲しさが宿っていた。
「……嫌だ……俺は――」
「君がほんまの名前を思い出せること、ウチは願っとる」
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