第8話 猫は楽しく喋り、精霊は激しく踊る

 8月4日水曜日。9時30分。

 今日からユーヤの朝が変わった。


 いつもは可愛い妹が陽気にムーンサルトプレスを決めてきたり、優しく体を揺すったりして起こしてくる。

 しかし、今は違う。


 まずは猫にペシペシと顔を叩かれて起こされる。そこで起きることを拒むと、ザラザラとしたあの舌で、ユーヤの顔を削るように舐めてくる。

 ユーヤは別に猫が嫌いなのではない。むしろ好きな方である。単純に安眠を邪魔されることが嫌なのだ。

 しかも、この猫はふてぶてしく我が物顔でユーヤの部屋を歩き、隅で彼を観察するように丸くなる。布団の上や部屋のど真ん中ではないのがまだ救いか。


 結局、ユーヤの両親も妹も、この猫を飼うことに許可した。少し親馬鹿気質があり、妹を甘やかしてしまう両親は、妹の可愛らしいおねだりに屈した形となったのだ。

 猫の飼育を勝ち取った友子は凄いドヤ顔でユーヤの部屋に猫を置いて行った。何で?

 友子が言うには、お兄ちゃんの方がいいとのこと。だから、何で?


 トトトと足音が聞こえてくる。この軽やかな足音は、おそらく妹だ。もう妹が起こしに来る時刻となったようだ。

 あの美しい水色の毛並みにやられた妹は、今まで兄のことを起こしに来てくれたにもかかわらず、猫と遊ぶついでに起こすようになりつつある。ついでとして扱われてしまっていて、兄は悲しい。


「すいちゃ~~~~ん」


 やはり妹が扉を開けて入ってきた。せめてきちんとノックしてほしい。お兄ちゃん、これでも思春期だから。

 ちなみに、すいちゃんとは猫の名前である。水色をしているからすいちゃん。安直な名前だろう?


 ユーヤは落胆した。妹は兄ではなく猫の方に強い興味を持っている。お兄ちゃん、やっぱり寂しい。


 友子は猫の脇に手を入れて持ち上げ、お腹に鼻を付けた。いわゆる猫吸いである。


「んにゃ~~~~」


 猫は身を捩りながら抵抗するフリをして鳴き声を出す。フリであるため、抵抗に脱出しようという意志がない。。


「ンムンムンムンムンム」

「んにゃ~~~、くすぐったい~~」

「ウェ⁉ 喋ったッ⁉」

「……へ?」


 急に人語を喋ったことで、友子は猫を手放した。気持ち悪いものを捨てるかのような行為をしたが、猫は器用に空中で体を捩じり、綺麗に着地する。そして何事もなかったかのように顔を舐め始めた。


「いいじゃないか、先生と呼ばれる三毛猫やら、屋敷から抜け出すために化けた黒猫の死神やらが存在しているんだ。何ら不思議じゃないだろ」

「えぇ~~。そこで妖怪に名を返す主人公の相棒とか、死神の漫画の話とか、フィクションの話を持ち出されても」

「はっは。それよりも早く朝食を食べに行ったらどうなのかい? アタシも勝手にご飯を食べに行くよ。午後2時過ぎくらいには戻ってくるから、その時にでもお話ししようよ」


 猫は少しヤンチャな喋りをすると、優雅に窓から出て行った。


「あ、朝ごはん食べに行こうか」

「う、うん」


 若干放心状態になりながら、階下へ降りて行った。


――――――――――


 シキ達は色々とあり、探索者協会の計らいで、用意された家屋に住まわせてもらうことになった。日本語の授業を受けながら、常識も学ばせてもらっている。

 中でも苦労しているのはアイケルスとポラリスだ。両者はともに人間ではなく、吸血鬼のように人間社会に溶け込む種族でもない。


 アイケルスは人間社会で生きてきたが、精霊としての常識が邪魔してしまう。

 ポラリスは半神半魔であり、人間社会で暮らしてきた経験が浅い。自儘に生きているため、特に学ぶ意味すら感じていないのも原因か。


 アイケルスはこの日、水色の毛並みを持つ猫が屋根を伝っているのを見ながら、辺りを散歩する。来たばかりの世界のことすべてを、五感を使い、切り取っていく。

 アイケルスは闇の精霊である。もちろんこの世界ではなく異世界の。

 闇の精霊として、影のある場所が好きだ。大通りではなく路地をわざと選んでしまう。好きだから。


 体の後ろで手を組みながら歩く。


「おっと」


 金と赤のオッドアイを少し見開き、後ろの路地を見る。大通りに出てしまったか。戻るのは何か違う。こういう時は別の路地を探して入る。今回は向かいの道の路地に入ろう。

 信号を見る。昨日習ったものだ。確か赤は止まれ、だったな。青で進め。

 色が切り替わる。青に……青に……青⁉ アイケルスの眉根が深々と刻まれている。アレ、緑じゃね??

 しかし、周りの人々が渡っているため、それに倣って渡る。


 アイケルスは首の後ろを掻きながら、路地へ入っていく。少し歩けば周りが建物に囲まれている公園があった。建物のせいで公園が8割くらいは暗い。こちらを向いていない建物の窓にはカーテン。まだ14時だぞ?


「そろそろ出て来たら?」

「よく分かったな!」

「そこは褒めてやろう!」


 後ろに2人の少女が現れた。いや、2匹と呼んだ方がいいか? 

 現れた2匹は精霊である。おそらくかなり下っ端の。基本的に精霊は上級となって初めて単位が人になる。

 アイケルスは少し面倒な気配を感じながら振り返る。分かりやすく似ている2匹。双子かな?

 黒髪黒フリルのドレス。属性は聞かなくても分かる。闇だ。


「貴方はこの世界の精霊ではないな!」

「私達が排除します!」

「え、何で? まず話し合わない?」


 本日、3度目。金と赤のオッドアイを見開かせた。

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