ショートショート カレーは薬膳

阿賀沢 周子

第1話

 三合炊きの炊飯ジャーから、飯の炊ける匂いがしてきた。俺は、炊きあがるまでの残り時間を見て、台所に立った。

 今晩も、カレーライスだ。

 皿を出し、コップに水とスプーンを入れる。鍋にカップ2杯の水を注ぎ一口コンロで沸かし始める。煮立ったら、カレールーを二欠片入れて弱火でコトコト煮る。焦がさないように、竹ベラで鍋底をこするのが重要だ。

 炊飯ジャーからできあがりを知らせる電子音が鳴った時、カレーは完成した。

 皿にフワフワの飯を盛り、カレーをたっぷりとかける。具が入っていない分、塩味がきついので、飯は何杯でも食べられる。

「ありがとうございます。戴きます」

 手を合わせて、米や野菜を毎月送ってくれる両親に礼を言う。


 三日前、同居人の拓也が部屋を出て行った。

「たまんないよ。毎日ルーだけのカレー。寮の飯の方が断然いい」

「比べるなよ。俺の料理と」

 たまには、炒飯も作っているだろうと言ったが、拓也は口を尖らせた。

 ルームシェアーが解消したら、俺はやっていけない。拓也はそれを知っているから、半年我慢してくれたのだろうか。

「やっと寮が空いたんだ。悪いけど出るよ。お前も戻ってこいよ。空いたら知らせるから」

 仕送りから、家賃と光熱費の半分を俺に渡して、残りはサークル活動や、遊びに使っていたので食費は俺頼みだったのに、だ。

「何だよ。それなりに楽しんでいたじゃないか。彼女を連れてきたときは気を利かしてやっただろ」

「そうだけど、やっぱ腹減るの辛いし。お前は、俺より地味に楽しめるからいいかもしれないが」

「地味ってなんだ」

 拓也は台所を振り返って、薄笑いを浮かべた。

 極力外食を控えて、手作りしているから、送ってくれた野菜は半月と持たなかった。栄養のバランスに良いと入れてくれる果物は、もとは見向きもしなかったのに、今では完食している。

「たまには肉を差し入れしてやるよ」

 拓也は段ボール箱に身の回りのものを詰め、大物はレンタカーが手配できたら取りに来るといってさっさと出て行った。


 夕方、俺は部屋から歩いてすぐの河川敷でトランペットの練習をした。ジャズサークルの定期演奏会が近いから、気が抜けないのだが、腹の底の方がざわざわとして落ち着かなかった。練習を諦めて部屋に戻ると、八畳間が広がったように感じた。

 地味ってどういう事だろう。俺は、料理は苦ではない。洗い物も洗濯も高校の時から自分の分は自分でするように母に言われてやっていた。だから自分でやるのは当たり前のことだった。拓也は何でも面倒がった。     

「そんなことに時間を割くくらいなら、ゲームしていた方が幸せ」 

 同居し始めのころ、俺が洗濯物を干していたら、ゲームをしていた拓也が言った。

「旅行用の使い捨ての下着があるのを知ってるか」

 拓也はゲームから目を話さず俺に言った。知っているというと、だからそんなことちまちまやんなくたって困らない、と言った。

「まさか」

 俺は笑ったが、拓也は笑わなかった。

 拓也が置いて行ったソファベッドに座った。

 確かに、俺はこの暮らしを楽しんでいた。拓也との共同生活が、というよりやることなすことの何もかもが発見があって新鮮だった。

「今時、お前みたいな大学生いないわ」

 トランペットをケースに片付けながら、拓也が別れ際に言った最後の言葉を反芻した。

 地味で今時でない俺って、俺は好きだけどな。腹の底の不安感が少し軽くなった。


 あれから三日間、カレーライスやバターと醤油だけで味をつけた焼き飯を食べ続け、考え続けてきた。食材の消耗が半分になるのだから、食費は減るかもしれない。バイトを増やすと勉強がおろそかになる、それは避けたい。

 カレーの鍋底まで飯でぬぐって、二合の飯をたいらげた。腹がいっぱいになったら、細かいことは考えたくなくなった。

 今朝、拓也のソファベッドが運び出されたから、ますます広くなった部屋の真中に寝転がって天井を眺めた。取りあえず明日、来月分の家賃を入れて、実家からの荷物が着くまでの間、カレーライスだ。

                   

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