彼女はもう、死んでいる。
くろいきつね
1
僕の恋人である
葬式は途中で抜け出してきたし、そのあとの通夜にもいかなかったから、僕は別に泣いたりはしなかった。泣かずに、ただ夢を見てるみたいにぼうっとしていた。
それから2週間経った今日も、僕は座布団を枕にし、このワンルームマンションの床に寝転がってぼうっとしている。幸い僕は一人暮らしなのでそれを咎める人は誰もいないし、大学も夏休みで、彼女以外に休日を共に過ごすような人がいなかったので、僕は好きなだけ床に寝転がってぼうっとすることができた。
真っ白な天井を見上げていると、脳みそが半分寝ているみたいな感じがして考えが止まる。何も考えなくていいから楽で、ずっとこうしている。
それでも。
何も考えが進まない、進めない様にしたはずなのに、一つだけ、14日前からずっと、たった一つの欲求だけが止まらない。
それは、何かをしている時も、何もしていない時も、耳鳴りのように、ずっとずっと、僕の心をかき乱し続けてくる。今も、ずっと。
また彼女に会いたい。また彼女――友梨佳と、話したい。
そんな欲求が、今も心の中でずっとくすぶっていて、落ち着かない。
そのせいで眠りたいのに寝れないから、こうやって何もせず、横になっているしかない。
そんな時ふと、僕の頭の中から、嫌な声が聞こえた。
『いつまでこうしてるんだ』
そんなの、僕は知らない。いつまでするのか?どうでもいいだろう、そんなこと。
とにかく今は、何もしたくない。何もする気が起きない。
だから僕は、耳をふさぐように寝返りを打つ。何も考えていたくなかった。
――そんな事をしていると、突然に、インターフォンが鳴った。
誰だろう、宅配かな、と思ったけれど、僕は何も頼んでいないはずだし、僕を訪ねてくるような知り合いなんているはずがない。まぁ、勧誘か押し売りか、何かだろう。どうでもいいことだ。
正直、居留守という選択肢もあった。だけれどなんというか、僕は今、何もやる気が起きないのに、何かしなきゃいけないような感じがして、ずっと焦っているような、落ち着かない気持ちがあって。
多分だけど僕は、とにかく気を紛らわせたかったんだと思う。
数時間ぶりくらいに体を起こして立ち上がると、節々がペキペキと音を立て、鈍い痛みを感じたが、僕はあんまり気にせずドアに向かい、それからドアの向こうには何も声をかけずに、躊躇なく開けた。
どうせ、しょうもないものだろうし。そう思っていたから。
でも、違った。
「やっほー
目の前の人は、何気ない、楽しそうな笑みを浮かべながら、馴れ馴れしい様子で目の前の僕に手を振ってきた。
「え...はっ...?」
思わず、声が出た。
まったく、意味が分からなかった。
ドアを開けて、目の前に立っていたのは、間違いなく、絶対に、友梨佳だった。僕がこの14日の間、何度も、何度も、何度も、何度も。
何に代えてでも、会いたいと願っていた人。
僕の人生でただ一人の、大切な人。
ほんのり茶色がかっている、ふわっとしたロングヘアーに、好んでよく着ていた白い服。
僕より少し小さいその身長と、すらっとしたしなやかな体。
聞く人をどこか安心させる柔らかな声と、思わずこっちまで笑ってしまいそうなほどに、愛らしい笑顔。
間違いなく、彼女...友梨佳だった。
でも、なんで、どうして、ここに。
「蓮?どうしたの?そんな目で私を見ちゃって...あ、もしかして私に見とれちゃった?」
いつもと、本当にいつもと、全く同じ調子で、彼女は話しかけてきてくれる。だけれど、僕は今、それどころじゃなかった。
それよりも、わからないことが多すぎた。
なんで彼女がここにいる?なんで今、ここで立っている?なんでこんな、何事もなかったみたいに?なんで、なんで。
――いや、そんなのはもう、いい。
「きゃっ!?蓮!?」
沢山の疑問が渦巻く中、僕はそれを全部放り出して、友梨佳を抱きしめた。
彼女の体温が、肌の柔らかさが、甘い匂いが、その声が、笑顔が。
全部、全部が、彼女の存在を示してくれる。
なんでいるのか、なんで立ってるのか、なんて聞かなくていいんだ。
ただ彼女の感触を、感じていたかった。
ここにいる、僕のそばにいてくれるってことを、感じたかった。それ以外の事なんて、どうでもよかった。
それから僕はしばらく彼女に抱き着いていたら、「さすがに恥ずかしいよ」と言われ、引きはがされた。本当は、僕はもう少しこうしていたかったけれど。
『ごめん』と言いかけながら彼女を見ると、恥ずかしそうに顔をわずかに赤くさせている。
そういえば、ドアが開けっぱなしだったことを思い出した。
「急に何するのさ」
彼女は少し機嫌を損ねたように、頬を膨らませていた。
さすがに、あれだったかな。
「いや...ごめん」
謝りながら彼女を部屋に迎え入れると、彼女は明らかに怪訝そうな顔をしながらも、「お邪魔」と言いながら入ってくれた。
そして彼女は、いつもみたいに部屋の隅に重ねて置いてあった座布団を一枚拾って、それを下敷きにし、床に座る。僕も同じように、いつも通りに、彼女の隣に座る。
何気ないこの瞬間に、僕は心の底から、安心を覚えた。
悪い夢から、覚めることができたみたいに。
そうしていると、友梨佳は僕に話しかけてきた。それは軽い口調で、ただ単に気になった事を質問をしているふうだった。
「ねぇ、蓮」
「なんで急にさ、抱き着いたりなんてしたの?」
僕は答えあぐねた。今、まさにここにいる彼女に、なんて返せばいいのだろう、と。というかそもそも彼女は、自分が事故に会った事を知っているのだろうか?
いや、友梨佳の性格からして、きっと本当に知らないんだ。だからこそこんな風に、僕の家に来て、いつもみたいにくつろげている。何にもなかったみたいに、振舞っていられる。
それじゃあ、仮に、仮にだ。
僕が余計なことを言って、その事に気づかれたら?
また、何か起こるんじゃ。もしかしたら、また、どこかに。
それなら。そうなるくらいなら。
「いや...なんでもない」
「...そっか」
ただ誤魔化すだけの一言を言うと、彼女は微笑んで、それだけをつぶやいた。
何も問い詰める事なんてせず。怖がっている僕を、何も言わずに受け入れてくれた。そのおかげで少しだけ、救われた。
「いやー、にしてもさ、お腹が空いたよ」
勝手に救われた気になっている僕を差し置いて、彼女はいつもの調子で、笑いながらのんびりと喋ってくれていた。
時間を見ると、気が付いてなかったけれどもう昼過ぎで、確かにお昼を食べるにはいい時間帯だろう。そういえば僕も腹が減った、ていうかここ最近、ろくにものを食べていなかったような。
「ねー蓮、何か食べ物ない?」
何かあったっけ、と僕は冷蔵庫の中身とかを思い出してみたけど、確か何にもなかったはずだ。
だから僕は、きっぱりと。
「何もない」
「うそーん」
「ほんとだよ、探してみな」
友梨佳は立ち上がって冷蔵庫を開けたり、カップ麺とかを入れる棚を漁ったりするが、確かろくな食べ物はなかったはずだ。それを証明するかのように、友梨佳はしょぼんとした顔で戻ってきた。
ころころと変わる彼女の表情を見ていると、僕はついつい、顔がほころんでしまう。どうしようもなく、安心する。
「ほんとに何にもなかった...蓮はこんな状態でどうやって生きてきたのさ」
「どうやってって...」
どうやってと言われると、ぼうっとしていたとしか言えない。ていうかこの2週間くらい、ずっとそうしていた。それしかしていなかった。
僕はずっと食欲がなかった、でも、今はなんだかお腹が減っている。これも、彼女のおかげだろうか。
「まぁいいや、私コンビニでなんか買ってくるよ」
と言って、彼女は立ち上がった。立ち上がって、外へ出ようとした。
え、いや、待て。
外に出る?今、この状態の彼女が、外に出て、そして?
あっ。
「...待って」
反射的に、僕はそう言いながら、友梨佳の服を掴んだ。その瞬間、彼女は戸惑っているような顔をして、こっちを見ている。
「...僕が買ってくるよ」
そういうと、友梨佳はしょうがなさそうに笑いながら、否定するみたいに手を振って。
「え?いや大丈夫だよ、勝手に来たの私なんだし」
違う。買ってきてもらうのが悪いとか、そういうことじゃない。
でも、どうやって説明すれば。
「いや、いいから...僕が行ってくるから」
それがわからなくて、僕はつい、強く言ってしまった。
やらかした、とすぐに思ったけれど、言い訳を考えている
「んー...わかったよ、じゃあパスタが良いな、カルボナーラ」
「...わかった」
彼女は渋々ではなく、どこか不審がるような目を僕に向けつつ、欲しいものを注文してきた。
僕はそれを聞き終わると、そのまま外へ出ようとドアを開ける。
「行ってらっしゃい」
何も言わず出て行こうとする僕に、彼女はそう声をかけてきた。
返事は、しなかった。すぐに僕は、それを少し後悔した。
それからコツコツと、マンションの階段を下りながら僕は考える。
もし、友梨佳が外に出て――出ること自体は大した問題じゃないのだが――問題は、彼女が外で、誰か知り合いと出会った時だ。
彼女はきっと、まだそれを知らないという僕の予想が正しければ、にこやかに対応するだろう。しかし、その知り合いにとっては、そんなことできないはずだ。
彼女の知り合いならば、絶対にそれを知っているはずだ。なのにその人が友梨佳に会った時、どうなってしまうんだ?
そんな風に考えてると、マンションの外に出た。通りにはぽつぽつと人がいたが、僕の知り合いは一人もいなかった。
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