彼女はもう、死んでいる。

くろいきつね

僕の恋人である木津友梨佳きづ ゆりかがこの世からいなくなったのは、もう2週間ほど前のことだった。彼女の葬式には僕も含め、彼女が人生で知り合ったであろう沢山の人々がいたが、僕はそのうちの半分も知らなかった。

それに葬式は途中で抜け出してきたし、もちろん通夜にもいかなかったから、泣いたりはしなかった。泣かずに、ただ夢を見てるみたいにぼうっとしていた。

それから2週間経った今日も、僕は座布団を枕にし、このワンルームマンションの床に寝転がってぼうっとしている。幸い一人暮らしなのでそれを咎める人は誰もいないし、大学も夏休みで、彼女以外に休日を共に過ごすような人がいなかったので、僕は好きなだけ床に寝転がってぼうっとすることができた。

真っ白な天井を見上げていると、脳みそが半分寝ているみたいな感じがして考えが止まる。何も考えなくていいから楽で、ずっとこうしている。それでも。

何も考えが進まない、進めない様にしたはずなのに、一つだけ、14日前からずっと、一つの欲求だけが止まらない。

また彼女に会いたい。また彼女――友梨佳と、話したい。

そんな欲求が、今も心の中でずっとくすぶっている。

――ふと、インターフォンが鳴った。

誰だろう、僕はネットで何も頼んでいないはずだし、僕を訪ねてくる人なんて皆無だ。

居留守という選択肢もあっただろう。しかし気を紛らわしたかったのもあって、出てみることにした。

多分数時間ぶりに体を起こして立ち上がると、節々がペキペキと音を立て、鈍い痛みを感じたが、あんまり気にせずドアに向かい、それから何も声をかけずにドアを開ける。

「やっほーれん、来ちゃった」

「え...はっ...?」

愕然として、思わず声を出してしまった。それは。

僕の目の前に立って、僕の名前を呼んだのが、この14日間、あれほど会いたいと願っていた、あの友梨佳だったからだ。

茶色がかった髪も、ぱっと明るいその声も、ぱっちりした目も、好んでよく着ていた白い服も、全部が彼女そのものだった。

「蓮?どうしたの?そんな目で私を見ちゃって...あ、もしかして私に見とれちゃった?」

彼女のその言葉も、何も頭に入ってこなかった。それよりも。

なんで彼女がここにいる?なんで今、ここで立っている?なんでこんな、何事もなかったみたいに?いや。

「きゃっ!?蓮!?」

沢山の疑問が渦巻く中、僕が選択したのは、彼女を抱きしめる事だった。

なんでいるのか、なんで立ってるのか、なんて聞かなくていいんだ。ただ彼女の感触を、体温を、存在を、感じたかった。

近くにいるってことを、感じたかった。






それから僕はしばらく彼女に抱き着いていたら、「さすがに恥ずかしいよ」と言われ、引きはがされた。

「急に何するのさ」

「いや...ごめん」

謝りながら彼女を部屋に迎え入れると、彼女は明らかに怪訝そうな顔をしながらも、「お邪魔」と言いながら入ってくれた。

そして彼女は、まるで自分の家みたいに部屋の隅に重ねて置いてあった座布団を一枚拾い、それを下敷きにして床に座る。僕も座布団を敷いて、彼女の隣に座る。

すると友梨佳は口を開いた。それは軽い口調で、気軽な質問をしているようだったが、僕にとってそれは重い問いだった。

「ねぇ、蓮」

「なんで急にさ、抱き着いたりなんてしたの?」

僕は答えあぐねた。今、まさにここにいる彼女に、なんて返せばいいのだろう、と。というかそもそも彼女は、自分が事故に会った事を知っているのだろうか?もし知っていなかったとしたら、僕が余計なことを聞いて、に気づかれて、また...

「いや...なんでもない」

「そっか」

彼女は微笑んでそう言った。何も問い詰める事なんてせず。怖がっている僕を、何も言わずに受け入れてくれた。そのおかげで少しだけ、救われた。

「いやー、にしてもお腹が空いたよ」

勝手に救われた気になっている僕を差し置いて、彼女はいつもの調子で僕に話しかける。時間を見る。午後0時20分ごろだった。確かにお昼を食べるにはいい時間帯だろう。そういえば僕も腹が減った。

「どうしよう蓮、可愛い彼女が飢えてるよ、このままじゃ君を捕食しちゃう...嫌!私君を食べたくない!」

「君は東京にいる人の見た目をした化物だったの?」

「そうだよ」

「そうだった!ここにきて初めての情報!」

こんな風にふざけ合ってると、ぐぅ、と腹の虫が鳴り、あやふやだった空腹が確かな感覚としてわかるようになってきた。

「お腹減った...食べ物ある?」

友梨佳は立ち上がって冷蔵庫を開けたり、カップ麺とかを入れる棚を漁ったりするが、確かろくな食べ物はなかったはずだ。それを証明するかのように、友梨佳はしょぼんとした顔で戻ってきた。

「何にもなかった...蓮はこんな状態でどうやって生きてきたのさ」

「どうやってって...」

どうやってと言われると、ぼうっとしていたとしか言えない。この2週間くらい、ずっとそうしていた。

ろくにものも食べずに、ずっと。

「まぁいいや、私コンビニでなんか買ってくるよ」

と言って、彼女は立ち上がった。立ち上がって、外へ出ようとした。

あっ。

「待って」

反射的に、僕はそう言いながら、友梨佳の服を掴んだ。彼女は戸惑っているような顔をして、こっちを見ている。

「...僕が買ってくるよ」

「え?いや大丈夫だよ、勝手に来たの私なんだし」

「いや、僕が行ってくるから」

「んー...わかったよ、じゃあパスタが良いな、カルボナーラ」

彼女は渋々ではなく、どこか不審がるような目を僕に向けつつ注文する。それを聞くと、財布を持って、ドアを開ける。

「行ってらっしゃい」

何も言わず出て行こうとする僕に、彼女はそう声をかけた。

返事は、しなかった。

それからコツコツと、マンションの階段を下りながら僕は考える。

もし、友梨佳が外に出て――出ること自体は大した問題じゃないのだが――問題は、彼女が外で、誰か知り合いと出会った時だ。

彼女はきっと、まだを知らないという僕の予想が正しければ、にこやかに対応するだろう。しかし、その知り合いにとっては、そんなことできないはずだ。

彼女の知り合いならば、きっとを知っているはず。なのにその人が友梨佳に会った時、どうなってしまうんだ?

そんな風に考えてると、マンションの外に出た。通りにはぽつぽつと人がいたが、僕の知り合いは一人もいなかった。

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