📚第1冊 田中康夫『ぼくだけの東京ドライブ』
たまには、本も紹介してみたい。ただ、この文集のタイトルは「「音楽」」だから、音楽に関聯する本にしたい。
『ぼくだけの東京ドライブ』(田中康夫、中公文庫、昭和62年4月発行)の巻末には、《本書は『たまらなく、アーベイン』(昭和五十九年四月 中央公論社刊)に一部加筆し、改題したものです。》とある。また、本の冒頭には「田中康夫からあなたへ」として《音楽は、常にその時代の気分を伝えてくれます。/五木寛之氏の時代がジャズの気分で、村上龍氏の時代がロックの気分だったとしたら、今の僕たちは、アダルト・コンテンポラリーやブラック・コンテンポラリーの気分の中に、生きているのではないでしょうか。》とある。
田中康夫と言えば、やはり『なんとなく、クリスタル』(河出文庫ほか)である。厖大な註(ちゅう)の付された小説であった。小説本文は女性登場人物の視点で書かれているが、註は作者(つまり、田中康夫)が顔を出している。『ぼくだけの東京ドライブ』は、その註の部分が拡大されたかのような作品だ。田中康夫のエッセイは皆そうではないかと言われると、まあ、僕は言葉に窮してしまうのではあるが……。
僕は、この作品を随分昔に最後まで読んだ。しかし。取り上げられている音楽作品については知らないものばかりであった。それでも読んだ。
第一に、田中康夫の文体が心地よいからである。第二に、音楽作品に無知である僕でも或る「世界観」或る「空気感」を感じ取ることができ興味深いからである。
第一については、やはり彼が文藝賞でデビューしたからだと思う。純文学としての小説(『なんとなく、クリスタル』)を書いた人として世に出たからだと思う。「文体」がある。
第二については、四方田犬彦による「解説」も面白いので引いてみよう。
《デニーズとデリダを同列に論じることはできない。これは自明のことであって、論理学の初歩に属する問題である。……》
「デリダ」というのは、フランス現代思想の思想家・哲学者のジャック・デリダのことに「決まって」いるのである。この時代に、この本を手に取るような読者には「デリダ」が常識(つまり、教養)だったことが窺えるのが僕には面白い。こういう「空気感」も、この本からは感じ取ることができるのだ。
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