第2話 困惑

「どうなっているんだ、これは?」


 走矢そうやは困惑していた。


 鼻歌を歌いながらトイレから出てくると、店内には誰もいなかったのだから。


「オーケー、とりあえず、状況確認だ」


 走矢は深呼吸をして心を落ち着かせ、数分前の記憶を呼び戻す。

 休憩目的でこの喫茶店に入りレモンティーとアップルパイを注文。数分で来た湯気のたつレモンティーを一口飲んで休んでいると、少し遅れてアップルパイがやってくる。フォークを片手に食べ始めようとしたその時、急にお腹の調子が悪くなり冷や汗をかきながらトイレに駆け込んだ。


 そこで腹痛に耐えること約十分、満面の笑顔で手を洗いハンカチで拭いて、気分よく鼻歌を歌いながらトイレから出れば、店内には人っ子一人おらず静寂に包まれていたのだ。


 うん、さっぱり分からん。


 この場に名探偵がいたならばぜひ、この不可解な謎を推理してもらいたい。


 フロアに散らばる割れた食器、倒された机やイス、こぼれた飲み物と踏みつぶされたパン。落下していなかったコーヒーからは、白い湯気がたっている。


 自分の席は――レモンティーは机の上だったが、アップルパイは無残にも地面へ落下しており、誰かに踏まれたのだろう靴の跡が残りリンゴが押し出されていた。


 食べたかったのに。


「はぁ、落ち込んでいても仕方がない。状況から見て、慌てて人々が出ていったことだけは分かる。なら、一体な、ぐわっ⁉」


 背中に何かが衝突した感覚の後、体が逆くの字に曲がる。


 一体何が――。


 そんな考える余裕などなく、バランスを崩し前のめりになる体。完全な不意打ちを

受けた者が、咄嗟に受け身を取れるはずもなく、両手を上げたまま近くの円形の机の端へダイブ。


 均等だった重心が傾き、置いていた物が走矢の方へ倒れる。


「いっ、つ⁉」


 体に伝わる衝撃、そして痛み。


 状況を見極めようと、すぐさま体を起こそうとした瞬間、


「ぎゃあああああ!」


 頭から焼けるような痛みが走り、悶絶する走矢に――


「つめた!」


 追い打ちをかけるように、今度は冷たい液体が頭に降り、冷たく硬い物が服の間から背中へ滑り込む。


 服をはためかせて、中に入った冷たい物を出すと、それは石ころのような氷。


 走矢の周りには、カップ、ソーサー、そして汗をかいたピッチャーが転がっている。


 どうやら、円形の机には飲みかけのホットコーヒーと、水と氷の入ったピッチャーがあって、それが傾いたひょうしに走矢の頭へ時間差で落ちてきたのだろう。


 それにしてもひどい目にあった。


 頭を押さえ呼吸を整える。


 幸い触った感じでは、顔全体が少しひりつく程度なので大丈夫だと思いたいが、素人が勝手に診断してもろくなことがないので、後で病院へ行こう。


「あのー、大丈夫ですか?」


 と背後から心配する女性の声が耳に届く。


 おそらく、この女性が走矢をこんな目に合わせた犯人。怒りが込み上げてくるものの、その場から逃走せず被害者を気遣う姿勢は好感が持てる。


 その場から立ち上がり、コーヒー臭い髪をハンカチで拭きながら振り向いた。


「あ、ははは……すいません」


 頭を下げて走矢へ謝罪をする女性。学校指定のカバンと紺色のブレザー制服を着ているところを見ると、女子高生だろうか。


 顔を上げた彼女は苦笑いを見せつつ、面と向かうのは気まずいのか、その視線は色んな場所を彷徨っている。


 こんな姿を見せられたら、怒鳴る気力もなくなるというものだ。まぁ、こちらは大人なので、謝罪を向こうがしてきたのなら、それを素直に受け取ろうじゃないか。


「私に襲い掛かった件はなしにしましょう。えーと」


「あ、私は川本ももです。って違う! 私はあなたを襲ってませんよ。急いでトイレから出たら、あなたがいただけで……って、そんな場合じゃないんです。ここから早く逃げないと!」


「逃げる? 何から?」


「それは――」


『うおおおおおおおお!』


 突然、鼓膜が破れそうなとんでもない叫び声が響き渡り、走矢とももは自分の耳を手で塞ぐ。


 さらに地震が起きたかのように店内が震え始め、その揺れで机の物が再び地面に落ちて割れていく。


「これは……外か?」


 割れた窓ガラスに視線を向ける。


 まるで祭りが行われているかのように、外が騒がしい気がする。


 おそらく、店内にいた人々が消えた原因が外の騒がしさにあるとみた走矢は、確認するために近づこうとした瞬間、


『うおおおおおおおお!』


 本日二度目となる鼓膜を破壊してくる不愉快なヴォイスを喰らい立ち眩みを起こしてふらふらとカウンターへもたれる。


「…………」


 走矢の脳裏には数分間の出来事が再生されていた。


 突然、背中へタックルかまされ、机に体をぶつけ、コーヒーとピッチャーの水と氷による苦痛を味わい、そしてバカでかい声による鼓膜破壊。


 その再生が終わった時、走矢の理性を保つ糸がプツンと切れた。


 そしてこんなことをしでかした奴に対して怒りが一気に沸騰する。


「とんでもないものを喰らわせてきやがって! 一体どこのバカだ」


 怒りのまま外が一望できる窓の割れた場所へ移動しようとすると、


「ちょ、ちょっと、どこへ行こうとしてるんですか?」


 ももが走矢の腕を掴んで止めに入る。


「どこって、この外だよ。少し文句を言ってやろうと――」


「いやいや、火に油を注ぐようなことはしない方がいいのでは?」


「大丈夫、大丈夫。何かしてきたら、逆にやっつけてやるから」


「むりむり、私にはあなたがやられる未来しか見えない」


 必死で止めようとしてくるももの健気さに、だんだんと怒りのボルテージが下がってきたその時、今度は突然自動車がフロアを壊して斜めに突き刺さった。


「きゃあああああ」


「ぬあっ⁉」


 突き刺さった自動車は、走矢の前髪を掠めていった。


 これには走矢も背筋が凍るような気持ちになる――わけがなく下がっていたボルテージが一気に限界突破する。


「はは、いやー、私はね、ここまでコケにされたのは久しぶりですよ。ももちゃん」


 満面の笑みをももへ向ける。


 ちなみに彼女は引きつった顔で走矢を見ていた。


「……ぶっ殺してやる!」



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