2-5 工藤家/事情聴取

 依頼主の家は一般的なマンションの一室だった。インターホンを押して「本宮研究所の者です」と挨拶すると慌てた様子の足音がしてすぐさまドアが開く。顔を見せたのはやつれた様子の女性。恵茉から事前に聞いた話と照らし合わせれば発症した患者の母親だろう。

 満がアイドル顔負けの笑顔を向けると女性の顔色が少しだけよくなった。イケメンは疲労困憊にも効果があるらしい。


 案内されたリビングのソファへ希、満、和真の順に男三人でぎゅうぎゅうに座る。満はともかく和真は密着状況で大丈夫かと思ったが、初めての依頼主との対面で緊張がぶり返したらしく青い顔をしていた。石のように固まる姿は依頼主よりも顔色が悪そうで心配になる。

 声をかけた方がいいかと悩んでいるうちにお茶を用意してくれた依頼主が戻ってきて、お茶を並べると向かいのソファに腰掛けた。満の顔面効果で顔色がよくなったのは一瞬だったらしく、今は暗い表情をしている。ぎゅっと太ももの上にのせた手を握りしめている姿が和真と重なる。似たような性格なのかもしれない。


「改めまして自己紹介させていただきます。私の名前は本宮。左右にいるのが同僚の八木原と横森です」


 満は外向きようの爽やかな笑みを浮かべて名刺を取り出し依頼主に渡す。希も続いて名刺を取り出して渡したところで和真が焦った顔をした。和真用の名刺はまだ作っていないことをここにきて思い出す。


「横森は新人のため、まだ名刺ができあがっていないのです。ご容赦ください」

「新人さんなんですね」


 依頼主がチラリと和真に視線を向ける。それだけで「は、はい」と妙に大きな声を出す和真を見て微笑ましい顔をする。優しい人のようだ。


「依頼主のお宅に訪問するのも初めてのため緊張していまして。申し訳ありません」

「いえ、むしろ安心しました。この間異能局の方が来てくれたんですが、正直にいうと怖くて……」


 そういって依頼主は言いにくそうに目を伏せる。あちらの方が国家機関なので堂々と文句を言って良いのかという気持ちがあるのだろう。だが気持ちはよく分かる。


「制服も黒いですし威圧感ありますよね。怖いと感じる方は多いので気になさらないでください」


 希の言葉に依頼主はほっとした顔をした。

 目の前の依頼主のように異能局に対して不信感や恐怖感を覚える人間は多い。対処を間違えれば大事故になったり、殉職の危険がある異能を日々対処しているのだから仕方ない部分もあるのだが、常にひりついた空気は一般人からすれば居心地が悪いだろう。異能に特化した唯一の国家機関ということもあってやけに偉そうな職員も多く、評判は良くないと聞く。それでも一般人は異能局に頼るほかない。

 本宮研究所のような民間機関は異能局を経由して依頼を受けることになっており、異能局を通さない組織の多くは詐欺。異能局を通さなかったために莫大な料金を請求されたり、トラブルに巻き込まれたという事案は少なからず発生している。

 

「異能局にもお話していると思いますが、もう一度詳しく話していただいてもよろしいでしょうか」


 満が真剣な顔をした。アイドルのような輝きがなりをひそめて真摯な大人の顔立ちへと変化する。自分の顔が他人にどう見えているか分からないと出来ない芸当だ。それが自然と出来る姿を見るたびにどれだけ表情を取り繕って生きてきたのだろうかと心配になる。

 といっても満にそれを問い詰めたところで答えなど返ってこないのだが。


 満の視線を受け止めた依頼主は表情を引き締め、手をぎゅっと握りしめた。なにから話そうか頭の中で整理するような間を開けてからゆっくりと話しだす。


 発症者は一人息子の工藤学。発症に気づいたのは三ヶ月前の朝だったという。学校があるというのになかなか起きてこない学を心配した依頼主は学を起こしにいった。ノックしても返事がなく、まだ寝ているのかとドアを開けるとこんもりと盛り上がった布団を見えた。珍しいと思いながら布団をめくりあげた依頼主だったが、そこには誰もいなかった。

 実際は透明になった学がいたのだが、発症したての学は自分の姿が他人から見えなくなっていたことに気づかず、依頼主は息子が発症しているなんて考えもしなかった。


 だから最初は入れ違いになったと考えたようだ。部屋を出た依頼主はトイレを確認し、洗面所を確認し、玄関に靴があることを確認して慌てた。

 狭い家の中、中学生の子供が隠れられるところなんて限られている。学は大人しくて真面目な子供だったので変ないたずらなんてしたことがなかった。何が起こったのかと依頼主は混乱し、「学、どこにいるの!?」と大声で呼びかけながら学を探した。


 騒ぎに気づいた父親も加わって学ぶを探し始めた頃、リビングのドアがひとりでに開いた。突然の怪奇現象に二人は固まったという。ペタペタという裸足でフローリングを踏みしめる音が近づいてきて、恐怖で依頼主は気絶しそうになった。そんなときに聞こえたのだという。


「母さん、父さん、俺が見えないの?」


 その震える声はたしかに息子のもので依頼主はとっさに声のした方へと近寄った。手を伸ばすとなにかに触れる。それは服を着た人の体だった。


「それから異能局に電話して病院に行って診断を受けて、発症原因について調べていくうちに息子が学校でいじめを受けていたことを知ったんです」


 依頼主は唇を噛み締め、そう話をしめくくった。そこには深い後悔が滲んでおり希はなんと声をかけていいか分からなかった。自分であったらと想像するとどす黒い衝動が湧き上がってくる。

 もし妹がそんな目にあっていたら、自分はきっと加害者を……。


 願望に支配されそうになったとき希の手を誰かが握る。ハッとして顔を上げると満の横顔が目に飛び込んできた。芸術品のような顔立ちは少しも希を見ない。それでも握られた手から落ち着けと言う言葉が伝わってきた。


「話したくないとは思いますが、いじめの具体的な内容をうかがっても」


 満は申し訳無さそうに眉を下げながら依頼主に話をうながした。依頼主は少しの間を置いてから胸に詰まった感情を吐き出すように話しだした。


「毎日放課後、かくれんぼをさせられたそうです。息子が一人隠れて加害者たちが三人がかりで探し出し、見つかったら罰として暴力を振るわれたと」


 依頼主の手に力が入ったのがわかった。穏やかで優しいという印象の女性だったが今の表情は優しさとは無縁の険しさだった。眼の前に加害者がいたら迷わず罵声を浴びせかけそうな気迫に希は少し気圧される。


「だから、見えなくなる異能が発現したんですね……」


 黙っていた和真がポツリとつぶやいた。緊張で青くなっていた顔色は戻っていたが代わりに表情が抜け落ちている。暗い井戸の底を覗き込むような目つきに希は心配になる。満も同じことを思ったのか和真の肩を軽く叩いた。和真はハッとした顔をして周囲を見渡す。どこかに飛んでいた意識が戻ってきたようでホッとした。


「加害者は?」

「全員転校しました」


 そう依頼主は淡々と告げたが納得いっていないのは表情でわかる。

 異能症が知れ渡る前、いじめで転校するのは加害者ではなく被害者だったらしい。学校側は事なかれ主義で被害者は泣き寝入りするか、逃げるほかなかったのだそうだ。

 ストレス緩和法が制定されてからは立場は逆転した。いじめの被害者が発症し加害者、周囲にたまたま居合わせただけの人間を異能によって皆殺しにした事件が発生したためだ。発症した患者は社会での生活が困難だと判断され、保護という名目で今も精神病院に監禁されている。死ぬまで出られないだろうというのが恵茉の見解だ。


 そうした経緯を経ていじめは激減した。それでもなくなるわけではない。数年おきに世間を騒がすような悲惨な事件が発生し、いじめはよくないと皆が口を揃えて言うのになくなることはない。

 人間は階級を作りたがる生き物だと恵茉は言っていた。自分より下の人間がいると安心する。だからいじめはなくならないのだと。


「息子さんとお会いしてもよろしいですか?」

 満の問いに依頼主は頷いた。


「あの日から一度も息子の顔を見ていないんです。どうか息子を救ってください」

 深々と頭を下げる姿に自分の母親の姿が重なって、気づけば希は手を握りしめていた。

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