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あれから、上若と昼休みに図書室へ行くのが日課になった。
上若がおすすめする本を借りて、その日の夜やホームルーム前の時間を使って読み終え、また次の昼休みに上若おすすめの本を借りる。
次第におすすめの現代純文学がなくなってきて、近代純文学にも手を広げ始めた。太宰治、というのは俺にとっては『教科書に出てくる人』という認識しかなく、読んでと言われたときには拒否感もあったけれど、いざ読んでみるとその文章の虜にされた。物語の展開云々よりも文章が美しくて、文字を追う目の動きすら快感だった。これが純文学なのか、と脳髄で理解した。
ある日は、俺と上若ふたりで新しい名作探しに奔走した。学校の図書室はマイナー作家の本が入ってきづらいから、市でいちばん大きな図書館まで出向いた。当然のように開館時刻に合わせて集合。
上若は『あ』から、俺は『わ』から順番に背表紙を見ていき、これはというペンネームの人や、タイトルがあれば本棚から引っこ抜く。もちろん知らない作家の作品限定。冒頭数ページを読んで、名作の予感がしたら手に取る。上若に勧める本だと思ったら生半可な選びかたはできなかった。どれだけよくても、選ぶのはひとり3作まで、という縛りも大きかった。
迷いに迷って、芥川賞受賞作にも引けを取らない3作を選びとる。上若は俺よりも迷った様子で、4作から絞れない状態だった。
これだけでももうすでに時刻は14時で、とうに昼食の時間を過ぎていた。
ひとまずその7作を借り出して、コンビニで弁当を買い、図書館からほど近い公園のベンチで食べながら話をする。こういうペンネームの人がいて、選ぼうか迷った。タイトルから想像してた話と違った。文章がクドすぎた。このタイトルはセンスの塊、など。
弁当をレジ袋に入れ、口を締める。しばらく公園で本を読んでから、寒くなってきたという上若の声を合図にまた図書館へ向かった。
もう2学期の終わりが近づいていた。9月に近所の図書館へ行ったのが嘘のような、濃密な2カ月間だった。
「芥川賞と直木賞のノミネート作、発表されたね」
図書館から帰る道すがら、上若が大ニュースのようにスマホの画面をこちらへ向ける。新人が多いから、名前を見たこともない人がほとんどだった。
「私たちで、どの小説が受賞するか予想しない? 冬休み期間使ってさ」
「いいね、それ。芥川賞は全部雑誌だから図書館でバックナンバーを読むとして、直木賞は俺と上若で2作ずつ買って、1作はカンパしようよ。その1作は上若が持ってていいから」
「ほんと? 嬉しいなぁ。ひとりだとそこまで大胆に買えないから、夢みたい」
上若は寒空の下なのに暖かそうな表情で、にへにへと笑い声を漏らす。
中学生にとって、単行本を購入するというのはかなりのハードルだ。上若は、図書館や図書室で手に入らないものだけ、どうしてものときだけ購入していると言っていた。単行本1冊と文庫本2〜3冊を天秤にかけて、単行本1冊を選ぶなんて相当なものがある。ましてや複数買いなど、夢のまた夢だった。
けれど今の時期はクリスマスプレゼントやお年玉などがあるから、分担してなら遠慮なく買うことができる。
──いつもなら手が届かないものに手が届く。そういった喜びで、笑顔なのだろう。
上若の笑顔から目を背けて、木枯らしに熱くなった耳を当てる。俺と受賞作予想ができるからとか、そういう喜びじゃないと、わかっているはずなのに。
冬休みはほとんどを上若と図書館で過ごし、発掘した本や芥川賞候補作を読むかたわら、自習室で一緒に冬休みの課題をした。俺はこういった課題を期日内に終わらせたことがなかったが、上若のペースに付き合っていたら12月も終わらないうちに課題が先に終わってしまった。
そんなことは初めての経験だった。早くに課題を終わらせたこともそうだし、誰かと一緒に課題をやるのも、冬休みが誰かとの約束で埋まっていくのも。
信じられないな。夢じゃないのか?
毎日そう疑いながら、でも上若おすすめの本が本棚を埋め尽くす光景を見て、現実だなと確認し就寝するのが日課になっていた折、上若の家に行くことが決まった。もちろん、ふたりきりで。12月29日、9時に図書館前に集合。
その話が出たのは忘れもしない、12月25日のことだった。年末年始で学校の図書室はおろか図書館も閉まっており、クリスマスプレゼントでもらったお金もほぼすべて本に費やしてしまったから喫茶店に行くこともできない。だからといってこんな寒空の下、公園で本を読むわけにもいかない。だからふたりで集まって本を読むには、どちらかの家に行くしかない。
上若の父親は難関私立高校の教師をしており、今は受験生を担任しているため冬休みも遅くまで家におらず、母親もホテル勤務で家にいないそう。対して俺の父親は地方公務員だから当然のように休んでいるし、母親も週に2回パートをしているのみだ。その日は両親とも家にいるから、俺の家に呼ぶわけにはいかない。
だから上若が気を利かせて、自分の家はどうかと提案しただけ。
別に付き合ったとか、付き合う以上のことをするとか、そういうことではない。温かいお茶を飲んでゆっくりくつろぎながら、気ままに感想を言い合ったりして読書したいだけ。
わかっているのに、約束した翌日に新しい服を両親に頼むくらいには、その次を期待していた。クリスマスに何もなかった時点で、諦めるべきなのに。
念のため風呂に入っておき、ユニクロで買った可もなく不可もない服を身につける。上若の部屋に俺の体臭をつけるわけにはいかない、というだけで、別にやましいことを考えているわけではない。
上若と分担して買った直木賞候補作を布袋に入れ、リュックに入れる。予定時間通りに家を出る。
待ち合わせ時間10分前に俺が着いたときにはもう、上若は到着していた。
「寒いのに待たせてごめん!」
遠くから上若の姿が見えたので慌てて駆け寄る。
「全然待ってないから大丈夫だよ」
はにかむ上若に、情けなさを感じる。ごめん、ともう一度頭を下げた。
待ってないよ、なんて俺が言うべきセリフだったはずなのに。
「早く凛くんに会いたかったから、早く来すぎちゃったんだ」
聞こえてきた言葉に、下げていた頭を上げる。
上若はいたずらっぽく微笑んでから、自嘲するように「時間通りに来ても同じようなものなのにね」と続けた。
「俺も」
無意識に声が出た。
上若の瞳に俺が写る。今この瞬間だけでいいから、上若が俺のことだけを見ていてくれますようにと願う。
「俺も、早く会いたかった」
上若の頬が赤く染まって、願いが成就したことを察した。
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