チェッカー見聞録

@satomi_jo

プロローグ

これから私が記す話は、近い未来、もしくは遠い過去の話である。これを読んだ君が、全く聞き覚えの無い話だというならば、これは未来の話だし、聞いたような気がするのならば、過去の話だということになる。とにかくその点は、読者である君に委ねることにする。


 こんなふざけた前置きをしなければならないのにも、このふざけた時代に責任がある。この理解に苦しむであろう読み物を少しでも読みやすくするために、まずはこの時代の説明について軽く触れさせていただこう。

 世の中は、私が生まれたころには、総メタバース化されてしまっていた。たいていの人はメタバースに移行し、物理的な身体を捨て、意識だけの存在となった。身体があると、病気になったり、痛みを感じたり、移動に時間を要したり、この時代にはとにかく不便極まりないのである。

 先ほど、「たいていの人」という表現をしたので、察しのいい人はすでに気付いていると思うが、この総メタバース化にも例外というものがある。身体を捨てるか否かは、個人の選択に委ねられるのである。よって、私のような異端者は今もなお、箪笥の角に小指をぶつけ、「くそがああ」とベッドに倒れ悶えるといった、現代では全くもって意味のない時間を消費している。

 さらに、メタバース化すると、人は時間と空間を自由に往来できるらしい。その時代に変化を与えることはできず、物を持ち帰るといったこともできないが、その時代を経験することはできるという。私は当然メタバース化していないので、詳しくはわからないが、未来から来た人、もしくは過去から来た人がこの見聞録を目にする可能性も十分にあるわけで、このようなややこしい表現に至ったわけである。このような情報は、テレビや図書館の文献から得ている。

 とにかくこんな時代に身体を持っている人間は、変態か変態もどきしかいないのだが、そういう人々が生活するために「スーパーマーケットカブラギ」は存在する。赤いエプロンに白い線で描かれたトマトのロゴは、シンプルながらも味のあるデザインだ。スーパー創業者の孫が幼少期に描いた落書きから着想を得たのだと社史に記されていた。

 現在、この日本で唯一、生身の人間が働き、生身の客が訪れる、実体を伴う店舗である。ほんの少し前までは、まだ日本にも数件のスーパーが点在していたのだが、店長はみな寿命を迎えるとメタバースに移行してしまうため、引き継ぎのないまま幽霊店舗となってしまったのだ。「スーパーカブラギ」は全国チェーンのスーパーで、本店は東京にあったのだが、この日本最後の店舗は福岡支店である。

 なぜ福岡なのか?歴史を振り返れば明らかである。外国の文化を日本に伝えた渡来人が訪れたのはどこか?日本を攻めるために元寇が最初に狙ったのはどこか?そう、言わずもがなである。すなわち、日本の核は福岡にあり、福岡が最後の砦となるのは当然のことである。東京?あんなのはハリボテにすぎない。我々福岡人は、この土地がいかに重要かを知りながら、かの都市のぞんざいな振舞いを「またやってるね(笑)」と広い心で黙認していただけに過ぎない。それを象徴する数字もある。現在、東京の総人口は福岡の総人口の50分の1にも満たないという事実だ。

 そんな日本の核である福岡市の現市長である「たかし まそ ういちろ氏」は、この日本最後の「スーパーマーケットカブラギ」を未来の世代に守りぬくことを公約とした。そういえば、名前についても近代から変化があったので、説明を加えておく。今から遡ること百年ほど前、名前の多様化が声高に叫ばれ、姓名の区切り場所については、本人の意思に基づいて変更できるという法律が制定された。区切りの数は二つまでで、名前の最後が「う」の場合は省略可であったりする。というかそもそも姓をなくすことすら可能である。メタバース化がかなり進んで、総人口が減少し、増加の見込みもないため、このようなやけくそな法が生まれるのである。

 話を戻そう。見聞録の書き手である私は、日本最後のスーパーで店員として働いている。客が選んだ商品を、レジスターという金銭登録機にスキャンして、客から対価となる金銭を受け取ることが主な業務内容である。このような仕事をする人間を、職場では「チェッカー」と呼んでいる。この見聞録は、私が見た一部の世界であり、全てである。身になるようなたいした話ではないので、安物のインスタントコーヒーなんかと一緒に読んでいただくと丁度いいと思う。

 最近職場のスーパーでは、短い文章が添えられている日めくりカレンダーが飾られるようになったのだが、ある日の文章は「改革に抵抗はつきもの」だった。もしかすると、このスーパーでも「本能寺の変」もどきの歴史の転換点が来るのかもしれない。下剋上を放つのは副店長か、それとも思わぬ伏兵が隠れているのか。私は少し身震いをしながら、このカレンダーが血塗られていく様を、今か今かと待ち続けている。とくにこれといった変化はないのだが、副店長が大量のミネラルウォーターをやけに購入しているのを見かけるので、作戦は水攻めである可能性が高い。

 さて、コーヒーの準備はできただろうか。一つ忠告をさせていただくと、君が手にしているこの文献は、将来的にかなりの価値が生まれる可能性がある物なのだから、扱いには十分気を付けるように。横に置いているコーヒーを間違ってこぼすなんてことはあってはいけない。絶対にコーヒーのこぼれない場所を探すように。

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