第278話 眠る少女
美咲は「片付けが終わるまでリビングでゆっくりして、それが済んだら帰る」と言っていた。ならば、できるだけ早く終わらせてやろう。
俺は袖をまくり、流しに積まれた食器を手に取る。湯に浸した皿をスポンジでこすりながら、今日一日の出来事を振り返った。保健室での騒動、教室の微妙な空気、そして美咲の態度——どれも普段とは違うものばかりだった。
「……ま、たまにはこういうのも悪くないか」
独り言のように呟きながら、手を止めずに食器を洗い続ける。湯気が立ち上り、指先がじんわりと温まるのが心地よい。
ふと、リビングの方をちらりと見る。美咲はソファに座り、スマホをいじっているようだった。特に会話をするわけでもなく、それぞれが自分の時間を過ごしている。だが、それが妙に自然で、心地よい静けさを生んでいた。
やがて最後の食器をすすぎ、水を切る。すべてを片付け終え、手を拭いてリビングへ戻ると——
「……おい」
美咲は、ソファで静かに眠っていた。
背もたれに寄りかかり、少し猫のように丸くなった姿勢で、小さく寝息を立てている。普段の冷静な彼女とはまるで別人のような、無防備な寝顔だった。
「ったく……本当に寝るかよ」
少し呆れながらも、美咲がここまで疲れていたことに気づくと、それ以上何も言えなくなる。学校でも無理をしていたのか、それとも今日の料理に全力を注ぎすぎたのか。たぶん、その両方だろう。
改めて見れば、彼女の表情はどこか安心しきっているようにも見えた。警戒心の強い美咲が、こうして俺の前で眠るということは、それだけ気を許しているということなのかもしれない。
「……仕方ねぇな」
俺はそっと部屋の隅に置いてあったブランケットを手に取り、美咲の肩にかける。寒くはないはずだが、冷房の風が直接当たる場所だから、風邪をひかれても困る。
「ん……」
小さく寝返りを打ち、ブランケットにくるまる美咲。その仕草は、まるで幼い子供のようだった。
しばらくその様子を眺めながら、俺はゆっくりとソファの反対側に腰を下ろす。
「まぁ、少しの間くらい……いいか」
どうせこのまま放っておいても、すぐには起きそうにない。ならば、俺も少しだけこの静かな時間に身を委ねよう。
片付いたキッチン。穏やかに流れる夜の空気。今日の喧騒が遠ざかり、静けさが心を包み込んでいく。
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