悪魔公女 ソフィア

月咲 幻詠

血の伯爵夫人

運命の出会い

 夜の闇を、狼の鳴き声と共に貴族の馬車が駆けて行く。四頭引きの煌びやかな意匠が入った馬車は、血塗られたような月明りに照らされて不気味な光を反射していた。


「もうじき村へ着きますよ」


 恰幅の良い中年の御者が馬車に乗った貴族服の女に言った。彼女は聞こえているのかいないのか、御者には目もくれず頬杖をつきながら窓の外を眺めている。


 女の視線の先、この馬車の目的地である「チェイテ村」は東ヨーロッパ、スロヴァキア共和国のトレンチーン郡に属する村で、大昔に存在したとされる吸血鬼バートリー・エルジェーベトの居城「チェイテ城」を観光地として商売をしている穏やかな村である。


 無論、この女の目的は観光ではない。


「しかし、チェイテ村なんて最近嫌な噂しか聞きませんよ。お嬢さん一体何しに行くんです」


 返事はない。陰になって顔は見えないが、なんとも無愛想な女である。


 彼女は手に持った書簡に視線を移して、軽く溜息を吐いた。手紙には随分と質のいい紙が使われていて、中には教会からの依頼書が入っている。チェイテ村の集団誘拐事件の調査及び解決が彼女に課せられた仕事だった。


 彼女は普段偽名を使って学者をしながらバンパイアハンターをしていて、本来ならば誘拐事件の調査・解決など彼女の仕事ではない。それが、何故ここにいるのかと言うと、依頼書にあった一つの文言が原因であった。


「村に残された者の首に、まるで鋭い牙で噛まれたような二つ穴の傷がある」


 これがあって、女は今回の事件に吸血鬼が関わっていると疑い、こんな所までわざわざ参上した訳である。



 全ては、怪異調査依頼と銘打って当時の教皇ベネディクトゥス15世に呼び出されたことから始まった。彼女は客間へと通され、数名の護衛に囲まれた彼に事情の説明をされた。


「これはこれは、ようこそお越しくださいました、ソフィア殿。伝説と呼ばれるヴァンピーラの貴女にお会い出来て光栄です」


 ヴァンピーラとは吸血鬼と人間の間に生まれた女性のことである。


「……話は聞いている」

「ええ、スロバキアにあるチェイテ村で村娘が謎の集団失踪をしたと。あそこは嘗て貴族のいた場所でありますから、教会もマークはしていたのですが」


 ここで言う貴族とは、強大な力を持つ吸血鬼のことだ。大抵の吸血鬼は大きな力を持つ代わりに、太陽や信仰心など様々な弱点を持つが、貴族はその弱点を持たない。そればかりか、吸血鬼としての能力も卓越している。


「バートリ・エルジェーべトだな」

「その通りです。既に祓魔師を五度派遣しましたが……」


 教皇は俯いて首を横に振る。バートリ・エルジェーベトとは、その昔チェイテ城を根城としていた貴族で、多くの若い娘を甚振り、その血で湯浴みをしたとされる凶悪な吸血鬼である。


「報酬は五十ポンド(現代の日本円換算で約二百万円)。支度金として、十ポンド差し上げましょう。引き受けて下さいますか?」


 ソフィアと呼ばれた女は教皇とその付き人達を一瞥し、小さく溜息を吐くと、「良いだろう」とだけ呟いて、机に置かれた支度金を受け取った。


「既にもう一人、バンパイアハンターの方が現地へ向かっています。名はクインシー・ハーカー。ソフィア殿はその方と合流し、協力して調査をお願い致します」


 彼女は「承知した」と短く返事をして、徐ろに席を立つと、挨拶もせずに部屋を去っていった。


 彼女の背中を見送って、教皇の付き人は心底不安そうに口を開く。


「良かったのですか? 教皇様。吸血鬼の血の混じったヴァンピーラを、信用できるのでしょうか」


 吸血鬼は、人の血を食糧とする怪物として恐れられ、嫌悪されてきた。そこで、吸血鬼の血を引く混血の嫌われ具合も一通りではない。片方の親が吸血鬼というだけで、本人が何をするでなくとも周りの者から石を投げられ、やがて殺されるという話もあるということらしい。


 教皇は目を閉じて、複雑そうな表情を浮かべながら言う。


「世界規模での戦争が二年も続いている今、贅沢なことは言っていられないでしょう。それに、五度も祓魔師の方を派遣して皆帰って来なかったのだ。彼女に頼るほかないでしょう」


 そして少し俯いて、やがて切り替えるように立ち上がった。


「中世の時代、吸血鬼として覚醒したドラキュラを退けた彼女に」



 ソフィアが丁度馬車で村へ向かっていた頃、一人の男がチェイテ村に到着した。


 男は燕尾服にシルクハットを被って、白手袋を着けた手には十字架を象った握り手のあるステッキが握られている。爽やかでスマートなイメージを受けるが骨格は意外にもしっかりとしていて、亜麻色のショートヘアに透き通るような空色の目が印象的な青年である。


 男はこの村の失踪事件を調査しにきたハンターで、依頼書によれば村に到着次第迎えの者が来る手筈だった。ところが、いくら待てどもそれらしき人影が現れることはない。それどころか、人の気配すら感じられなかった。伸び切った雑草が、薄ら寒い風に吹かれて乾いた音を立てるのを聞きながら、十五分程度待ちぼうけをくって、男はようやく事態を訝しんだ。


「おかしいな……」


 男は上着の内ポケットからQuincy Harkerと名入れされた懐中時計を取り出して、顔を顰める。時刻はもうすぐ二十四時となる頃だった。約束では事件解決まで教会に泊めてもらえることになっていて、迎えに来るこの村の住人にそこまで案内してもらうはずだったのだが、来ないものは仕方がない。彼は教会を探して村を彷徨うことにした。



 村に入ってすぐ、クインシーは異変に気づいた。木製の家は焼け落ちて炭と化し、石造りの井戸はことごとく砕けていて、あちこち食われた跡のある腐った人の亡骸がそこかしこに転がっている。彼はその腐乱した臭気に思わず鼻を覆った。見ると、飛び散った血痕が既に固まり、掠れつつある。


「かなり時間が経ってるみたいだ……」


 聞いた話では、誘拐事件の折、気が狂って廃人となった者もいたらしい。長く続く緊張状態から村人同士でこうなってしまったのか、あるいは……。


「一体何が……」


 クインシーが考え込んでいると、不意に狼の遠吠えが聞こえて、背後に嫌なものを感じ振り返る。するとそこには、人が十数人、威嚇するように喉を鳴らして彼を取り囲んでいた。ただ、この人間はただの人間ではない。奴らは両目をギョロギョロと飛び出させて、剥き出しの歯の隙間からは涎を垂らし、一糸まとわぬ姿で狼の真似事をしている。


——狼憑きだ。


 彼はそう直感し、ステッキを構える。半身をずらし、左腕で体を守りつつ、もう一方の手に持ったステッキの先で相手を捉えるこの構えはバーティツと呼ばれるマーシャルアーツの構えである。


 クインシーと狼人間達はジリジリと距離を測りながら睨み合いを続けている。獣のような息遣いを聞きながら十数秒。額にじわりと汗が浮かび、緊張が最高潮に達した時、リーダーと思しき一匹の遠吠えで狼人間達は一斉に襲いかかってきた。

 四方八方から仕掛けてくる狼人間の攻撃を、華麗に交わしながら次々と手に持つステッキで反撃を加えてゆく。


 ここだけ見れば、クインシーが優勢に見えるだろう。現に、彼の卓越した戦闘技能によって狼人間の攻撃は一撃も当たっていなかった。しかし、戦いにおいて数は強大な力を持つ。このままこの戦闘が続けばジリ貧であることは火を見るよりも明らかだった。


 それをわかっているクインシーにも、焦りが募る。そしてたった一瞬の隙を突かれ、彼は死角から飛び出してきた狼人間の体当たりを受け吹き飛ばされてしまった。倒れ込み、急いで起き上がろうとする彼の視界は無数の狼人間に覆われていて、しかもそのどれもが彼の命を狙っていて、このままでは回避はおろか生き残ることさえ絶望的だった。もはやこれまでか。クインシーは諦めたように目を閉じようとする。


 だが、その時奇跡は起こった。


 突然、クインシーの命を狙う狼人間達はピタリと動きを止めて、後ろを振り返ったのだ。まるで、本能的に何かを恐れるように。


 狼人間達の視線の先には、女が一人。貴族服に漆黒の外套を羽織った女である。影になってよく見えないが、女は一振りの妖しい光を宿らせた片刃剣を携えて、そこに立っている。そこにいるだけで伝わる圧倒的威圧感。それが、狼人間の判断力を鈍らせた。


 恐怖に負けて、一斉に女へと襲いかかってゆく狼人間達。生命の危機を感じているのか、先程よりも確実に鋭さを増した奴らの攻撃。


 しかし、彼女にはその一切が届かない。最小限の動きだけで、回避し、反撃の一太刀を入れている。彼女の剣は、まるで魂だけを刈り取るように狼人間を傷一つ付けずに始末してゆく。彼女の剣技に派手さは無く、ただ効率的に、無慈悲に敵の命を奪うことに特化していた。そして何より、クインシーは彼女が敵を斬る時、剣がまるで喜ぶように一際妖しく光るのを見逃さなかった。


——一体この人は何者なのだろう。


 クインシーは突然現れた女を知りたがった。そして彼女が最後の一匹を始末し、大きな紅い月を背にこちらへ振り返る姿を見て、その羞花閉月の美しさに彼は魅入られた。


 緩くウェーブのかかった艶やかな紫黒色しこくしょくの髪に、全てを見通すような金色の鋭い双眸。鼻筋はすっと通っていて、しっとりとした唇は真一文字に結ばれている。年齢は二十歳前だろうか。彼女の肌は透き通るように白く、体つきも、身に纏ったジュストコールと外套の上からでもわかるほど女性的で、もはや官能的でさえあるが、その立ち姿は寧ろ氷の女王を彷彿とさせる。


 クインシーは彼女の放つ悪魔的な神々しさに引き込まれるような思いで、つい名を問うた。女は暫しの沈黙の後、呟くような落ち着いた声で、「ソフィア」とだけ答える。クインシーは血塗られたように紅い月明かりの下で佇む彼女の姿に暫し見惚れて、すぐに立ち上がると、服についた土を払って、右手の手袋を取った。


「そうか、君が。ありがとう、助かったよ。僕はクインシー・ハーカー。よろしく」

「……よろしく頼む」


 そう言って軽く握手を交わす二人はこの邂逅が運命の出会いであることをまだ知る由もなかった。

 

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