オレンジモンスターによろしく
jima-san
第1話 美里さんから
澤村くんは酒屋の次男で元高校球児、自称『将来を超絶期待された選手』だったけど甲子園には出られなかった。「何でなんだ」と彼は嘆いたが私は知っている。
予選で負けたからだ(笑)。
でも『将来を嘱望されていたので(本人談)』大学からスカウトが来て、そこで頑張ろうと思ったけど、2年生で肩を壊して『世間をあっと言わせる前に(本人談)』野球が出来なくなったみたい。
だから高校野球で挫折して、大学でも駄目になって、将来プロ野球選手になろうという計画は私や世間をあっと言わせる前にあっけなく頓挫した。
中学時代、放課後の教室でペラペラと話し始めた彼の人生設計はさらにオールスターに出て、三冠王を取って、引退後は在京球団の監督となって胴上げされ、ビールかけで自分の店のビールを果てしなく注文し、さらに嫁さんは…などと脳内にお花畑が満開だった。
私は馬鹿馬鹿しくなって、すべてを聞く前に当番日誌を担任に提出するという理由で逃走したので、その馬鹿妄想のエンディングまでは聞いていない。
そう、当番日誌とか言っているとおり、残念ながら私は澤村くんが中学生の時からの同級生だけど、彼が特別目立つ選手だった記憶はない。まあ、本人がそう言ってるんだから、別にそれで構わない。誰にも迷惑かからないし…と思ってたのは昨日までのこと。
澤村の奴、コーチ引き受けたってよ(驚)。
何で引き受けるの、澤村くん。あなたに小学生女子の指導ができるわけないじゃない。
澤村くんは大学で野球をやめた後、今度は地元の高校で野球部の顧問となるべく就活に励んだ。そこいら辺のいきさつは詳しく知らないけど、『俺の価値がわからない、俺の野球理論も理解しない』学校関係者が悪いと彼はまた嘆いた。つまりキッパリハッキリ断られたのだ。何か同情できない。
大好きな野球関係でことごとく挫折を繰り返し、澤村くんは元々曲がっていた根性がさらにひん曲がってしまった。昔なじみの私としては手を差し伸べてあげたいところだけれど、実際に会ってみるとイライラするので2回に1回はみぞおちにパンチを入れてから大声で罵ることになって、それはどうにも精神衛生上よろしくない。
ちなみに残りの2回に1回はお尻に蹴りを入れてから大声で罵っている。
これだけ挫折したということは、たぶん澤村くんは野球の神様に嫌われているのに違いない。だからスッパリあきらめて家業の酒屋に精を出せばいいのに、根性がひん曲がっているので店で働くのは週に1回か2回くらいで、たいがい草野球チームの仲間と遊んでいるか、私んちの店の大型テレビでMLBを観戦している。
ちなみに私の家は小さな電気屋で澤村くんがそこにある大型テレビを見ているというのは、つまりただの営業妨害だ。
今日も午前中からウダウダと草野球仲間『2番ショート
「おい、澤村。お前『オレモン』のコーチ引き受けたってホントか」
今田くんが意外そうな声を出した。『オレモン』は『オレンジモンスターズ』の略称、商店街の人々はそう呼んで、子供達の人気はポケモンと二分されている…はずがなくオレモンは今人気凋落の一途を辿っている。自分の弟と妹に聞いた話だから間違いない。
私の3人の弟は中2の
ひとりだけまともなのは次男慎平の双子の妹、
…そうだった、オレモンの人気がないって話だった。
「
聞き捨てならないことを澤村くんが言うので、私も口を挟んだ。
「いつうちの父さんがあんたにコーチを頼んだってのよ。いい加減な」
「嘘じゃないぜ。商工会長の山田さんがお前んちの親父さんに相談したら、澤村なら必ずチームを立て直してくれるに違いないという正論をだな」
…うちの父親とは澤村くんの能力判定について、澤村くん本人とは正論という言葉の意味をすりあわせる必要がある。
とはいえ澤村くんは常に95%くらい盛った話をして私をイライラさせるけれど、これに関してはありそうなことだ。父さんはこんな根性のひん曲がった澤村くんがどうしてかとても気に入っている。弟たちといい、父親といい、男は自分よりバカな男が好きなのかもしれない。
今田くんは面白そうに澤村くんと私をかわりばんこに眺める。なぜ私を見る。
「でもよ。お前、小学生女子ソフトのコーチなんてできるのか」
私もそう思う。澤村くんには無理だと思う。何しろデリカシーというものが生まれつき1ミリもない人間なのだ。女子小学生が彼にいじめられて涙ぐむ姿がすでに見えるようだ。
なのに澤村くんは自信満々に乱暴なことを言う。
「あんなもんは野球の親戚というか、ミニチュア野球みたいなもんだろ。俺はエポック社の野球盤も得意だったんだ」
全国のソフトボール女子から抗議の声が聞こえる。
今田くんも呆れた声を出す。
「その分じゃルールも理解してないだろう。美里ちゃん、これは旦那がまた大失敗するぞ」
「誰が旦那よ!馬鹿言ってんじゃないわ」「俺が旦那?ウヘヘ、気が早いな」
私と澤村くんの声が重なる。澤村くんがニヤニヤしてるのがキモい。
私は二人を睨み、とりあえず店から強制退場させることとした。
三日後にうちの電気屋に現れた澤村くんは特別にブサイクな顔を青ざめさせて私に訴えた。
「ヤバいんだ、美里~。どうしたらいいんだ」
昨日のコーチ就任初日、彼はとりあえず普段の練習を観察することにした。そしていくつかの点に気づいたという。
ひとつめに野球とソフトが違うスポーツであるという点、ふたつめに現段階でのチーム状況が最悪であるという点だ。私はもうひとつ新コーチも最悪であるということを付け加えたいけれど、澤村くんにしては現状認識が早かったので褒めてあげてもいいと思った。
「でしょう。簡単に物事を引き受けるもんじゃないといういい教訓になったじゃない。今からでも遅くないからとっとと断ってきなさいね」
私の至極まっとうな意見に澤村くんは首を縦に振らないのだった。
「いいや。そうしたいのはやまやまだが、俺にも意地がある。美里の親父さんにも約束したんだ。チームを建て直すのとそれからムニャムニャ…美里!一緒にやってくれ!」
「…?何言ってんのかよくわかんないけど、あんたに意地があったら今頃酒屋でまっとうに働いてるはずでしょうが。大体何で私に頼むのよ。ショートの今田くんに言いなさいよ」
「あいつは忙しいんだよ」
「私がヒマみたいな言い方をするんじゃないわよ」
「えっ?違うのか」
「このボケナス」
「…いいじゃないか、俺と初めての共同作業を」
「とっとと帰れ」
私は例によってみぞおちにパンチを入れて、本日も店から澤村くんを強制退場させた。
それなのに一週間後の午後、何故か私はオレモンの練習会場である河川敷に出向き、澤村くんとショート今田くんの間に挟まれてジャージ姿で並んでいた。
極めて不本意だ。
澤村くんのことはどうでもいいけれど、妹に泣きつかれたのだ。可愛い楓子に泣きつかれたのでは断れない。
楓子は同級生の親友であり、オレモンのメンバーでもある真理子ちゃんから相談を受けた。
「次のリーグ戦で結果が出ないと、商店街の補助金が打ち切られるって。そうしたらチームは解散するしかないかも」
オレンジモンスターズは個人のグローブとユニフォーム以外は商店街からの補助金で運営されている。グランドの使用料、大会の参加料、バットやヘルメットなど様々な共同の用具…
その昔、オレモンが強くて全国大会にまで進出し、商店街の名前やロゴをユニフォームにいれることが宣伝になっていた時代はどこからも文句が出なかった。
しかし今や地区11チームの最下位が指定席、選手数もギリギリに近いチームは存続の危機なのだ。
楓子の大きな瞳で「真理子ちゃんの力になってあげて」と正面から見つめられたら、私はもう頷くしかなかった。繰り返すが澤村くんの思惑通りになるのは甚だ遺憾だ。
新コーチ3人組のうち、何らかの餌につられたと考えられる今田くんが楽しそうなのとは対照的に私の顔色は冴えない。
さて、一週間前に私が澤村くんを店から追い出してからここに間抜け面で並ぶまで、彼自身は何をしていたのかというと本人曰く「ものすごくソフトボールの研究をしていた」とのこと。
澤村くんはソフトボールの専門雑誌のバックナンバーを図書館で読みあさり、実業団ソフトボール強豪チームの練習を見学に行き、さらに昨年度の地区リーグと全国大会のビデオをありったけ見たらしい。
このくらいの熱意で酒屋の仕事を手伝えば今頃店の経営はもっと順調だったに違いない。
「今日はみんなに聞いてほしいことがあるんだ」
澤村くんが胡散臭い笑顔を浮かべて全員の前で切り出した。11人の選手のうち5年生が5人、4年生が4人、3年生は2人きりで来年度はチーム編成そのものも危うい。
11人に腰をおろさせて、後ろにいる保護者数人も聞き耳を立てている。たぶん澤村くんはたいしたこと言わないので、注目するのは勘弁してあげてほしいものだ。
「今季の成績はとても重要だけど、スポーツで一番大切なのはそれじゃない」
その昔『契約金は一億円ガッポリだ。ウヘヘヘ』などと皮算用していた澤村くんの言葉とは思えない。
「みんなが人として成長するためにこのチームはあるんだ。わかるよね」
私は前腕にポツポツが出てくるのを我慢する。澤村くんが人間的成長という言葉を出した時点で次は必ず碌でもないことを言い出すはずだ。
「みんながチームのことを思ってくれるなら、全員のその成長のため、僕は思いきってチームの改革をしたいと思ってます」
子供達がザワザワし、どう反応したらいいものかためらっている。私も嘘くさい笑みを浮かべた彼が何をしたいのか不安だ。
「オールフォアチーム!ノーチーム・ノーライフ!」「オー!イエーッス!」
澤村くんが大声で叫び、今田くんがそれに応える。そこにいる全員がビクッと身体を揺らした。
「これから3ヶ月、黙って俺の言うことを聞いてくれ。それで手応えが感じられないとみんながそう思ったら、俺はこのチームから去る」
就任のあいさつから数日して早くもリタイアのリミット宣言だ。私は「チームを去る」という発言のところだけ拍手したが、今村くんはフォローをする。
「澤村監督は数々のチームを立て直し、勝たせてきた優勝請負人です。みんな信じてくださーい」
はい、大嘘がでました。
選手達は複雑な表情で私たちの茶番を見ている。仕方なく私も口を開く。
「大丈夫。駄目だったら、この人3ヶ月でやめるって言ってるから。駄目でも傷は浅いわ。信じたくない気持ちもわかるけど、その場合は責任もって私がやめさせるので、みんな頑張って」
選手達が何となく頷く。オレモン新体制の微妙なスタートだった。
さて、澤村くんが最初にやったのは体力測定だった。選手11人の50メートル走、走り幅跳び、ボール投げを記録する。
「これを元にポジションをもう一度決め直すぞ」
乱暴な澤村くんの宣言だが、選手の反発は思ったほど大きくなかった。まずあんまり自分のポジションとか愛着もないらしい。それはそれで大変問題があると思うが。
「キャッチャーがいない」
その夜、これまた不本意ながら作戦本部となった私んちの店内接客用ソファーで澤村くんが零した。
「真理子ちゃんがいるじゃないか」
今田くんがいう真理子ちゃんはこのチームの攻守の要、数少ない戦力といっていい。体力測定でもそれぞれバランスのいい能力を発揮していて、唯一他チームへ行ってもレギュラー争いに加われそうな5年生だ。
「真理子ちゃんはピッチャーにする」
澤村くんによれば「ピッチャーは作れるが、キャッチャーは見つけるしかない」のだそうだ。一番運動神経のいい真理子ちゃんをピッチャーにするのは時間はかかるけれど難しくはない。けれどキャッチャーは性格面や視野の広さ、声の出し方、試合の流れを読むセンスなど元々といっていい適性が重要になる。作るというより適性のある子を発掘することだと、澤村くんのくせに偉そうに言った。
「で、美里。俺に楓子ちゃんをくれ。楓子ちゃんがほしい」
澤村くんが若干血走った眼で私を見つめた。
私の可愛い妹をこんなクズに差し出せるわけはない。
「絶対やだ。何であんたみたいなロクデナシに楓子を嫁がせなくちゃいけないのよ。しかもまだ小学生よ、この変態」
私は眼を三角にした。今田くんがゲラゲラ笑う。
さて…結局楓子も翌日の練習から参加することになってしまった。
楓子もまた真理子ちゃんに頼まれて私をチームに参加させたいきさつ上、断り切れなかったのだ。返す返すも不本意な展開だ。
「いやだったら、途中でやめてもいいからね」
私は楓子に念を押したが、楓子はやる気満々だ。
「お姉ちゃんに頼られて超うれしい。任せといて」
まあ、何て可愛い私の妹。
澤村くんも楓子に声をかけてウィンクする。
「プーちゃん、頼むぜ。頼りにしてるよ」
ああ、何て可愛くない。
プーちゃんというのは昔からうちに出入りしている澤村くんが楓子を呼ぶ独特の呼び方だ。案の上楓子がプイッと顔を背けた。
「澤村のお兄ちゃんのためにきたわけじゃありません。気安くしないで」
きつい顔で向こうを向いてる楓子の顔が赤いのに私はまだ気づいていなかった。
驚くべきことに楓子がキャッチャーとして、あっという間にそこそこのレベルに達したのは参加して一日目の練習終わりだった。もちろん女子小学生チームとしてはだけど。
何しろ肩が強い。キャッチングも上手い。水球の全国レベルは伊達じゃない。
楓子は成績も最優秀だ。ルールはあっという間に飲み込むだろうし、サインプレーなど戦略的なこともすぐに出来るようになるはずだ。監督との仲が最悪なことを除けば超強力な補強となった。
澤村くんはというと内野手がゴロをきちんとアウトにする練習をずっとやっている。手を替え品を替え、いろんなメニューで内野ゴロをさばく守備練習、基本をやっては実践、実践をやっては基本…。
今田くんは外野手を団地に連れて行って、外野フライを捕る秘密練習を始めた。これも澤村バカ監督の発案だそうだが、団地の3階から真っ直ぐ落としたボールを真下で捕らせている。簡単にできるようになると、4階へ、さらに5階と高いところから落とすことになる。
「真下へ入れ!」
最初は真下に落としていた今田くんが少し角度をつけたり左右へ走らせたりすると、選手達がなかなか追いつけないでウロウロしながら大騒ぎで喜んでいる。
私はピッチング練習のお手伝いだ。ピッチャー候補の真理子ちゃんではなく、現在センターの好花ちゃんのピッチング練習でキャッチャー役をやっている。ふわりと投げる好花ちゃんのボールは何とか私でもキャッチできた。
そしてコーチ役にはソフト部の女子高生がいる。誰かと思ったら私や澤村くん、今田くん…つまり私たちの出身高校であり、澤村くんが就活を失敗した職場の学校から彼が助っ人を要請したらしい。図々しいって生きやすくていいなあと心から思う。
恒例の反省会で私はいろいろ疑問を澤村くんにぶつける。
「まず何で好花ちゃんがピッチャーの練習してるの?」
「真理子ちゃんのピッチャーは3ヶ月後からだ。真理子ちゃんは抜群のセンスだけど本格的なウィンドミルは来週の試合には間に合わない」
そう、早くも来週末にはリーグ戦の第1試合と第2試合が始まる。特に第1試合は昨年優勝のウィングスだ。
「好花ちゃんには今時珍しいスリングショットとエイトフィギュアで投げてもらう。これだけでも結構ごまかせるはずだ」
ウィンドミルは現在ソフトボール競技の主流の投げ方だ。オリンピックとかで代表選手がやってるあれだ。スリングショットというのは要するにボウリングのように下から投げるシンプルな投法で、いろいろルールはあるけれど、確かに習得はしやすい。けれど一般的にはウィンドミルのような速球は投げられない。エイトフィギュア投法は説明が難しいので省略、腕を八の字に回して投げる変な投げ方だ。
澤村くんは自信満々だが、もちろん私も今田くんも不安だ。
「好花ちゃんは確かに器用だけど、あのフワリと投げる球で抑えられるのかね」
今田くんの疑問にも澤村くんはスルスル答える。
「好花ちゃんはすごく上手いんだぞ。鋭さはないけど、コントロールは絶対イケる。フンワリ低めに、そして内角に集めさせる」
「そうするとどうなるの?」
「右バッターだったら多分、左方向…ショートへの内野ゴロが多くなるね。特に女子の場合」
今田くんが合点がいったという顔で頷いた。
「そこで現在センターの真理子ちゃんにはセカンドベース付近で守ってもらう」
「…?」
「ショートの横にもう一人内野を置くような感じだな。左バッターだったらその逆だ」
澤村くんが何を言っているのか、私は全然わからない。
「なあ…澤村カントク」
「なんだい今田コーチ」
「ってことは外野は2枚だけだな」
「まあそうなるな」
「センターフライを打たれたら、どうすんだ」
「あきらめよう」
「ええ?!」
私と今田くんが同時に声を出す。
「昨年度のリーグ戦を分析した。深めのセンターフライがあがる確率は地域レベルの女子小学生では極めて小さい。センターオーバーの大飛球は全リーグ戦を通じて7本だけだった。それもすべて上位2チームから出ている」
「ふーむ」
「ちなみに我がオレンジモンスターズが打ったヒットのすべてはゴロがたまたま内野を抜けていくコースヒットだ。つまり下位のチームのヒットはその傾向が特に強い。それなら外野を減らして、偶然大きな当たりが出たら諦める方が効率がいい」
…弁舌だけは達者な詐欺師を前にしているような気がする。
早くもリーグ戦が始まる土曜日となってしまった。私は楓子と早い朝食を食べながら、本日の展望を話し合う。
「どうなの?雰囲気は?」
「全然わかんない。ソフトの試合、初めてだもん」
「そりゃそうか」
それにしても楓子は落ち着いている。さすがに種目は違っても全国大会経験者だ。
「ねえ、それより、お姉ちゃん。守備練習ばっかり、しかも内野ゴロの練習ばっかりやってたけど、攻撃は大丈夫なのかな?」
何それ。そういえばそうだ。この2週間、子供達がバットを持っているのを見ていない。
「…だめだ、こりゃ」
私と楓子は口を揃えた。
記念すべき新生オレンジモンスターズのリーグ戦第1試合はホームで昨年度優勝チームウィングスとの対戦だ。
澤村くんが監督同士の挨拶とメンバー表の交換をする。相手の監督はベテランらしく落ち着いたヒゲおじさんで余裕タップリ、ニッコリ笑って澤村くんに握手を求める。
「お互いいい試合となるようお願いします」
「受けて立ちましょう。かかってきなさい」
澤村くんが握手を受けつつ、地区最下位の分をわきまえないセリフを口に出して煽ったが、ヒゲ監督は相手にしない。フフンと微笑んで手を握り返した。
「楽しみですな」
試合前の円陣で澤村くんがチームを見渡して、にこやかに言う。
「今シーズンの終わりにはあのヒゲを泣かせてやろうぜ」
「監督、前のコーチは敵のチームもリスペクトしろって」
真理子ちゃんがキャプテンらしくたしなめる。どっちが大人かわからない。
だがそのやり取りで選手から笑みがこぼれ、何となく全員にいつもの顔色が戻ったようだ。澤村くんの失礼さが役に立つところを初めて見たような気がする。
さてさて、いよいよプレーボール。先攻ウィングスの攻撃は見るからに運動能力の高そうな左バッターだった。
澤村くんが眼で合図を送り、センターの真理子ちゃんがセカンドの横に移動した。相手ベンチがザワついている。
「プレーボール!」
好花ちゃんの一球目はいきなりエイトフィギュア投法、何だか腕をグリングリン回して、フンワリ投げる。バッターも相手の監督も目が点になっている。
「ワハハハ、驚いたか」
澤村くんはご満悦だが、判定はボール、低めに外れた。
二球目もエイトフィギュア投法で今度はストライクが取れた。あまりのスローぶりに相手のバッターはタイミングが取りにくいようだ。そして、三球目はスリングショットで素早く投げる。スピードもタイミングも少しだけ速くなる。
バコン!と鈍い音がして、セカンドの左にゴロが転がる。真理子ちゃんの真正面だ。難なくさばいてワンアウト。
「オッケー!いいぞ!真理ちゃん!好花ちゃん!」
今田くんが声をかけると好花ちゃんがマウンドでニッコリと微笑んだ。よしよし。
2番バッターは俊敏そうで小柄な子、この子も左打席に立つ。好花ちゃんは一番と同じ配球で内野ゴロを打たせる。ファーストゴロ。
3番には2球目がライトフライ…その瞬間、保護者応援席から「あー」という悲鳴に近いどよめきが起こる。
そう、昨年度の外野フライはメチャクチャにエラーが多かったのだ。私も思わず手を合わせる。一回の表から早くも神頼みである。
私の心配をよそにライトの
「ムフフ、午後の団地妻作戦が功を奏したな」
今田くんが澤村くんとハイタッチした。何、その怪しげなコードネーム。
後ほど解説を求めると、例の団地の4階からボールを落として捕らせる練習のことだそうな。
ボールの真下に入って捕球するという基本を徹底するのが狙いで行われたあの奇妙な練習はその後、ヒマそうな団地の奥さん(失礼な)の協力を得て恐ろしいほど効率的に量をこなし、中々の成果を見せたようだ。
そういえば一昨日、件の団地を見に行ったとき、4階や5階から次々にボールが投げられ、子供達が必死に走り回って捕球するところを見たような気もする。どう考えても楽しそうなのは奥さん達とその横でうれしそうな今田くんで、私はその姿しか目に入らなかったのだけれど、下界では外野手達が必死に走り回っていたのだった。
「何と!オレンジモンスターズ、1回零封は1年ぶりの快挙です!」
今田くんの声がグランドに響いた。上々の滑り出しだ。
…でも結果的に試合は5対0で王者ウィングスが勝利した。オレンジモンスターズのヒットはたったの一本、真理子ちゃんの三遊間だけだ。相手に取られた5点はエラーがらみが3点、連打で1点、センター返しのヒットがホームランになったのが1点だった。
「計算通りだな」
今田くんが笑い、澤村くんもガッツポーズだ。
確かに昨夜の会議では5点以内に抑えることが目標だったから、それはともかく全然打てなかったのはいいのか。
「練習してないんだから、当たり前だろ」
腹が立つことに澤村くんが平然として言う。
「昨年の対戦では14対1で5回コールドだ。どう見たって大善戦じゃないか」
確かに。
「ついでに言うとあの辺のチームはピークを県大会に合わせてるはずだ。まだ本調子とはほど遠いだろうよ。おまけに半分はレギュラー外して1軍半ってとこだな。むふふ」
何がおかしいのかよくわからないけれど、澤村くんが笑う。
「でもごまかしは長く続かないけどね。次やるときは好花ちゃん、ボコボコに打たれるんじゃないかな」
好花ちゃんの球では次はもっと通用しないと澤村くんが彼女のすぐ近くで断言し、好花ちゃんから嫌な顔をされている。こういうとこだぞ、澤村。
2試合目、レッドボンバーズとの勝負だ。このチームは昨年7位、ただ本年度は他地区から引っ越してきた全国級のスラッガーが4番にいるという情報がある。
ただ澤村くんは「いまどきチーム最強の打者を4番に入れるという時点で指導者のレベルがわかる」と自分の馬鹿レベルを差し置いて酷評をする。
「このチームのデータは4番バッターを除いて頭に入ってる。まあ見てろ」
例によって澤村くんが大船に乗ったつもりで任せろくらいの顔で言うが、中学時代からのつきあいがある私はそれが泥船だと言うことをよく知っている。
例によってまず監督同士の挨拶とメンバー表の交換、監督は澤村くんより大柄な女性だった。私たちより少し歳上くらいに見える彼女が澤村くんを上から見てニヤリと笑う。
「よろしくお願いします」
「胸をお貸ししますよ。フフン」
この男の辞書に謙虚という文字はないらしい。ついでに前年度最下位という自覚もないらしい。
私は後ろの方で向こうのチームの皆さんに『すいませんね。うちのアホが』という顔で頭を下げながらも、一向に格上に怯むところのない澤村くんに少しだけ感心していた。
「おい、あのオバハンを試合後に泣かしてやろうぜ!」
また円陣で小学生女子にろくでもないことを言う馬鹿監督を私は後ろから軽く蹴飛ばして、かわりに檄を飛ばす。
「声出して!元気出して!自信もっていこう!」
「ハイッ!」
結論を言うと、3対1で負けた。好花ちゃんはよく投げた。途中からややバテ気味だったけれど、もともと疲れにくい投げ方なのでどうにか持ちこたえたのだった。
何だかんだ、狙い通り内野ゴロの山を築き、これも狙い通り1塁出塁は許しても左側からの2塁送球…つまり悪送球が少ないパターンが多くなって大量点にはつながらない。澤村くんが『だいたい向こうのバッターの癖は頭に入っている』という通り、少しずつ守備のシフトを変えたのも功を奏した。
取られた3点のうちエラーがらみが2点、
がっかりしている私とは対照的に保護者が興奮している。
どういうことかというと『久しぶりの接戦』だったらしい。3失点というのはオレモンの失点数では数年ぶりの記録だというのだ。ちなみに前の試合の5失点も昨年度にはないくらいいい出来だそうだ。
「コーチ!いい試合だったじゃないですか。久しぶりに試合らしい試合でした!」
保護者会の会長さんに声をかけられて、私は昨年のオレモンがいかに悲惨な状態だったか思い知った。
ちなみにオレモンの1点は1番の真理子ちゃんがヒットで塁に出て盗塁を決め、2番の好花ちゃんがバントで送り、そして3番バッターの楓子の時に点が入った。しかし楓子がヒットを打ったのではない。楓子は豪快に空振りした。だがその豪快さがキャッチャーのパスボールを誘い、三球三振の間に真理子ちゃんがホームを踏んだのだった。
楓子は2試合ノーヒットで唇を噛みしめた。
澤村くんが「プーちゃんはまだバッティング練習やったことないんだから、仕方ないだろ」と慰めたが、それなら何で3番という好打順に入れたのか。
「あのブルンブルン振り回す迫力で何か起これば面白いと思ってさ。ワハハハハ。勘だよ、勘」
澤村くんのいい加減さに目眩を感じながら、何だか自分の妹が馬鹿にされたような気がして、一発軽くボディでも入れとこうと思ったら、隣の楓子が悔しさで涙ぐんでいるのが目に入った。
私はボディをやめて、バックステップし澤村くんから距離を取った。そしてそれから高校時代以来久々の跳び蹴りを背中に入れる。ナインが目を丸くして私たちを見ていた。
それでも昨年に比べれば随分いい試合が出来たという実感があったようで、翌週の放課後に集まった選手の顔は明るかった。
本日は澤村くんがキャッチボールに新しいメニューを追加した。『バスケットランキャッチボール』というのだそうだ…へええ、と思ったら澤村くんの口から出任せネーミングだった。
言葉で説明するのは難しい。選手は内野のベース上で球を回すのだが、ミソは次の塁に動きながら投げる。受ける方も次の塁に移動しながら受けるという、バスケットのスクエアパス練習によく似ている。
先週の試合で出たミスがほとんど送球ミスだったことから『動きながら正確に送球する』『送球先に声を出す』という狙いで考えたという。
時計回りというのはさほど問題なく回るのだが、逆回りを始めたらミスが続出した。何というか、送球の動きが体重移動と逆になるのだ。
「焦るな。最初はスピードよりも正確さ重視で!ジューシーなのはうちの肉!」と肉屋の今田コーチ。
「そうだ。焦ってやったことはたいがい上手くいかない!就活に失敗した俺の人生の教訓その1だ!」と酒屋の澤村監督。
「こんな大人になりたくなかったら、まず落ち着いて集中して!」と電気店の私。
選手達がクスクス笑いながら、それでも段々とスムーズに球が流れるようになっていく。
大きな声で捕球する選手の名前を呼ぶことも大切らしい。
「真理ちゃん!」「はいっ!」「
「いいぞ!もう3周!声出せ!このままノーミスで!肩ロースで!」by今田くん
「イエース!ノーミス、ノーパン、ノーマネー!」by馬鹿の澤村くん
「この二人は後で締めとくから、最後まで集中して!」by私
「さて、いよいよ今日から攻撃練習をやっていこう」
澤村くんが口を開くと選手達の口元が思わず緩む。
うんうん、やっぱりバッティング練習したかったんだよね。
「まず今後の基本方針な。バッティング大改革です!」
うん?何?
「真理子ちゃん楓子ちゃん以外は全員、左打者に転向!」
子供達がえええええええっと解りやすくどよめく。
「澤村コーチ!左じゃ打てません!」
「私も無理です」
「やったことないです」
ガヤガヤガヤ…
「シャーーーーーーラップ!」
今田くんが大声を出して小学生を黙らせた。せっかくチームがいいムードだったのに台無しだ。
「オレンジモンスターズ、昨年のチーム打率は1割5厘。卒業した和田先輩と真理子ちゃんの成績を抜かしたら、何と!たったの6
澤村くんがそこで一度黙った。下を向いてプルプル震えている。馬鹿みたいだ。
しばらく沈黙が訪れたが、今田くんが天に向かって叫ぶ。
「ガッデーーーーム!!」
選手がビクッとのけ反った。何だろう、この二人。変な新興宗教の説法かな。
再び澤村くんが胡散臭い笑顔で話し始める。
「はい、皆さん。よく聞いてね。どうせヒットが出ないなら、どっちの打席だっていいじゃないですか。右打席と左打席、一塁ベースに近いのはどっちですか?」
今田くんが一番近くにいた気の弱そうなミサちゃんを指名する。
「はい、ミサちゃん。どっち?」
ミサちゃんが名前を呼ばれビクッと身体を震わせた。
「……左です」
「イエーーーイ!」「イエエエエッス!」
二人がハイタッチして、私を振り返る。はいはい、もうヤケクソだ。
「ウェエエエイ!」
私も二人に力強くタッチした。ホント、仲間に入れないでほしい。
うちの電気屋内応接セット本部ではその夜、今後の方針会議が開催された。
全20戦の地区リーグ、上位3チームが県大会に進出できる。オレンジモンスターズは現在2戦2敗、昨年の3位が15勝である。補助金の継続はここに絡んでいけるかどうかに掛かっている。
まだ始まったばかりという言い方もできるけれど、あと3つしか負けられない、という見方もある。来週の対戦は昨年度8位のプリティガールズと9位のフェアリーズ、つまり絶対負けちゃ駄目な試合だ。少なくともどちらかに勝たないと開幕2節目にして早くも崖っぷちだ。
「いいの?全員左バッターにしちゃって」
私の質問に澤村くんが自信満々に答える。こいつの自信満々な顔ってホントに腹が立つ。
「こないだのウィングス戦で1・2番が左バッターだっただろ」
あの時澤村くんはボテボテの内野ゴロふたつが間一髪のアウトだったことに注目した。ソフトボールの塁間の狭さを痛感したというのだ。
「ほんの少しのタイミングでセーフだ。同じ内野ゴロでもコースや強さによっては出塁率がぐっと上がると思う」
「確かに」
ショート今田くんも同感のようだ。
「ということで今週は送球練習とバント練習が中心だな」
「うむ。転がせばどうにか点が入るかもしれない」
「できたらセーフティやバスター」
「厳しいな。でもまあ、フリだけでもエラーを誘えるか」
「ピッチャーも嫌になるだろうな。楽しみだな」
「クックックック。泣かせちゃおうぜ」
二人が悪そうな顔で悪党の笑い声を出している。
「エラーは減らしたいが」
「うん。特に送球だな」
「早急に改善しよう」
「送球だけに。ぐふふふふふ」
この二人が監督とコーチをやっている限り、どうしてもうちのチームが悪役に見えてくる。物語としてはどうなのか。
とはいえ、確かに前試合のエラーはほぼ送球ミスだった。動きながらボールを投げることに慣れていないからだ、と二人は考えた。あのスクエアパス的キャッチボールの目的はそこにあるという。
「あと、声がない。お互い声を出して指示し合うのは基本だ。もっと元気に、出来たら大声で相手が怯むくらいのデシベルで声を出せるといいんだがな」
そんな騒音を出すような子はオレモンにはいない。真理ちゃんも好花ちゃんもどっちかって言うと人見知りだ。周囲が引くような大声の持ち主…
…うーん、心当たりが一人いるなあ、そういえば。
「なあ、美里。楓子ちゃんを仕込もう。楓子ちゃんを俺色に染めたいんだ」
何でこいつは常に誤解を招くような言い方をするのかよくわからないが、そうなのだ。楓子は商店街主催の『大声コンテスト』で優勝したこともあるくらいの大声の持ち主だ。キャッチャーにはうってつけなんだろうけど、まだルールがあやふやだ。いかに頭のいい楓子でも2週間で全体に指示が出せるようになるのだろうか。
「ツーと言えば!」
澤村くんがいきなり叫んだ。
「カーッ!」
今田くんのレスポンス。だから何なんだ、この二人。
「プーちゃんと俺が通じ合ってればいいんだ。わかるか、美里」
「わかりたくないわ」
「美里と俺は通じ合ってるけどな。な?」
ボコッ!
「殴るわよ」
「ぐう…殴ってから言うなよ」
澤村くんに私がいつもの鉄拳制裁を加えたところで今晩はお開きとなった。
『澤村くんと楓子が通じ合う作戦』略して『澤プー仲良し大作戦』というおぞましいミッションの内容は説明されなかったが、すごく気になるというほどではない。多分というか絶対また碌でもない話だと思う。
その夜、だいぶ遅い時間に澤村くんから電話が来た。
「こんな遅い時間に何よ。メールにしなさいよ」
私はすでにベッドに入って、あと3分もあればグッスリ眠るだろうというくらいのウトウト具合だったので頭に来て結構乱暴に言った。
しかし澤村くんの口調はいつもの詐欺師のような話し方とは少しトーンが違っていた。
「あ、あのさ、えっと、美里さ、オレモンが、その、俺がオレモンの俺の」
…オレオレ詐欺かい。
「オレオレ、オレオレうるさいわ。切るわよ」
「待って。待って、待つんだ」
「端的に。解りやすく。そしてこの後、私が心静かに眠れるような気遣いをして」
だが澤村くんの話は困ったことに私が眠れなくなるような内容だったのだったのだったっ(動揺)。
「美里、オレモンがもし、もしだよ。県大会に行けたら…俺と、けっ、けっ、俺とけっ」
「けっ…?」
「結婚してくれ!」
「ぐえっ?」
私はスマホを持ったままベッドを転がり落ちた。
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